罪ノ子
 呼ブ声 / 龍二


 りゅう


 八重の声がする。
 毎日、毎日、名前を呼ばれるのが当たり前だったからか、今でも、幻聴のように聞こえる。
 しかし日に日にそれは小さくなっていく。


 りゅう


「……ぁ、――八重」

 はっきりとそう呟いた自分の声に目を覚まし、辺りを見渡す。
 いつの間に転寝していたのか、まだアグニス格納庫のデッキの上だった。いったいどのくらい寝てしまったのだろう。
 がりがりと頭を掻きながら龍二は体を起こした。
 目の前は眩しいほどに鮮やかな夕焼けだ。その上を棚引くオレンジの雲を横切るように、カモメが気持ち良さそうにすいすいと飛んでいる。
 いつか、八重の涙をぴたりと止めた夕焼けは何年経っても変わらない。あいつは鼻水垂らしながら、「きれいだ」と言った。

 一体、自分は何を守ったのだろう。
 何のために、帝国隊になったのだろう。
 毎日当たり前のように訓練を受けて、誰を助けたのだろう。
 一番守りたかった人は、もう隣にいない。

「龍兄?」

 ふと不安げに自分を呼ぶ声に顔をあげると、真乃がいた。
 まさかとは思ったが、見間違えるはずもない。戦争が終わったばかりの傷だらけのケージの入り口は、いつものように一号館の正面玄関だけではなくなっているのが事実だ。
 特に攻撃を受けて剥きだしになっているアグニス格納庫は、入ろうと思えば誰でも簡単に侵入できる。昼間の子供がいい例だ。真乃もきっとその噂を聞きつけてきたのだろう。
 見慣れたエプロン姿の彼女は、少し痩せて見えた。

「真乃、何で」
「だって、戦争が終わったのに、誰もうちに来ないんだもん」
「あほ、終わったって言っても休戦だ。また来年があるし、みんな忙しいんだよ」
「だって……」

 龍二を見て一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐにデッキに駆け上ってきた。

「ここにきたら、誰かに会えると思ったから」
「まさかお前、歩いてきたんじゃないだろうな」
「うん、そうだよ」
「馬鹿、危ないから二度とするな」

 けど、やっぱり龍兄に会えた、と隣にしゃがむ真乃は心なしか元気がない。

「……真乃は変わらないか」
「うん、帝国隊が頑張ってくれたおかげだよ」
「そうか」
「龍兄、元気そうでよかった」
「……」
「八重ちゃんは?」

 どくん

 指の先が震える。
 当たり前のように告げられた名前は、残酷に龍二の傷口を抉る。
 ふと口を噤んだ龍二を見上げた真乃の表情が曇った。勘のいい少女は、次の言葉を聞きたくないというように表情を固くし、顔を背ける。
 しかしそれより早く龍二の唇が開いた。

「死んだ」
「嘘よ」

 いつも八重と口喧嘩ばかりしていた彼女の気丈な声が、震えた。

「……いや」

 真乃の大きな瞳に涙が盛り上がる。ぼろぼろとそれが頬をつたうのを、どこか龍二は他人事のように見つめていた。

「私、ちゃんと八重ちゃんに“好き”って伝えなかった」

 うわああん、と声をあげて泣く真乃の隣に座ったまま、龍二は動けなかった。
 まるで、自分の気持ちを代弁したかのような真乃が、張り裂けんばかりに泣いている。

 会いたい
 会いたい、
 八重ちゃんに会いたい

 子供のように泣きじゃくる真乃の隣で、龍二は自分の掌を握り締めた。唇を噛み締めてみても、自分の頬にも熱い涙が伝うのを、どうしても止められなかった。
 同じだ、そんなの俺だって、同じだ。
 そう叫びたくなるのを堪えながら、ただ、黙って座っていることしか龍二には出来なかった。


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