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Shigeru Tsugai



「……本気?」

「本気じゃなかったら、渡さないと思うんですけど」

驚きに目を見開いて、それ以上の言葉が出なかった。
正面の少女は、真面目な顔をしている。
都賀井の言葉にもその顔を崩さずにまっすぐ伸ばす腕がその証明。
手が持つものは、退部届け。

「理由、聞いてもいい?」

これが美術室ならばもっと強く言い放ったであろう言葉も、今は他人の目──ここが職員室で昼休みだから、他の先生もたくさん居た──があるから、なるべく落ち着いて放つ。

「家庭の事情、で」

ちらり、と彼女の視線が自分から逸れ斜め上を見た。
その動作でその理由が嘘だとわかる。
これでも2年は美術部の顧問として美術部員である彼女を見てきたのだから。

(それ以上の感情は置いておくとして)

彼女のそんなクセくらいは覚えている。

「そう、残念だな……絵の方も上達してきてたのに」

「す、みません……」

「うん、取り敢えずこれは預かるね」

何でもない事のようにその手から紙を1枚受け取る。
にっこりと微笑んで。
一瞬だけびく、と彼女が震えたのは見なかった事にして。

「荷物、放課後忘れずに取りに来てね」

「はい………」

少しだけ呆然としたような顔で、でもしっかり頭を下げて彼女は職員室を出て行く。
その背を扉から消えるまで見続けた。

「……滋くん」

「ああ、真尋。どうしたの?」

「彼女……やめてしまわれるのですか?」

「うーん」

2人のやりとりを見ていた真尋が、気遣わしげに声をかけてくる。
見過ごせないのは、その瞳の奥に見えた赤。

「そのつもりみたいだね」

「残念ですね……彼女の絵は私も好きだったので」

「あはは、絵、だけ?」

「……何の事ですか?」

「茶華道部にでも、誘う?」

「滋くん?」

「……次の授業の準備しなきゃだから、僕はそろそろ行くね」

何の事だかわからない、と言わんばかりに首を傾げた真尋に。
片手をあげてそれ以上の会話を止めた。
足早に職員室を出て、美術室へ。
放課後を待ち遠しく思いながら。








「あれ、もう来てたんだ?」

放課後、職員室から美術室へと早々に行けば、すでに彼女は荷物をまとめ始めていた。
その背に声をかけると怯えたように振り返り、僕を見る。

「つ、都賀井先生こそ……いつもより、早いですね」

「そう?」

それは当たり前で。
普段なら部活の前に女の子に捕まって足止めを食らうのに。
それを遮ってきたのだから。
視線を彼女の手元に持って行けば、粗方纏め終わった荷物。

「……本当に辞めちゃうの?」

一歩ずつ近寄り、声をかける。
荷物に視線を移した彼女が、また手を動かし始めた。

「な、にを今更……受け取っていただけたじゃないですか、退部届け」

「受け取っただけで、まだ提出はしてないよ?」

「え?」

「ほら」

近寄りながら、彼女の目の前に1枚の紙をちらつかせる。
小さな口を開いて、呆然とそれを見ていた。

「ちょ……ッ何で」

「出したくないから」

「………は?」

「だって嫌なんだもん」

「もんって……!なら、直接わたしが責任者の先生に出します!返してください」

「ねえ」

目の前で立ち止まった僕にさっきの職員室の時同様、手を差し出す。
僕に向けられた掌。
掴んでいた退部届と書かれた紙を離し、ひらりと舞うそれを目の端でとらえて。
彼女の手をそっと取った。

「都賀井先生……?」

軽く持ち上げ、腰を屈め。
その掌に優しく唇を落とした。
視線だけで彼女を見る。
頬を染めた彼女を。






懇願キス





「辞めないで」

「何、を」

「僕の傍に居てよ」



他の奴の所になんて 

   行かない で






fin
掌なら懇願
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