※心中ネタ
雨が降っていた。
アスファルトや寮の屋根を叩く音がよく聞こえる。うるさいくらいに。だけれども、窓もドアも締め切り、じめじめとしてどこか蒸し暑く感じるこの部屋では、百の声はその雨音に掻き消されることは無かった。
「俺、陸のことが、好きだよ」
同じ身長なのに、自分よりも鍛えられていて大きく感じる百の身体。その腕の中に閉じ込められ、急に高鳴る心臓を彼に感じ取られてはいないか。呼吸が止まってしまいそうで、どんどん顔が熱くなるのが分かる。
答えを返して良いのか駄目なのか、そんな判別は付けられなかった。
「俺もっ……百さんのことが……っ、好きですっ……」
百も陸も、今やテレビで見ない日は無いほどの大人気アイドルだ。グループも事務所も違うけれどしょっちゅう仕事では一緒になる。勿論最初はただの先輩と後輩。恋愛感情なんてちっとも無かった。でも次第に、お互い無自覚に恋心を募らせて。ようやく自覚が出来た頃にはすっかりそれは大きく膨らんだ風船のようになっていた。だから百はこれ以上抑えきれずに告白に踏み切り、陸もそれに応えた。……応えてしまった。
「陸!お久しぶり〜!」
「ふふっ、一昨日会ったばっかりじゃないですか?」
「も〜陸に毎日会わないと俺死んじゃいそうなんだよ〜!?だから感動の再会のハグ〜!」
「ぅわわっ、百さんんっ……!」
スタジオ入りした陸の所に真っ先に掛けてきて抱きついてくる百に、陸は照れながらも抱き返す。そんな様子を仲がいいと見守る周りの人々。……二人が恋人同士だとは誰も知らないので、こんなことをしてもおそらく最近の百のお気に入りが陸、くらいの認識だろう。
「陸はこのあと予定あるかな?」
「予定?これが終わったらオフですよ!」
「それならデートしよう!イイ感じのカフェ見つけたんだ!今はイチゴ三昧フェアやってる!」
「わぁ……!良いですね!行きたいです!」
「んじゃ決定!」
にかっと八重歯を覗かせて百が笑う。その途端に百の後ろから、彼の相方である千がひょっこりと顔を覗かせた。
「あっ、千さん!こんにちは!」
「こんにちは陸くん。モモ、もうすぐ出番だから準備しておけ、っておかりんが」
「えっホント!?もうちょい後だと思ってたのにー……ごめんね陸!終わったら入口の銅像のところで待ってるから!」
「分かりました!行ってらっしゃい百さん!」
百が千と一緒に向こう側に走っていくのを陸は見送る。ちょっとだけ寂しくて、でもデートの約束が出来たから嬉しかった。
「……りっくん、ももりんと最近仲いーね」
それを後ろから見ていたらしい環がそう声を掛けてくる。
「えっ?あ、……そうかなぁ?」
「なんか二人とも、ちょー幸せ!ってオーラ?が溢れ出てる。なんかあったの?」
「……百さんの最近のお気に入りが俺なんだと思う!俺だって百さんのこと好きだから嬉しいよ!」
環としては何気ない質問のつもりだったろうが、陸としては恋人関係が見抜かれているのかと少しヒヤヒヤした。少なくとも陸と恋人になるまで百は後輩に対してしょっちゅう抱きついたりしていたし、そもそも相方の千との夫婦漫才をウリにしているので、公の場であのようなことをしても本当に恋人だとはまず思われまい。それが100パーセントの確信かと問われれば、首を横に振ってしまうけれど。
……万が一この関係がバレてしまったら。そのことについては、百も陸も、目を逸らしていた。触れてはいけない話になっていた。その話をするということは、すなわちこの関係の終わり、別れ話を切り出すようなものだから。
百と心が通じ合い恋人になったはいいものの、いつまでこの関係を隠し通せばいいのかは分からない。職業柄、熱愛報道なんてされたら一気に人気のガタ落ちに繋がる。殆どの場合相手はファンであることが多いが、お互いアイドル、更に男同士となれば、一体どうなってしまうのだろうか。アイドリッシュセブンがアイドリッシュセブンで居られなくなるかもしれない。そんなことは一度も考えたことがない、と言えば嘘だった。
甘いいちごパフェを突っつく百も、同じことを一度も考えたことがない訳がない。それくらいリスクを背負った恋人関係だ。でもそんな悩みなどまるで抱えていないかのように、いつもニコニコ、明るい笑顔で陸に接してくれる。好きだと囁いてくれる。そんな百の態度があるからこそ、陸はついつい落ち込んでしまいそうな気持ちを戻すことが出来るのだ。
「えへへ、いちごだけでお腹いっぱいになっちゃいそうですね!」
「ホントだねー!でも美味しいから許す!」
こうやって二人で笑いながら会話を交わせるのも、
「陸もちょっと食べてみる!?あーんして!」
「へっ!?あっ、あー……んっ」
恋人らしいことを出来るのも、
「……おいしいです……!」
「よかった!じゃあ今度は陸のやつちょーだい!」
有限だとは分かっていて、それでも確かに、幸せだった。
雨が降っていた。
ここまで差してきた安い傘は撥水性がなく、雨水が少し染み込んできている。そろそろ替え時かなんて今はどうでもよかった。
教えて貰ったマンションの階数までエレベーターで上る。百の部屋を見つけると、インターフォンを静かに押す。中からドタドタと足音が聞こえたかと思えば、ドアが開いて百が顔を出した。
「……寒いから、中入って?」
「……はい」
あの明るい笑顔を今も変わらず向けられるほど、百も強くはない。
百の部屋には買い集めたらしい雑誌が沢山置かれていた。どれも表紙に載った言葉は似通っている。ソファに座ると、陸は机の上に置かれていたひとつを手に取り、ぱらぱらと捲った。
書き手にとってはさぞ美味いネタだったろう。Re:valeの百とIDOLiSH7の七瀬陸が恋人関係だ、なんて。
その記事が世に出た最初の頃は、有り得ない、と信じない人が多かった。それは当然と言えよう。しかしその最初の記事を皮切りにして、何処で撮られたのかまるで見当もつかない写真が載せられ、あることないこと綴られ、オカルト記事くらい信憑性がないと思われていたそれは次第に現実のことだという認識が広まっていった。当事者である百と陸のところにも記者が来るようになり、どうすればいいのか困り果てている間にもその話は随分広まり、考えた果てに百と陸は少しの間休みを貰い、話をすることにした。
「それで……アイナナちゃん達は、なんて言ってたの?」
「……俺がどうしても百さんを好きなら、それはしょうがないことだって……悪いことをした訳じゃない、とは言ってくれました。でも……やっぱり、アイドルなのに恋愛沙汰、しかも百さんと、ってなると少し困るって……やんわり怒られた感じです」
「そっか……俺の方もそんな感じだった。今すぐ別れろ、とか言ってきた訳じゃないけど……やっぱり、考え直して別れて欲しい、って言うのが本心だろうね」
IDOLiSH7とRe:valeの周辺の人達は皆優しい。もしも二人がアイドルではない一般人だったなら素直に祝福してくれたことだろう。だからあまり直接的すぎる言葉で傷つかないように、優しく包み込んだ言葉で伝えてきた。
「でも……別れたくなんて……ないです……」
「俺もだよ、陸……」
わがままなのは分かりきっている。それでも伝え合わずには居られなかった。
どうすればいいのかなんて分かるわけがない。ほとぼりが冷めるまでいつまでもこうして休んでいる訳にもいかない。しかし、別れよう、と切り出す言葉がそう易々と口から出てくるほど、軽い気持ちで付き合い始めたのではなくて。
百はひとつ、思いついた。
「……陸。俺は正直、今の世界が嫌い」
「え……?」
「嫌いな食べ物は自分から食べようって思わないよね。誰かに無理矢理食べさせられるか、残しちゃうか。……俺は、残しちゃうかな」
「百さん……?」
「嫌いな食べ物を無理に食べる必要なんて無い。……ねぇ、陸。残しちゃおうよ。嫌いな食べ物なんて」
そこまで百が言うと、陸は何となく意味が分かった。
「いくら美味しそうなご馳走でも、中に嫌いなものがあったら嫌ですもんね」
「そうだよ。だからさ、残しちゃおう?」
「でも……どうやって残すんですか?」
「その食卓から立っちゃえばいいの。避けて美味しいところを食べるよりずっと簡単でしょ?」
いつもの変わらない笑顔を百は浮かべていた。
簡単なことじゃないか。思わず吹き出して笑ってしまうほどに。あぁ、どうして自分はあんなにうじうじと悩んでいたのだろう。
百と陸は一日中話し込んだ。
食卓を立つにもどんな方法でしようか。あんまり驚かせない方が良いけど、何か一言くらい言うべきかな。何も言わない方が良いのかな。なるべく楽な方が良いな。だってもう俺達は散々苦しんだから。
悪戯を仕掛ける子供の作戦会議のように、笑顔で交わしあった言葉たち。それらが途切れ、話がまとまった頃には夜はすっかり更けていた。
時間が少し遅かったとはいえ、ニコニコと笑顔を浮かべて帰ってきた陸をIDOLiSH7のメンバー達は暖かく迎えた。もう少し落ち込んだような顔をしてくるかと思っていたので、晴れ晴れとしたような陸を見て安心したのだろう。誰も深く言葉を掛けずにそれぞれの部屋に戻っていった。
自分の部屋に戻った陸は早速便箋に向かい合う。手紙を書くなんて小学校の卒業式の時に親に向けたものが最後だったはずだ。こうやって自分の想いを綴るのが新鮮で楽しい。病気がちであまり学校には通えなかったけれど、もし誰かにラブレターを書く機会があったならこのくらい楽しい気分だったのだろうか。いつの間にか3枚ほどの量になってしまった。
同じくして百も便箋に向かい合っていた。陸とは違い筆が進むのは遅かったものの、丁寧に綴った文章は自分らしくない真面目なもので笑ってしまう。百の部屋に誰かが来る機会はそう多くないが、千とマネージャーの凜人にはマスターキーを渡してあるので見つけてくれるはずだ。書き終えてペンを置くと、周囲に散らかしたままだった雑誌をまとめて紐で縛り上げた。……見つけるついでにゴミも出してくれるかな。そう考えて、おかりんならしてくれるかもしれない、と百は少し笑った。
「やっぱりアイドルは最後まで綺麗でいたいからね〜!」
「それに一緒に出来るのもこれが一番ですしね!」
最後まで二人は笑いあっていた。
「それじゃあ陸、おやすみ!」
「おやすみなさい、百さん!」
まるでまだ話し足りないけれど、消灯時間の来てしまった修学旅行生のように。明日この話の続きをしようと約束して、どこか興奮した気持ちのまま眠りにつくように。
──今から彼らが自ら死を選ぶなんて、到底思えないであろう。
引き裂かれるくらいなら、一緒に朽ちる方がいいと笑った。
だからこの道を選んだ。
出来ればもっとふかふかのベッドで家族に見守られながら、とかが理想だったけれど、そんなもの、陸と一緒じゃないなら価値なんかない。
ねぇ陸。楽な方法がいいって言ったけれど。俺は陸と一緒なら、どんなに苦しい方法だって良かったよ。でもそれじゃあ、最後までニコニコ、俺達らしく死ねないもんね。
くらっと目眩がするような眠気が襲ってきた。ぼんやりとした視界の中で、百はそっと陸の手を取った。陸も弱々しくだがその手を握り返してくれる。
……幸せだな、と百は思う。
静かに目を閉じた。
雨音が心地よかった。
「────どうすれば良かったのかな」
「……分かりませんよ、そんなの」
くいっと缶ビールをあおって、大和はそう返した。
百と陸が見つかったのは車中。練炭での一酸化炭素中毒による心中だった。
話に聞く通りその死体はとても綺麗で、血色のいい頬を軽く叩けば目覚めそうなほどだった。だからこそ、死んだと言われても信じられない人の方が多かった。
Re:valeは一人きりになってしまい、千はソロ活動でアイドルを続けている。IDOLiSH7は七人ではなくなってしまったけれど、名前は変えずに今も活動中だ。……しかしながら当然、メンバー達もファン達も、未だ死を受け入れている人数というのは数える程しか居ないだろう。大和は比較的その死を受け入れている内の一人だった。
千もソロで精力的に活動しているとはいえ、内心はまだ受け入れていない面が大きいだろう。彼はこれで二度も相方を失ってしまったのだから。
世間からバッシングを受けて、彼らがどんな話をして、どう死に踏み切ったのかは謎のまま。残されていた遺書にその動機は特に書かれていなかった。けれど大和は直接その死体を見て理由を悟り、そして彼らの死を受け入れたのだ。だって確かに彼らは、最後まで笑って手を取り合っていたから。
土砂降りの雨を見てポジティブな感情を抱く人は居ない。でもその中に立ち尽くして、二人で一緒に溶け合えたらきっと幸せ。そうしたらいつまでも一緒にいることが許されるから。
大和は窓の外に目を向けた。雨がうるさいくらいに音を立てて降っている。
「……おやすみ、良い夢を」
ぽつりと呟いたその言葉は、雨音に掻き消されて消えた。