思ノ子
 人体研究所 / ソラ


 雨音に濡れる夜に、ソラはふと目を覚ました。
 窓を伝い落ちる雫の影に、揺れる部屋は寂然としている。取り残されたような孤独感がしたが、隣で眠るアタルを確認すると自然に唇は弧を描いた。

「……、間抜け顔」

 鼻通りが悪いのか、ぽっかりと口を開けている。口角が上がっているので、微笑んでいるようにも見えて少し可笑しい。
 起こさないようにその頬を撫でると、ソラはベッドから下りた。
 異様に喉が渇いている。
 渡り廊下の自販機で牛乳瓶を買うと、急かされたように喉へ流し込んだ。
 しかし何ひとつ満たされない。
 やはり『あの』牛乳でないと駄目みたいだ。

「……、はぁ」

 深いため息をついて見上げた天井には、誘蛾灯が吊るされている。しばらく電源が落とされていたが、初夏を迎えた今、それも時間の問題だろう。
 俯いたソラは逃げるようにその場から離れた。

 部屋に戻る途中、瑠依と羅依の部屋から細い光が漏れているのに気がついた。
 さっき通り過ぎた時はついていなかったはずだが、ドアの隙間から中を覗くと、裸体に白衣だけをまとった瑠依がパソコンの画面を真剣に見つめていた。

「……なぁ、羅依。あいつらの実験って今度のでおしまいかな」

 間延びした声に呼ばれて、部屋の影から羅依が現れる。瑠依のうなじに鼻先を押し付けると、そのまま背後から抱きしめた。

「そうだな、力が一年以内に出なかったら研究は失敗だ」
「……ははっ、そうしたら、あの二人はどうなるんだ?」
「殺すしかないだろう」

 びくん

 羅依の低く冷たい声が、ソラを凍りつかせる。
 実験って、俺たちのことか?
 けれど、殺すって、まさか、……そんな、

「なあ瑠依、全部終わったらどうしようか」
「そんなこと俺たちに決められんの?」
「ばか言うな、決めるんだよ」
「…………」

 無言になった瑠依は視線を落とすと、再び机上のパソコンに向き直った。

「おい、俺の話よりもパソコンが大事か?」
「そうだよ、大切なライフワークだ」
「さっきからずっと見てるじゃないか、何だよそれ」
「んー、日記書いてる」
「ふうん、俺にも見せてよ」
「……それなら、俺の一番好きな人を当ててみせて」
「え?」
「その人の名前が、パスワードになってるから。ヒントは、アルファベットで三文字」
「誰だよ、それ」
「双子なんだから、言わなくても分かるでしょ?」
「口に出さないと伝わらないこともある」

 焦れた羅依は、瑠依の細い顎を持って上を向かせると、その唇を舐め上げた。

「ん、……ぅ……羅依……」
「!」

 甘えた喘ぎ声、ひたりと混じる影。
 熱に浮かされる二人を目の前にしたソラは、漸く我に返ると慌ててその場を離れた。
 見てはいけないものを見てしまった自覚と罪悪感を隠すように、自分の部屋のドアを閉める。
 大して走ってもいないのに心臓が飛び出しそうにうるさかった。

「んぅ……」
「!」

 窓際のベッドで、アタルがのんびりと寝返りをうつ。艶々したツツジ色の唇は、穏やかな寝息をたてて開いていた。

 じり、

 じり、じり

 足音を忍ばせ、すべるように同じベッドへ潜る。扇形になったアタルの睫は、ぴくりとも動かない。

 舌を伸ばす。
 さっき羅依がそうしていたように。
 薄い粘膜の隙間に、欲望を差し込んでみる。

 甘い、覚えのある味――
 
「……っ」

 興奮して咄嗟に握ってしまった掌に、激痛がはしる。広げればやはり自分の血で真っ赤に染まっていた。

「……いっ……てぇ、またかよ」

 この説明のつかない現象はいつまで続くのだろう。
 まったく、不思議な、力だ。

「…………」

 ちりつく指先を見つめたソラは、雨雲の切れ間から覗く満月を確認した。

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