不思議な奴だな、と家康は思う。

「そ、その……某のこと……名前で呼んでくだされ……!」

耳まで真っ赤に染めてそう言ってくるのは、家康がいつも「真田」と名字で呼んでいる幸村だ。お願いは大したことではないのに、まるで告白した後のように家康の返事を僅かに肩を震わせながら祈るように待っている。

「別に、構わないが……急にどうしたんだ?」

そう家康が返すと、幸村は僅かにぴくっと身体を跳ねさせて、えっと、と言葉に詰まった。俯き気味でもじもじしている姿は、何時もの快活で明るい姿とは程遠い。何かしてしまったことでもあったかなぁ、と家康は記憶を辿ってみるが、特別彼にしたことなどないはず。そう考えていると、ようやく幸村が口を開いた。

「ぇ……えっと……その……家康殿は……某だけ、名字で呼んで来まするゆえ……某以外はみな名前で呼んでいるではござらぬか……」

「え……あぁ。そう言えば、確かに名字で呼ぶ人は少ないな。ごめんな、気に障ってたか?」

「っちがっ……そ、そんなことはなく……某も、名前がいいなと思って……」

「そうか、じゃあ今度から下の名前で呼ぶよ」

そう言うと幸村は赤い顔をますます赤くして、激しく縦に何度も頷いたと思えば逃げ出すように走り去っていってしまった。なんだったんだろう、と家康は首を傾げる。

「ゆきむら……幸村、かぁ……」

今までずっと真田と呼んでいたから、しばらく幸村呼びには慣れないかもしれない。でもまぁ、なぜそんなことをわざわざ頼んで来たのかはともかく、少しは彼とも絆を深めることが出来たということだろうか。そう思うと家康は嬉しくて顔を綻ばせた。



どうしよう。

どうしよう。

どきどき、どきどき、うるさいくらいに音を立てる心臓はなかなか収まってくれない。

家康の前から思わず逃げてしまってとりあえず屋上に向かった幸村は、ドアを閉めるとそっと自分の頬に触ってみた。火傷してしまうんじゃないかと思うくらいに熱くて、幸村はへなへなとその場に座り込む。

絶対に変な奴だと思われた。でも、今後家康にはずっと「幸村」と呼んでもらえる──。
嬉しくて嬉しくて、耐えきれずにぎゅっと自分の身体を抱き締めた。この嬉しさを共有してくれる人は一人も居ないけれど、きっと少しは家康も自分のことを意識してくれる。

「……何してんの、ゆきちゃん?」

そう頭上から声がして、一人きりだと思い込んでいた幸村は驚いて思わず飛び退く。声のした方を見上げると、そこには同級生の慶次が頬杖をついて不思議そうな顔をしていた。

「まっ、まままま前田殿……っ!?どうしてこんなところにっ……」

「どうしてって……今日はいいお天気だし昼寝してた。そしたら誰か来たから覗いたらゆきちゃんが変なことしてて声掛けただけー」

「ぅ……そ、そうでござるか……」

「んで、ゆきちゃんはなんで屋上来たの?お昼休み終わっちゃう頃なのにさ」

「っそれは……その……」

家康殿に名字から名前で呼んでもらうように頼んできただけ、と言うなんてまず出来ない。返答に困っていると慶次は上から飛び降りてきて、幸村の隣に座った。

「ゆきちゃんもサボり〜?珍しいねぇ、何時もは俺に説教してくるくらいなのに」

「サボり……ぅ……今日は、良いかも、しれませぬ……」

「……ホントに何があったの?ケンカ?」

「ケンカではござらぬ……」

「恋?」

「っぶふっ!?」

「お、当たった」

やった〜と呑気にニコニコしている慶次を幸村は睨みつける。男なのに随分恋バナが好きな彼にとってはまさに水を得た魚のようなのだろう。まぁ、おそらく他人に言いふらすようなタイプではないだろうから構わないが。

「で?相手は?誰なの誰なの?」

「……おなごでは、ござらぬ」

「おおっ、男同士の恋ってやつだね!うんうん!誰誰!?俺当てよっか!?」

「そんな自信満々で当てられるのでござるか……?」

「家康」

「っぶふっ!!?」

「おぉ、また当たった」

やった〜とまたも呑気にニコニコしている慶次を幸村は冷や汗を垂らしながら見つめた。佐助にすらバレていない恋心を考える素振りもせず一瞬で見破るその能力は、恋バナ好きの真骨頂というものなのだろうか。恐ろしい。

「な、何故そんなすぐに……!?」

「んー、俺は今話してる時点で違う、政宗はライバルだし違うかなって、佐助はお兄ちゃんみたいな感じだし、三成とはあんまり話してる印象無いし、んじゃ家康かなって」

「……その頭の回転の早さ、学業に使ったらいかがにござるか……」

「あっはは、俺勉強嫌いだからしょうがないねー」

苦笑いを浮かべた慶次はふあ、と大きな欠伸をひとつして寝転がった。

「家康ねぇ……うんうん、恋多き人だよ……」

「っ某以外にも家康殿に想いを寄せる人が居るのでござるか……!?」

ぽつりと呟いた慶次の言葉に思わず幸村は食いつく。そんな幸村に落ち着け落ち着け、と宥めて、慶次は空を眺めながら言った。

「そりゃあそうだよー、生徒会長で成績はいつも十位圏内、スポーツだって何でもこなすし、気配りもできて優しい爽やか笑顔のイケメン!……となればモテないはずがないよねぇ」

「う……た、確かに……」

「って感じで女の子にモテモテだけど、ゆきちゃんみたいに男の子が恋愛対象の人からもかなーりモテてるよー?家康って」

「え……!?」

「俺は女の子が恋愛対象だからよく分かんない感覚だけどさー、家康ってがっちりしてて男らしい体型でしょ?腹筋バキバキに割れてるし。だけど童顔で人懐っこい可愛いところもある。だから率直に言っちゃうと無理矢理抱きたい?とか?そんなこと言ってる人が多いなー」

「抱きっ……!?はっ、はは破廉恥なっ……!!」

「そういうゆきちゃんは?家康抱きたいの?」

「そそそそそそんな訳ないでござろう!!そもそも某破廉恥なことなどしませぬ!!」

「そんなの健全な男子高校生じゃないよぉ!河川敷に落ちてるグラビアで興奮する小学生のままじゃ駄目だよ!」

「いつの時代の話でござるか!!そんなものもうネットでっ……あっ……」

「……してるんじゃないの〜?」

「っうぅ……」

「んで?抱きたいの?抱かれたいの?」

「……抱かれたい……にござるよ……」

「おー、はじめてのケースだ!じゃあどっちかというと女の子寄りの考え方で家康のこと好きになったんだね〜、うんうん」

「それが何かあるのでござるか……」

「んーん、なーんもない。けどゆきちゃんも家康も俺のいい友達だしなぁ〜」

そう言うと険しい顔をして慶次はうーん、と唸り始める。首を傾げてしばらく見つめていると突然ぽんと手を叩いて慶次は起き上がった。

「ゆきちゃん!その恋、俺が手助けしてやるよ!」

「え……なっ、何を言って……!?」

「俺結構恋愛相談受けること多くてね、それって家康を好きな人を把握してるってことじゃん?だから家康にそういう目して近付く人が居ても俺らはすぐ気づける。俺らはその人より家康に近づいていけばいい!これってかなり有利だよ!」

「た……確かに……!」

「家康は隣のクラスだから休み時間、昼休み、放課後、全部注ぎ込むくらいで行こうねゆきちゃん!俺が頑張ってあげるから!」

「前田殿……!」

「ゆきちゃん……!」

がしっ、と二人で手を取り合う。
こうして慶次の協力のもと、幸村の恋愛成就への道が始まったのだった──。

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「いっえっやっすっー!」

「うぉ、どうした慶次?」

ぴょんっ、と後ろから飛びついてきた慶次に家康は相変わらずニコニコ笑顔を浮かべてそう訊ねてきた。

「ねぇねぇ、ここに俺のバイト先のスイーツ食べ放題無料チケットが2枚あるんだけどさー」

「え?バイトは校則で禁止だぞ」

「あっやべっ、……見逃してよぉ家康ぅ〜」

「……仕方ないなぁ……。それで……何だ?」

「そんでね、俺バイトだからこのチケット使えなくて無駄なのよー、誰か誘って一緒に来てくんない?」

「……おぉ、それなら今度の土曜にでも行こうかな。ありがとう慶次」

「ふふーん、どういたしましてー!んじゃ!」

そう言うと慶次は家康のもとから立ち去る。姿が見えなくなると小さくガッツポーズをした。
甘いものといえば幸村、という考えは家康にも絶対ある。これならきっと家康の方から幸村を誘ってくれるはず──!


土曜日。

「……へ、あ、え?」

「本当にありがとうなぁ慶次、忠勝ってこう見えてすっごくスイーツが好きで」

「…………!!」

家康の隣、いや背後に居たのは幸村ではなく忠勝で。忘れていた。家康には第一に忠勝という存在がいる。まさか恋愛関係にはないと思うが予想外の展開に、二人を席に案内しながら慶次は唇をぎゅっと噛み締めたのだった。

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「ねー家康、今度テストあるじゃん?数学のさー」

「あぁ、あるな」

「それでなんだけど、ゆきちゃんが家康に数学教えて欲しいって……!なんとか予定開けられないかなぁ……?」

勉強会。これなら相手も指定できるし何より二人きりになれる絶好の機会。まだバイトを始める前に家康に数千円お金を借りたことがあったが、その時を思い出して同じような頼み込み方をする。これなら絶対に家康もいいえとは言えまい──。

「うーん……テストもそうだが、その後にすぐ球技大会があるだろう?その準備もあるから、ちょっと難しいなぁ……」

「あっ、そっか……」

「ごめんな慶次、真田にはそう伝えておいてくれ」

「あ……う、うん!分かった!」

生徒会長という立場を勉強会が出来ないくらい忙しくさせている教師陣の元へ殴り込みに行きたくなった。ブラック企業か。そう言いたいのをぐっと飲み込んで、慶次はまた次の作戦を考えるのだった。

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「家康ー、いえやすぅー?いるー?」

一年二組の教室をドアのところから見渡すが、家康の姿は見当たらない。先日のこともあって忠勝のクラスも見に行ったが忠勝は風魔と二人で何かをしており、となれば家康は生徒会室に居るのだろうと推測した慶次は生徒会室に向かった。

「いえや……」

「っ家康さんっ、好きですっ……!!」

慶次が生徒会室のドアに手をかけた瞬間、中から聞こえてきたのはあからさまな告白の声。この声は確か五組の女の子の声だ。音を立てないように注意しつつ、慶次はそっとドアに耳を当てる。

「っその、ずっと前から好きでしたっ、だから私と付き合ってくださいっ……!」

「……すまない、それには……応えられない」

「っどうしてっ……」

「……ワシにも好きな人がいるんだ。だから……ごめんな」

(……!!)

反対側のドアが開いて中からその子が飛び出して行った。……彼女が告白をしたことに何の問題もない。問題なのは家康の返事、それも、好きな人がいるという理由で彼女を振ったことだ。
家康の好きな相手が幸村でなければ、今までの慶次の努力は水の泡。

「……誰かいるのか?そこに」

そう中から声をかけられ思わず慶次は肩が跳ねた。いやしかし、ここは潔く前に出るのが男ってもの。

「なんだ、慶次か。聞いてたのか?今の」

「……あぁ」

「はは、そうか……恥ずかしいな、なんか……」

「……家康、ひとつ……聞いてもいいかい?」

「うん?なんだ?」

「家康の好きな人って……誰だ?」



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「ゆきちゃんっ、ゆーきちゃんっ」

「前田殿。いかがなされた?」

「いやー、俺バイト忙しくなっちゃったから、しばらく家康とのこと応援できそうにないや!ごめんね!」

「え……えぇ!?」

驚いた顔をしている幸村に、思わず緩んでしまいそうな頬を必死に抑える。もう、慶次の協力は必要ないのだから。

「あっ……俺じゃあ行くわ!んじゃね!」

「まっ、待たれよ前田どっ……」

「幸村」

「っへぁっ!?」

とんとん肩を叩かれ、耳に届いたのは家康の声。

「ふふ、ごめんな、慶次と色々話してたところに。……二人きりになれるところ、来てもらってもいいか?」

「へ……?あ……あぁっ、構いませぬ……!」

覗き込むようにしてくる家康の顔が直視出来なくて目を背けてしまう幸村の手に家康はそっと触れる。びくっ、と幸村の身体が跳ねても気付かないふりをして、そのまま指先を絡めた。




(あーぁ、最初っから協力なんて要らなかったじゃんか)

「……っへへ、これだから恋って良いもんだよなぁ!」

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