軽い足音とご機嫌な声に、虎徹は目をつむったまま喉のおくで笑った。
背中の近くに、世界で一番愛おしいものの気配。
「パパー?ちゃんとお目々つぶってる?」
「おうよー楓の言うこと聞いてるよ。ほら」
「ん!たいへんよいこです!」
幼稚園の先生の口癖をそのまま覚えて来たらしい楓に、おどけて褒めてくれたことの礼を言うと、ふふふと自慢げにわらうのがたまらなくかわいい。きっとお姉さんぶったような顔してんだろうなと思いながら虎徹は目隠しの手を外さない。約束だ。
「ところでなにしてんの」
「まだだめー!ひみつだからだめなのー!」
「バニーは?」
「バニーちゃん?おだいどこにいるよ」
「そっか。まあひみつはいいけど怪我しないようにな」
「はーい。目開けちゃだめだよ!」
近くにあった気配に目はつむったままひらひら手を振ると、小さい手に捕まえられて顔にあてなおされる。わざとだらんと力を抜いてやると楽しそうな悲鳴に重いー!と叱られた。
キッチンにいるらしいバーナビーが楓を呼んで、ふたりでごそごそがさがさしているのに、本当になんだろうと首を傾げる。
楓の誕生日はまだだしバーナビーの誕生日はもう少し先だ、虎徹のはとっくに終えている。友恵の誕生日や命日も違う。
ソファで顔を覆ったまま、首をひねっていたらようやくお呼びがかかった。
「虎徹さん、目開けていいそうですよ」
「ん。でさバニーほんとなに?」
「秘密です。僕からはなんとも」
「えーけち」
「楓ちゃんを裏切れませんよ」
「お前うちの子裏切ったら許さんよ?」
「ハイハイこわいこわい。まあ未来の義理の父親に慣れとくにこしたことないか」
「は?おまえなに言ってんの楓は将来パパと結婚するんですー」
小突き合いながら楓を待つ。
バーナビーが振り返って楓を促す。
と、ぽんと小さいからだがふたりの前に飛び出した。
「どうだー!がおー!」
「……えっ」
「……へん?」
こてん、と傾げた頭にはふかふかの丸い耳。濃い黄色に黒のラメ地で縞模様が入っているワンピースには、襟元に黒いファーが巻き付けてある。手袋かと思ったふわふわの黄色いミトンは猫の手のかたち。
楓のうきうき楽しそうだった顔が不安げに変わる刹那、虎徹が吼えた。
「ウワアアァァァなんだこりゃああああ!楓、えっ、何、どうしたのそれ!」
「今度スケートで着るのー」
「かあああわあああいいいい!えっなに?とらさん!?」
「ホラ楓ちゃん回って回って」
「はーい」
ご丁寧にワンピースの後ろにはふわふわの尻尾がついていた。子どもがひっかかってころばないように、芯の針金か何かでくんにゃりと持ち上げられた尻尾は背中で一度ぬいつけられて、余った尻尾とそこにくっついた赤いリボンが、小さい身体がみじろぐ度にぴょこぴょこゆれる。
手を中途半端に上げたり下げたり握ったり開いたりして虎徹が興奮を逃がそうとしてできなくて、そわそわしたままぶつぶつ言う。けれど目は外せずにくるくる回って見せる楓に釘付けだ。
「あわわかわいいかわいいこれは攫われるうちの子かわいすぎて攫われる!
でも全世界の人にこれをみせるべきだっていうか見ねぇとだめだろ!
あっもーうちの子チョーカワイーあっでも心配かわいいどうしようかわいいかわいいいいいいい!」
んがー!と頭を掻き毟る虎徹に、二人はぱちんと手を打ち合った。
「やったー!」
「作戦成功だね」
「うん!パパびっくりしてる!」
「まあ僕も最初びっくりしたよ、かわいいのは知ってたけどこんなにかわいいは思わなかった。安寿さんに電話しようか」
「あっうんするー。
……もしもしおばーちゃん?ついたよーありがとう!着てみせた!うん、パパびっくりしてるっきゃー!」
ころころ笑う楓に大きな手が伸びて後ろからぎゅうと抱きしめられてぬいぐるみみたいにかわいがられる。
楽しそうに悲鳴をあげてぐりぐり息子に懐く孫に、ディスプレイ越しに安寿が苦笑した。
それから虎徹がビデオとカメラと携帯端末とでたんまり色んなポーズの写真を撮りながら楓に経緯を教えてもらう。
スケート教室で今度ある発表会で、楓のクラスは動物のコスチュームを着ることになったこと、ウサギは人気で女の子達がみんなじゃんけんで取り合いで、それならとさっさと虎におさまったこと。
衣装の用意はいつも祖母に頼んでいたけれど、どうせ虎なら虎徹が喜ぶだろうから秘密にして、でもサイズなんかを測るのは一人で出来ないからバーナビーと二人でこっそり採寸したこと。
「バニーちゃんね、おばあちゃんに叱られたんだよー測るのへたっぴだって!」
「楓ちゃん、秘密にしてって言ったのに」
「あっ」
ばれたら仕方が無いとばかりに難しいんですよと開き直ったバーナビーをひとしきり笑ってから、ふと虎徹が楓をぎゅうぎゅう抱き締めた腕を緩めて言った。
「かえでも」
「ん?なあに」
「かえでもホントはウサギがよかったんじゃねえの?パパ虎好きだからって我慢した?」
「ううん。まあバニーちゃんだからウサギもよかったんだけど……ピンクは去年着たし、しっぽ長い方がかわいいから虎でいい」
それは目線の伏せ具合だとか口元の感じだとかで照れ隠しの嘘だとすぐわかった。おしゃまな女の子とはいえまだ6つやそこらだ、それくらい見抜ける。
そうして感極まった虎徹がまたぎゅうぎゅうに楓を抱き締めて笑み崩れた。
パパほんとうれしーかわいー!
ねー発表会絶対行きたいパパぜーっつたいお休みとるいつだっけ!バニーお前も平日だったら大学早引けしてでもこいよ俺カメラ係でお前ビデオ係な!
ひとしきり騒いでなおまだ手を緩めないのに、もがいていたはずがいつの間にか大人しくなった楓を二人が覗き込む。
と、スケートリンク用の防寒もばっちりな衣装で昼間の暖かな室内で騒ぐわはしゃぐわだっこされるわでのぼせた楓が真っ赤なほっぺたで、
「パパ、だっこ暑い、離して」
と、慌てる男二人にこの場の誰より冷静に呟いた。
どっきり