「もう知らないお父さんなんか!お仕事してるときなんか私のことすっぽ抜けてるんでしょ!
いいわよお父さんには大事なお仕事があるんだもんね!
お仕事してるときに私のこと考えたことある?ないでしょう知ってるわよ!ばか!
おとうさんなんか……パパなんか死んじゃったってもう知らない!!」

金切り声のそのあとに、ぱん、と乾いた音がした。


発端は虎徹の怪我だった。
NEXT事件に巻き込まれたあげく、ブレーキが故障してパニックした運転手によってハイウェイを疾走する軽自動車を捨て身で止めた。
後部座席に座る妊婦の、初老の母親が運転していたそのパステルカラーの小さな車はオーバースピードではねたタイヤを皮切りに紙屑のように吹っ飛びかけた。

ワイヤーとハンドレッドパワーで事なきを得た親子三代は、即座に病院に運ばれて無傷を確認された。しかもその上三代目は6時間後に元気に産声を上げたそうだ。

ワイルドタイガーも脚を引きずりながらも笑ってポーターに乗った。
そしていたぁい、とのんきにひと声あげるやどさりと倒れこんだのにはバーナビーも斎藤も肝を冷やしたが幸い命に別状ある怪我ではなかった。
とはいってもヒーローにしたら軽傷、けれども一般人からしたら左大腿骨の骨折に右腕脱臼、ついでに突然の意識白濁なんてのは大けがといえるのである。

楓を連れてきたのはバーナビーだった。
バーナビーは当然のように犯人逮捕ポイントと救助ポイント(ワイルドタイガーが助けたのとは別の一般市民だ)を稼いでインタビューもこなしてぴんぴんしていたので、一度帰って楓に食事をとらせようとした。

だが、帰宅したのがバーナビーだけなのに気付くや、おとうさんなんで帰ってこないの怪我したの、と、おかえりをいった顔が見る間にこわばった。
虎徹は戻った意識で大したことはないと笑っていたがとても即時帰宅は望める容態ではなかった。
当たり前だ、手術をして金属を入れて、しばらくは絶対安静だと医者に怒鳴られたくらいなのだから。
けれどもバーナビーに楓には言うなと口止めをして麻酔を打たれて手術室へ消えた。
バーナビーは楓に少し入院するだけだと笑って、小さな、今はこわばった身体を抱きしめてただいまを言った。

そうして楓と遅い食事をして歯を磨かせてお休みを言ってから、一晩考えてバーナビーは楓を虎徹に会わせようと決めた。
父親がヒーローをやっているのを知っていて、その上会えないのは余計に不安をあおるだけだ、そう思って虎徹の搬送された病院へ連れてきたのだった。
虎徹が大怪我をしているのをみるのは楓には多少酷かもしれないけれど、それでも命に関わるようなものではないのだから心配しなくていいと、真っ青になった楓に教えてやりたかったのだ。

そうしてとっくに目覚めてぴんぴんして、
「ようバニー!とえっ楓なんで来たの、バニー言ったなお前内緒って言っただろうがもー全く」
とぶつくさ言いながらもベッドから頭を挙げることすら出来ずに脚を吊っている虎徹に、楓は真っ白になった顔色を怒りだけでわずかに赤く染めて言い放ったのだった。
その頬を、手加減こそすれ衝動的ともいえる速さでバーナビーが張った。普段は柔らかな瞳が、無表情の中でちりりと音を立てて燃え上がりそうな程にきつく楓を見据えていた。

しんと静まり返った病室は、重苦しい空気に包まれている。
中途半端な笑顔のまま固まった虎徹と、小刻みに震える肩を必死に怒らせてにらみつける楓、それを正面から受け止めて整った容貌を微動だにさせないバーナビーと。
なんとかこの空気を瓦解しようと虎徹が口を開きかけた刹那、冷たい声が鞭打つように響いた。

「謝りなさい、楓ちゃん」

言ってはいけないことを言ったのだと、楓だってわかってはいるのだ、それでも。
激した心と積もった不安とさみしさと、それから大好きな父親を失ったかもしれない恐怖が振り切れて、唇からこぼれたのは誰をも傷つける刃のような言葉。

「バニー」
「虎徹さんは黙っててください」

ちりちりうなじの毛が逆立つ様な感覚。バーナビーはかっかと沸き立つ怒りに素直に身を任せる。

楓にだけはその言葉を吐くことを許させない。
この子はそれは簡単に投げかけていい言葉ではないことをわかっているはずだ、そして、後悔するのもこの子だ。

それなのにどうしてと、悲しいのともちろん怒りと、それからどこか苛立つのとを混ぜこぜにして爆発させたバーナビーは普段このちいさな女の子に無意識にしている遠慮を全部投げ捨てて腹から怒った。

「バニー!」

虎徹の声が響くのに屈せずにバーナビーはかちりと冷たい声を崩さない。

「楓ちゃん」

鞭で打つ様な冷たい声に、自分でも鳥肌が立った。

ごめんこんな声を聞かせて。
君を脅したいわけじゃないんだ、でも。
このまま許したくはない。

真っ黒な沼にはまったような心持ちでにらみあう。

けれど言葉をこぼしてから、真っ白な顔色のままほろほろ泣き出した楓をみて、バーナビーはふっと我に返った。

ああ、いまこの場で一番心を痛めているのは虎徹さんでも僕でもない、この子だ。

その証拠にこの子は自分の言葉に真っ青になって震えている。
たたかれた位でこんなにショックを受けるほど、この子は弱くない。
それは楓が自分自身を責めて悔やんで恐れているだけだと、バーナビーは唐突に理解して、膝を着く。俯く楓と目線を合わせる。
必死で食いしばられていた唇がふるえて涙が一粒頬を伝った。

「うん、わかった」

ぽつんと呟く。

それを皮切りに本格的に泣き出した娘を、手だけで虎徹がそばに呼ぶ。

「楓、ごめんな」

よしよしと撫でる左手はややぎこちないけれどもただ優しくて、そうっと寄った小さい身体がいまや目に見えるほど震えていた。

「楓ちゃん、たたいたのは僕が悪かった、ごめん。でも他のことは謝ってはあげられない」
「わかって、る、わた、わたしが、悪かった」
「痛かったでしょう。冷やそうね」

子どもに手を上げるとは最低の所業であるというけれど、これで罰せられても後悔は無いと思ってバーナビーは過度に謝ることを放棄した。

「おとうさん」
「ん」
「……ごめんなさい」
「うん」
「ごめ、な、さ」
「うん。いい。楓に言いたくもないこと言わせたパパが悪い。ごめんな楓。次はもうちょっと気をつける」

親子がくっついて、わあんとようやく泣き声があがった。
そうっと病室を出たバーナビーはその後を知らない。

しばらくしてからPDAが一度ころころ鳴って、覗きに行くと楓はいなかった。顔を洗いに行ったと笑う虎徹に、バーナビーはドアから近づけない。
やわらかな声があやすように掛かる。

「バニー」
「すみません……」
「いいんだ」

丸い声がささやくのに、 バーナビーの膝から力が抜けた。

「ごめんなさい」

枕元に跪いて赦しを乞う背は殉教者に似て美しい。

「いいんだよ、バニー。ありがとな」

そう笑って、指先がくしゅくしゅとうなじを撫でた。

「全くうちの子どもらはいいこだなあ!」



笑った虎徹に、戻ったきた楓がおとーさんバニーちゃんなかしちゃダメじゃない!といつもの調子で怒鳴るのと、子どもらってぼくもですか!とバーナビーが噛み付いたのは大体同時だったようだ。






たんき





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