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キスの格言
8.Kyohei Ogata


理由なんてわからないけれど、でもそれでも

私は  貴女を───




真夏の放課後の図書室。

外の暑さを考えると、ここは涼しいからか他の季節よりもよく人が来る。

それを煩わしいと思うのは、委員としては正解ではないのだろう。

ただ、真面目に本を読みに来る人間が少ないというのはやはりいただけない。

どんなに暑かろうと、ここは涼むための場所ではないのだから。

騒いだら怒られると理解はしているのか、そこまで大声を出す人間はそういないが。

それでも騒がしい人間を注意していくのも図書委員の務めだと、館内を歩いていた。


「あ、緒方君!」


ハキハキとした声でこちらを見て近寄る教師。

…今の段階では、彼女の声が一番響く。


「ここは図書室です。もう少し声を抑えてください」

「あ、ごめんね」


慌てたように少し小声にし、目線はあげたまま頭をちょっと下げる。

その仕草はひどく幼く見える。


(これで教師だというから、本当に…)


呆れ、ため息をつくも、今更かと半ば諦めもある。

そして、そんな彼女を可愛いと思ってしまう自分にも諦めている。


「で?」

「え?」

「私の名前を呼んだのだから、何か用があるのでしょう」

「へ?」


抜けたような返事に、眉間に皺がよった。

ああ、またこの人は


「……何も考えていませんでしたね」

「あはは、いや、姿が見えたから思わず呼んじゃった」

「全く、貴女と言う人は」


お説教をしそうになるも、彼女が肩にかけていたカーディガンがずり落ちそうになったのが目に入り、言葉が止まった。


「っと」


一分か二分か、そう長くもない袖の白いブラウス。

その上の肩にかけられた水色のカーディガンが露出を抑えていたのだが、それが少しずれて。

それを彼女が直そうと、手を持って行ったそこに視線が導かれてしまう。

直視できず、思わず目を逸らした。


「館内では静かにしてくださいね」


そのまま踵を返し、カウンター内に戻る。

はぁい、と彼女の放った返事には顔を向けなかった。

向けれたなかった、が正解かもしれないが。


理由なんてわからない。

けれど、いつの間にか。

私の中での彼女が大きくなっていたのは事実で───








───そこから、数時間。

下校時間を告げるアナウンスが流れた。

数分前に最後の来館者が出て行ったのを見届けたが、一応館内を見回る。

そういえば彼女が出て行った姿は見ていない。

けれどいつも1時間程度でいなくなる彼女だから、今日はきっと自分が裏に行っているうちに戻ったのだろうと考える。

いくら新任教師といえど、仕事はあるはずだ。

放課後ずっと図書室で時間を潰しているはずなんてないと、寂しくもありつつ仕方ないという思いもあった。

それなのに、


「……全く、貴女と言う人は」


今日、何度目かわからない同じ台詞を口がついた。

それでも普段その言葉を発する時よりも、自分の口調が幾分穏やかだったのを感じる。

図書室の奥の方。

教師しか近寄らないような、資料が多々ある場所に置かれた席で。

組んだ腕に頭を乗せ、気持ちよさそうに眠る姿。


「こんな冷房の効いた空間で、こんな薄着で───」


口にして、自分の目線が先ほど見えた腕に行ったことに気づいた。

露出された、決して太くはないのに柔らかそうな白い腕。

その滑らかそうな肌に、そっと手を伸ばす。

触れた腕は、少しだけひんやりとしていた。


「っ!」


何故触ってしまったのかわからないけれど、思わず手を引き戻す。

自分の体温より冷たいそこは艶やかで。

心臓がドクリと鳴った。


「……っこんな所で、寝ている貴女がいけないんです」


衝動が、 自分を

   突き動かす




手で触れたのと同じ場所に、そっと唇を


すぐに離れて、肩に自分のブレザーをかけてその場を離れた。





恋慕キス






「ごめんね!いつの間にか寝てたみたいで…っ」


そこから10分。

最終下校を告げるチャイムが鳴り起きたのだろう彼女が、慌てたように入り口まで駆けてくる。


「これ、緒方君のよね?ありがとう」

「いえ」

「じゃあ、わたし戻るわね。緒方君も早く帰るのよ?」

「ええ」

「さようなら、また明日ね」


返されたブレザーにしみついた匂いに、また心臓が跳ねた気がした。








fin
腕なら恋慕
参考:フランツ・グリルパルツァー『接吻』/pixiv百科事典


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