罪ノ子
 吸血蝶々 / 伊織


「伊織……っ!」
「えっく、ずび……っひろむく、うわぁあん!」

 宏夢に抱き上げられた伊織は、箍が外れたように大声で泣いた。しがみついた胸板は冷たく汗ばんでいて、つい先刻までの切迫が伝わってくる。
 聞きたいことはたくさんあった。デクロのことや駆蹴の血のこと。それから、本当に妊娠してしまう体なのかということも。
 けれど今口を開けば、自分で招いた後悔ばかりが募って、潰れてしまいそうだった。

「うっ、ひぐ、宏夢ぐんっごめ゛んなさい……っ」
「いいんだ、怖かったな。何も説明しないでいた俺が悪かった」
「ち、ちが……っ、伊織が……いおりが」
「ばか、そんなに泣くな。伊織はいい子だろう」
「……う、えぅ」
「これからは駆蹴と二人で守るからな」

 涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をハンカチで拭かれて、ようやく落ち着いてくる。
 これから駆蹴も一緒に住むなんて本当だろうか。単純な好奇心も無いわけではなかったが、不安のほうが大きい事は確かだ。
 伊織にとって、駆蹴は色んな意味で危ない。
 思い返せば赤面するような事ばかりで、失禁したり、夢中で指をしゃぶったり、大事な物を膝で挟んだりしてきた。
 妖しい大人の魅力に免疫もなくて、またいつ自分が狂った行動をとるのか予想もつかない。

(……か、駆蹴さんって、裸で寝るのかな)

 …………エッチっぽい

「は?」
「えっ!? な、なんでもない!」

 思考を垂れ流していた口を慌てて塞ぐ。
 握りしめすぎて皺になった煙草の箱は、伊織のポケットに入ったままだ。返すタイミングを見失っておろおろしている内に、どうやら駆蹴はそんな事など忘れたらしい。

「俺は先に戻るぞ。部屋に来るタイミングで連絡してくれ」

 低いバリトンでそう告げると、あっさり踵を返してしまった。

「駆蹴、その……今更だが、本当にいいのか?」
「お前に協力すると決めた時に、ある程度の覚悟はしている」
「……っ、」

 言葉に詰まった宏夢の肩がわずかに震える。
 この前もそうだったが、宏夢にとって駆蹴の存在はかなり大きいらしい。いつでも伊織が一番だった優先順位も、彼が加わる事で変わってしまう。

 今後、もし自分と駆蹴を天秤にかけた時、宏夢がとるのは駆蹴かもしれない――そんな醜い憶測が、伊織の底にひっそりと生まれた。

「〜〜ひ、宏夢君!」
「なんだ、急に」
「う……えっと、伊織は何持ってけばいい? パンツ?」
「お前、楽しいお泊り会じゃないからな」
「わかってるよぅ」

 呆れた宏夢にぴんっと弾かれた額を押さえる。
 親をとられた子どものような嫉妬が恥ずかしいのに、どうしても我慢することが出来なかった。

 斯くして奇妙な三人の共同生活が始まった。
 この決断を後悔する事になると、誰も気づかずに。


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