「珍しいこともあるもんだねぇ……ナントカは風邪ひかないって聞いたことあるけど」

「……どういう意味だ、佐助」

佐助は幸村の額に濡れた手拭いを乗せると、何かあったら呼んで、とだけ言って部屋を出て行った。少し気に触る言葉はあったが、わざわざ引き留める声を出すのも辛い。仕方なく幸村はもそもそと夜着に潜る。

佐助の言う通り、珍しく幸村は熱を出した。幼少期から体の丈夫さは誰にも負けない自信があった程で、熱を出した回数など片手があれば数えられる。
昨日は土砂降りの雨で、戦の際に雨如きで足を取られたりする訳にはいかないから、と野山を一日中駆け回って鍛錬をしていた。雨に濡れ身体は冷え切っているというのに、風呂も湯船には浸からずに身体の汚れを落とす程度で済ませたのが悪かったのだろう。普段は丈夫で風邪を引かないとなると、逆に風邪を引いた時の症状は重くなってしまうのか、どうやらひどい高熱らしい。先程佐助が乗せてくれた手拭いはもうぬるくなっていた。頭もがんがんと痛むし視界は瞬いて回っている。半ば意識を失うように、幸村は眠りに落ちて行った。

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「……あんまり大きい声は出さないでよね。結構症状酷いから」

「大丈夫だ。そのくらい分かっているさ。襲ったりしないから平気だぞ」

遠くから声が聞こえる。佐助と……あともう一人、聞いたことのある声だ。柔らかな低音は聞いていて安心するような、心地好い声。
幸村はゆっくりと目を開ける。あ、と声がしたので、その方に首を向けた。

「おはよう、真田。見舞いに来た」

「……へ?」

いつもの様に金色で目立つ戦装束ではないが、幸村の眠っている傍に座っていたのは紛れもなく、三河の徳川家康であった。

「とっ、徳川殿……!?っ痛っ」

慌てて起き上がった途端に頭に鋭い痛みが走って、幸村は額を抑える。まぁ落ち着け、と制すると、家康は続けた。

「真田が熱を出していると聞いてな。忠勝に頼んで半刻くらい掛けて来たんだ」

「一国の大将という自覚はお持ちでござるか、徳川殿……ッと言うより、何故某が熱を出したと」

「忍び隊の中で一番脚の速い奴に猿飛が頼んで伝えてきてくれた。そうだろう?猿飛」

幸村が家康の背後に居る佐助を見遣ると、家康に見られない背後であるのをいいことにニヤニヤと口角を緩ませて「俺様知らないなぁ」と惚けてみせる。幸村の家康に対する思慕を知っての行為だと悟った幸村は、風邪ではない熱がどんどん顔に集まってくるのを感じた。

「ッ明日から減給だ佐助ッ!」

「えっ待って旦那!?お八つの団子十本増やすから減給は止めて!」

「……絶対だぞ」

「……いいんだ、団子十本で」

幸村と佐助のやり取りを聞いて家康はそう零すとくすくす笑った。家康に子供っぽい部分を聞かれてしまった恥ずかしさでますます身体が熱くなって幸村は佐助を少し睨む。そんな様子を見てか佐助はニヤケ顔を隠そうともしない。団子十本増やそうが明日からは絶対に減給だ。

「あ、そうだ猿飛」

家康がふと振り返ると、佐助は先程まで緩ませていた口角を瞬時に引き締めて家康になぁに、と返事をする。

「ちょうど昼餉を持ってきたところだっただろう。これ以上話してたら冷めてしまうぞ」

「あ、そうだったね、忘れてた。……徳川の旦那」

「なんだ?」

「ちょっと俺様さ、御館様に言伝があるから真田の旦那のこと宜しくね」

佐助は幸村にチラリと視線を移すと、あぁ分かった、と返事をして昼餉の乗ったお盆に目を向けている家康に気づかれないようグッと親指を立てて部屋を出ていった。
……明日から佐助の給料は全額自分の懐に入れさせてもらうことにしよう。

家康はお盆を自分の横に引き寄せて、蓋のされている小鍋を開ける。ふわっと湯気が立ち上って、卵粥らしいそれを覗き流石猿飛だなぁ、なんて家康は呟く。対して幸村は昼餉が卵粥だとかそんなことよりも今家康と二人きりのことの方が気になってしょうがない。

「自分で食べられるか?真田」

「えっ」

突然そう聞かれて思わず幸村の肩が跳ねた。自分で、と答えようとするが、そう口にする前に家康がそっと顔を近づけてきて、思わず開きかけた唇をきゅっと結ぶ。濡れて貼り付いた手拭いを剥がして、家康は自分の額を幸村の額にくっつける。

「……結構熱あるんだな。こんななら身体も怠いだろうし……ワシが食べさせてやる」

少しんー、と唸った後に家康は至近距離のまま幸村にそう笑いかけた。いや、この熱は全て風邪に起因するものではありませぬ。心の中でそう叫ぶが家康には当然届かぬままだった。
家康はそのまま傍の粥を蓮華で掬い、軽く冷まして幸村の口元に持っていく。

「ほら、あーん」

「ぁ、あー……んっ」

「……美味しい?」

柔らかな微笑を浮かべた家康にそう聞かれて、幸村はこくんと頷く。
……なんだか夢のようで信じられないこの状況に、幸村の胸は高鳴りっぱなしだ。

家康はどうやらこれを楽しんでいるらしく、ずっとニコニコとしながら幸村の口に粥を運んでいた。そんな状況がしばらく続き、小鍋の粥が全て無くなると家康は偉いな、と言って幸村の頭を撫でた。

「こ……子供扱いしないでくだされッ」

「あぁ、ごめんな?真田は可愛いから、つい」

そんなことを家康が満更でもなさそうにさらりと言ってのけたので、言われたこちらが恥ずかしくなって幸村は赤くなる顔を隠すように俯く。やっぱり可愛いな、なんて追い討ちをかけられて、家康の顔を見ることが出来ない。どういう言葉を返すべきなのか分からずにいると、家康は不意にごそごそと懐を漁り始めた。

「そうだ真田。熱冷ましの薬を作ってきたんだ」

「作って……?あ、そういえば……貴殿は薬の調合が得意なのでござりましたな」

「ふふ。結構広まってるんだなぁ、噂は」

そう笑顔で家康は小さな竹筒を取り出す。お猪口より少し大きい位の容器が紐で結び付けられており、それを解いて外すと中に入っているらしい液体をその中に出した。家康が差し出してきたそれを受け取って中身を覗き込む。

「……毒に御座るか……?」

「薬だぞ!?」

やけにどろりとしていて、綺麗に言えば深緑、率直に言うとドブ水のような色をしたそれはどう見ても毒にしか見えない。家康が薬の調合が得意であり、その効果は抜群だということは噂に聞いているが、どうも信じ難い見た目をしている。

「あ、味は……どんな味が……?」

「んー、薬草だからなぁ。結構ドロドロしてるから……苦いのは強いぞ?」

「……なっ、なら要りませぬ……!」

「ちゃんと効果はあるから!明日には元気になるし……グイッと!グイッと行けば多少はマシだ!」

「嫌でござるぅあぁ……!」

「うーん……なら、ほら真田、貸してくれ」

そう言われると幸村は素直に家康に薬を返す。どうにかして飲みやすいようにしてくれるのかと思い家康を見ていると、少し薬を見つめていた彼は意を決したように、一息でそれを自らの口に含んだ。

「ッえ、ぁ、徳川どっ……」

驚いた幸村が名前を呼びきる前に、僅かに開いた幸村の唇に家康は唇を重ねる。濡れた家康の舌が幸村の口内を広げ、どろりとした苦いものが舌を伝ってきた。何をされているのか未だ脳は追いつかないが、幸村は流れ込んでくるそれを少しずつ飲み込んでいく。

薬を飲ませるという目的があるとはいえ、この行為は接吻であり、それを家康からされた。そう幸村の頭が処理を終える頃には薬の口移しは終わり、家康の唇は離されていた。されたこと自体の整理はついても、感情の整理まではまだ出来ていない。純粋な幸村にとって最上級の破廉恥な行為である接吻を、想い人である家康としたことへの嬉しさと恥ずかしさとその他諸々の混ざった感情はなかなかひとつに纏まらず、幸村は問い質すことも出来ぬまま、溢れた薬を拭う家康を見つめていた。

「……はじめて、だったか?」

幸村の様子を見て家康がそう聞いてきたので、幸村は正直に頷く。

「……そうか。もうしてると思ってた……ごめんな?」

「ぁ、い、いや……その……ッ、ぅ、」

嬉しかった。
その一言はやはり、声にならない。

「……薬は飲めたから、このまま寝てれば良くなる。……おやすみ、真田」

「ッ……」

声になる前に家康がそう言ってしまったので、幸村は大人しく横になる。改めて濡らした手拭いを額に乗せられ、優しく頭を撫でられると、信玄公に様子を伝えて来ると言って家康は部屋を出ていった。

薬の苦味と柔らかい感触の残る唇に、幸村は指で触れる。お見舞いに来てくれたことすらまだ信じられていないのに、接吻までして。心臓の音はもう暫くは収まりそうにない。

「……家康、殿……」

ぽつりと呟いて、幸村は静かに目を閉じた。

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信玄公に様子を伝える、というのは嘘だ。ただ少し、落ち着く時間が欲しかった。

「ッ……何やってるんだ、ワシは」

甘い物を入れて苦味を消すとか、水に溶かして薄めるとか、幸村はそういうことをすると思っていただろう。その不意をつき、薬を飲ませるという言い訳を付けて幸村に自分から口付けしてしまった。しかもそれが彼のはじめてだったとは思わなかったが。
何処に行くでもなく先程のことを悶々と考えながらうろうろしていると、ふと視界の端にあの迷彩柄が目に入った。

「……猿飛」

「え?あれっ、徳川の旦那。どうしたの厠?」

「少しふらふら歩いてただけだ。……それよりお前、信玄公への言伝は随分長かったようだな?」

何事も無いかのように振る舞う佐助に家康はそう尋ねてみせた。佐助のニコニコとした顔が一瞬引き攣る。

「あ、あはは〜……そうなのよ〜御館様話長くて」

佐助のような者なら嘘をつくなど容易いだろうに、こんなに分かりやすい反応をする意図は家康にも分かる。はぁ、とひとつ大きなため息をつく。

「……色恋沙汰にお節介したくなるのは分かるが、これでもワシ、本来武田とは敵対してる立場だからな。薬だと言って毒を飲ませることだってできる」

「まぁねぇ……、でもアナタってそんな手使わないたちの人でしょ。それにこっちも、監視も無しに敵国の大将と一番槍を二人きりで放置するなんてしないって。ましてや毒みたいなの飲ませようとしてたらそりゃあ」

「……お前、見てただろう」

「へへ、あのまま旦那が飲みそうだったら止めに入ってたけど……大胆だよねぇ徳川さんは」

「お前なぁ……」

「いいじゃない、今頃ドキドキして眠れてないと思うよ〜、あの人もんのすごい純粋だし。いっそ徳川の旦那からお付き合い始めちゃえば?」

「ッ……」

ただの冗談でからかいの言葉でもあるのは分かっている、のだが。一瞬その通り付き合うことになった後を想像して、家康はすぐさまそれをかき消した。

「まぁ、付き合うとしたら俺様と御館様を打ち負かしてからだけどね」

「だと思った」

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再び家康は幸村の部屋に戻る。声をかけてみたが反応はなく、どうやら眠ってしまっているらしい。

「せめて挨拶くらいしてから帰ろうと思ったんだがなぁ」

顔に掛かった髪の毛をそっと直してやると家康はそう呟いた。

「このまま三日くらい居て欲しいんだけどなぁ〜旦那の為に」

「……ワシは平気だが、そちらからしたら長居するのは迷惑だろう」

「いや、正直朝に旦那が熱出した時から泊まっても大丈夫な用意はしてたから」

「……武田軍総出で応援されてるのか、真田は」

「そりゃあ次期大将が恋してるとなればね?」

武田軍は平和というか、呑気というか。小さくため息をついて、家康は言った。

「……なら、今日くらいは……泊まっていこうかな」

「ほんと〜!?じゃあまだ夕餉も出してないけど先に布団だけ持ってくるから〜!」

「持って……?待て猿飛、まさかワシが寝るところって」

「ここ」

「え」

「真田の旦那の部屋♪」

それだけ言うと佐助は家康が引き留めようと手を伸ばすより先に部屋をそそくさと出て行った。
再びため息をついて、家康は眠っている幸村を見下ろす。薬の効果が少し出てきたのか、ずいぶん赤かった頬はほんのりと染まる程度になっているし、呼吸も落ち着いている。手拭いが温くなっていたのでまた水に濡らして額に乗せてやると、幸村はんん、と声を漏らして家康の方に顔を向けた。無防備な寝顔は可愛らしくて、家康はぽんぽんと頭を撫でる。

「猿飛」

名前を呼んでも出てこないので、今はいないのか、こっそり天井裏から眺めているのか。どうか前者であることを願いながら、家康は幸村の耳元にそっと唇を寄せる。

「……好き、だぞ。真田」

……言ってしまった。

幸村のことだから狸寝入りなんてしていないとは思うが、それでもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。顔がどんどん熱くなっていくのを感じる。
それと同時に幸村の方も、耳まで赤く染まっていくのが見えた。

「え……ぁ、さ、真田……?」

家康が名前を呼ぶと、幸村はおそるおそる目を開ける。……起きていた。

「ぇ、いっ、いつから起きてッ……」

「……あ、頭を撫でたでござろう……?そこでぼんやりとしていて……す、好きだ、って……聞いて……目が覚め申した……」

幸村にまで聞こえてしまっているかと思うくらい、家康の心臓は音を立てて脈を打つ。互いに何も言葉を発せぬまま少しばかり過ぎて、先に口を開いたのは幸村だった。

「……っ、それがし、も……っ、貴殿をッ……お慕いして、おりまするっ……」

以前から知っていた自分に対する幸村の気持ち。けれど他人から伝えられた時よりずっと、幸村の声で伝えられた方が嬉しくて。その言葉は自然と家康の口から零れ落ちた。

「……恋人に……なる、か……?」

幸村は一瞬迷うような表情を見せたが、こくん、と小さく頷いた。恥ずかしがって潜り込み、目から下を覆う幸村の夜着を少し剥がして、露わになった口元にそっと自分の唇を寄せる。

「もう1回……しよう」

幸村の返事を聞く前に、家康はそのまま唇を重ねた。幸村の方から家康の唇を割るように舌を伸ばされ、そのまま二人は絡み合う接吻をする。苦い薬もないその口付けは、例えるならば砂糖菓子のようだった。


「……家康、殿」

「なんだ、幸村」

「……心臓が、うるさくて……顔が熱くて、どきどき、して……ッ薬の調合は……得意でござろう?」

「……薬じゃないが、治すことなら出来る」

そう言って、先程離したばかりの唇を再び触れ合わせる。気が済むまでしようと思ったが、いつまで経っても気が済むはずがない。佐助のことなら布団なんてさっさと用意して今頃天井裏から覗いているかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。幸村の着ている着物の襟が少しはだけて首筋が見え、その白い肌に赤い跡を付けたかった。けれどそれはまた、もう少し未来でさせてもらうとしよう。

唇が離れると、家康は幸村の隣に倒れ込むように横になった。どちらともなく微笑み合って、幸村が夜着の中に家康を入れると彼は幸村の身体をぎゅっと抱きしめてくる。幸村もお返しに優しく抱き締め返すと、温かな家康の体温でふっと眠気が襲ってきた。そのまま眠ってしまった幸村の額に家康は口付けする。

(……猿飛と信玄公、相手しなきゃだなぁ……)

佐助の口にした言葉をふと思い出したが、今くらいはこうさせてほしい。自分よりも少し小さくて細い幸村の身体を抱きしめて、家康は静かに目を閉じた。
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