夜の闇は僕にはしたわしい程度にほのかに明るい。
夜の、何もかもが寝静まっているような本当の真夜中に、僕はしょっちゅう表に出ていた。
眠らない街、シュテルンビルト。それでもモノレールの最終が行って一時間半もすれば、よほどの繁華街でない限り、表にいる人間は姿を消す。皆、家なりその日の宿なり、もしくは朝を迎えるまでファストフード店やらバーやらに退避するからだ。ましてやゴールドステージの住宅街なんて、深夜の二時を回ってしまえば道には人っ子一人いない。それを僕は、ほんの六つの頃から知っている。

ちいさかった僕は、今思えばいたく傷ついていたんだろう。復讐に昏く燃えた心に、更にネガティブな感情を覚える余裕がなかっただけで。
誰もいないところが好きで、くらい夜道をぼうっと歩くのが何よりのストレス解消だった。誰にすれちがうこともなく、それはつまりウロボロスだとか人の視線だとか親子連れを見ることだとかを意識せずに済んだ。
マーベリックさんは多分、気づいていて好きにさせてくれていた。あの家には強固なセキュリティがかけられていたし、深夜の出入りは例え内側からであれ、不審な点があれば5分でSPが飛んでくるような、そういうシステムだったはずだ。それでも一度も騒ぎにならなかったのは、彼のところに入るはずの警告を忍び出る僕に気付いて握りつぶしていてくれたから。
そうして僕が夜に散歩した次の朝には、決まって朝食は胃腸に優しい食べ物だった。

あの人は、あの人なりに僕を愛してくれていたのだと、今ならわかる。

道具として利用していた反面、それでも彼は僕に手をかけて気にかけて、心を砕いていてくれた。
それは、かつての友人の子どもであったり、一人では何もできない非力さであったり。
天涯孤独の身であったあの人の心のすき間に僕を愛おしむことが彼にも何がしかのなぐさめであったりはしたのだと思う。

彼の手を離れて、パブリックスクールの寮に入って、それでも悪癖はやまなかった。いっそ同年代の子どもとはかけ離れた精神状態だった僕は優秀であったし見かけの友人には事欠かなかった。けれど、けして深く付き合う者はいなかったし、知りたがる者もいなかった。不思議なもので、人気者だけれど誰か一人と特別親しくすることもない奴は、好かれるけれど放って置かれた。
きっと、みんなどこかで違和感を感じていたのだろう。笑っても騒いでも、どこか陰鬱な学友に、遠慮がちな同級生。
それでもその時の僕は、それを都合よく思っていた。

休みごとの深夜の徘徊は頻度を増していって、それを漏れ聞いては咎める教師も、いわゆる高名な私立校だからいたけれど。
彼らは不遇な生まれ育ちのことをほのめかしてみせれば困った顔であげつらうのをやめた。
僕は心の中で冷たく笑って、思う。

ほうらかわいそうな子どもが必死で悲しみに押しつぶされないようにあがいて苦しんでいるんですよ。その子どもの、しかも普段は完璧な程に優等生なその子どもの唯一のわがままをあなた方はとがめられますか?
あなた方の言葉ごときで俺は癒されるとでも?

そう、腹の底で冷たくあざ笑いながらしょんぼりと眉根を落として見せれば 、彼らの目には慈悲と慈愛しか浮かばなくなった。
人間関係なんかこんなものだと、そう。何度目か忘れるくらいに思い知れば、後は利用するだけだった。

そうして皮一枚めくれば可愛げのない、見た目だけは綺麗な僕はずっとずっとずっと、悪夢を忘れないように、薄れさせないようにして生きていた。


それなのに、もうすっかり大人になった僕に、甲斐甲斐しく世話を焼いてかしましく叱りつける人が出来た。
何をしてもどんなことを言っても、ひとしきり文句を言い切った後はすかんも笑ってまた同じように手を出してくる。
あんまりしつこい懐っこさにうんざりしていた。
けれどそれでも、うるさがっても煙たがっても対等な立場から心を砕いてくれる人は、僕の今までの長くもないけれどけして短くはない人生ではじめての人だった。

人を信じて寄りかかっていいのだということを知って、仇を討って。
そしたら途端生きていく意味みたいなものがすっぽぬけた。
そうして全部彼に褒められることだったり認められることだったりにすりかわった。
なんてことはない、僕の情緒はまるきり子どものまんま凝り固まって、図体だけが大きくなっていた。
当たり前だ、普通の子どもが経験するような友達とするささいなけんかだとか両親を試すみたいな甘えだとか反抗だとかは一切経験してこなかった。

そしたらどうだ、自分がどうしたいかなんて考えることを四才から止めた薄っぺらな僕は、一番近くの虎徹さんに友情も尊敬も親子愛も恋愛も、何もかもを受け止めてもらっていた。
そりゃあ居心地のいい時間だった。無償の愛を浴びるほどもらって、甘えているだけで良かったんだから。

幸いだったのは、虎徹さんがしあわせな愛に溢れた世界に住んでいる人で、喪う悲しみも痛いほど知っていたこと。だから同じような傷を僕が見せびらかせば、あの優しいおじさんは僕がどれだけ愛情を欲しがっても、いくらでも与えてくれて甘やかしてくれる度量があった。
親のような兄弟のような深い愛情でもって、いつか僕が育って彼の手を離れるだろうと思いながら、恋人役もしてくれていた。


そうして落ち着いた僕は、今度はジェイクが仇ではなかったことを落ち着いたが故に思い出して、不安で心がぐずぐずになって。そこに彼がヒーローをやめるだなんてことは、あの時の僕にはとんでもない裏切りというか、言ってみるなら小さい僕に昨日まで惜しみなく愛を囁いては抱き締めてくれていた母親が知らない男と出て行ったみたいに思えたのだ。

それから後はもうボロボロだった。
あんまりにもお粗末な計略に踊らされてあやつられて彼を忘れて憎んで傷つけて。
それでも僕をやっぱり信じて、名前を読んでくれた彼に気付けた時には死にたくなった。
そんな僕を笑って、ほら行くぞとあやしてくれた彼が、その背中に、はじめて甘えるのではなく寄りかかるのでなく、並びたいと強く思った。守りたいとねがった。
同じように傷ついてきた彼に、傷を見せびらかして甘えるばかりだったことを心底恥ずかしくおもった。
そうして、不器用だけれど背中を預けて預けられて。

自分自身の手で彼を死なせた。
彼は帰ってきたけれど、やっぱり笑ってゆるしてくれたのだけれど。あの時僕は彼を殺したのだ。
大丈夫と、笑った彼に甘えて。

それから僕は大人になったのだと、今ならそう思う。
殺してしまったのは甘え切るだけ甘えさせてくれた虎徹さんで、僕は抱きついてから気付いたのだ。
そうだこの人はぼくのおやでもきょうだいでもなく、他人だと。
他人だからこそ、甘えてばかりではダメで、自分も同じだけ彼に認められる人間にならないといけないのだと、そう思った。


ヒーローを辞めて、一年そこらじゅうをふらふらして回った。
彼につられてやめたのも本当だけれど、確かにそれは自分探しの旅だった。
僕は一人でどこまででもいけた。
それが嬉しくて、どこまでもいった。
砂漠のはざまみたいな街の夜空はかわいて降るように星が見えたし、いつもしめったような曇り空につつまれた街は鐘の音が朝を告げた。
海の近くは枕まで潮臭かったけれど道端でにこにこ差し出されたオレンジは甘くて美味しかったし、山の中は大きな百足に悲鳴をあげたら宿の熊みたいなご主人が素手でつまんで窓の外に捨ててくれた。
好きだったオペラも生でみた、道の芸人のアコーディオンに聞き入って小銭をせびられたりもした。


サマンサの家族にも会って頭を下げた。
僕に関わりさえしなければと言うとやめてくれろと叱られて、サマンサ叔母さんは「ぼっちゃま」のことばっかり話していたと言われて鼻の奥がつんとした。
暖かな居間で、彼女の姪がつくってくれたケーキを食べた。すこしはじが焦げたケーキはサマンサの作ってくれたのとそっくりだけれど違う味で、ほんとうにおいしかった。
それから、ところでもうオリーブは吐き出さないの?とくすくす言われて、顔が赤くなる。内密にと囁くと、サマンサそっくりな優しい目がウィンクした。

またハンサムな「ぼっちゃま」が遊びに来て、ケーキをおよばれしてくれるなら、ゴシップスには流さないでいてあげる。我が家はみんな、バーナビーブルックスjr.がごひいきなのよ?



そうしてそんなある日に郊外型のショッピングモールで、それまでの僕が来ていたカットソー一枚で頭からつま先までそろう、びっくりするほど安い服を着て歩いていた時だ。
小さい子どもが迷子になって泣いているのを気まぐれで抱き上げてあやした。子どもは苦手だったはずなのに、一人で泣かせていたくないと自然に思ってしまったのだ。
ぴゃーっと高周波を出していたその子に戸惑っていた周りに苛立つでもなく咎めるでもなく近寄って。
なんでかわからないけれどひょいと抱き上げて、その子が涙でべたべたの頬と指で、熱い息を吐いて泣いたせいで汗ばんだ身体でぎゅっとしがみついてきた。

その時、何かがすとんと腹に落ちた気がした。

いとおしいと思うこと、くるしませたくない、かなしませたくないと思うこと。
ただがむしゃらにたすけたい、すくいになりたいと思うこと。

その子どもは泣きながら母親を呼んでいて、僕が知らない人間であることに気付いてびっくりしていたけれどすぐに高くなった視界に機嫌を治して、たどたどしい言葉で名前を教えてくれた。
そのまま迷子センターに連れて行って、百歩譲って今までの僕ならそれでおしまいだったはずだ。けれど僕はその子の母親が真っ青になって駆け寄って、その手にご機嫌に笑う子どもが飛び込むまで、迷子センターの白々しく明るい遊具のある中にふたりでいた。
その子どもが安い黒いパーカーにぎゅうとしがみついて離れないのを疎ましく思うことはなかった。

それからシュテルンビルドに戻ってみれば、ワイルドタイガーが相変わらずのがに股でどたばた走っていた。二軍で。
逃げた大型犬を捕まえたりだとかモノレールの駅に出来たスズメバチの巣を撤去するだとかひったくりをつかまえるだとかの、一軍に比べたらちゃちな事件。
それでも彼は一切手を抜いていなかった。犬を捕まえる時はまず子どものいないところに自分を囮に誘導して、スズメバチの巣の撤去は向いた能力のヒーローにアドバイスをして、ひったくりは屋根の上までだって追いかけて。
ついでに猫が降りてこないと聞けばそこらじゅうをひっかき傷だらけにしたって小さいいきものを怖がらせまいとスーツを脱いで木登りをする。

僕も関わりたいと思った。
それまで非効率的でお節介でどうしようもないと思っていたことを、僕もやりたくて仕方がなかった。
思って見てみれば、河原で子犬が流されたと泣いている子どもや自転車が倒れて難儀している人なんかがたくさんみえた。
誰かを助けられることをはじめて誇りに思って、この力を役立てたいと心から素直にねがった。
彼の隣で、日常の中で、一緒に戦いたかった。
だから今度は本当に、あなたの相棒にして欲しくて帰ってきたんです。
どじでばかでおっちょこちょいな、僕にとって世界一のヒーロー。

シュテルンビルドの夜は明るい。
特に車の販売店は煌々とライトに照らされて昼間みたいだ。
その中に、黄緑色の彗星が落ちてくる。
ほらみろ、無理するからだ!
そう思っても、身体が勝手に動いて車を踏ん付けて受け止めた。
昔みたいにわあわあ言い合って角突き合わせて、そうしてにぃっとわらったあなたが無言で拳を出した。

いつまでも子どもじゃないんですよ!

そう思って笑って、真横の拳に拳をぶつけた。




彼が語るには





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