「ひええっ!」

なんて情けない悲鳴だ。
初めに抱いた感想はそれで、次に思ったのはとんでもなく失礼なやつ、だった。
人の顔を見るなり悲鳴をあげるだなんて失礼以外の何物でもない。
しかも私は落とした財布を拾ってやったのだ。
思わずむすりとしながら早く受け取れと言えば、顔を強ばらせるくのたまは決死の覚悟とも言える表情で私の方へそうっと手を伸ばしてくる。
やっぱり失礼な態度に苛ついてこちらからずいっと手を出したら今度はぎゃあと叫んで一足飛びに逃げてしまった。

…何だあれは。
というかどうするんだ、この財布。

「ああそれ、くのたま五年生の名字名前だろ」
「名字?知らないな」

あれから山本シナ先生に財布を届け、昼食をとりながら雷蔵たちにくのたまの話をすれば八左ヱ門から知らない名前があがった。
五年生なら同学年だし知っていておかしくない筈だが。
そんな疑問に答えるように八左ヱ門が魚をほぐしながらだろうな、と頷いた。

「俺も話に聞いた事しかないし。なんか男嫌いっつーか、恐怖症なんだってさ」
「なるほど…それならあの態度にも説明がつくな」
「八左ヱ門は何でその名字さんの事知ってるの?」
「毒虫が逃げ出した時に名字って子が捕まえたってくのたまが持ってきてくれてさ。そん時に聞いたんだ」
「うわあ、じゃあくのたまに怒られたでしょう」
「怒られたなんてもんじゃなかったぜ。あいつら女じゃねえよ…」

そんな風に段々横路にそれていく雷蔵と八左ヱ門の会話を聞き流しながら名字の事を思い浮かべる。
記憶にはないがよもや私が名字に何かしたのかと思っていたが、まさか男性恐怖症とは。
くのたまのくせにそれでやっていけるのだろうか。
色の授業はもちろん、潜入調査や戦でも当然男と接する機会がある。
だというのにたった少し会話して荷物を受け渡すだけであの調子ではくのいちになるなど夢のまた夢だろう。
かと言ってくのいちにならずに誰かと結婚するのもあれでは難しい。

「…難儀だな」

そうは思えど私には関係のない話。
どこまでもそれていく二人ののんびりとした会話に参加してしまえばすぐさま忘れてしまうのだった。

しかしその数日後。
特に予定もなくぼんやり学園の滅多に人が近寄らない辺りを歩いていた私はまたもや名字に遭遇した。
いや、遭遇したというのは語弊がある。
名字は私の背後からそうっと私を伺っては隠れる、という謎の動きを繰り返したのだ。
私に何か用がある事は明白だがどうにも恐ろしくて近付けないというところだろう。
だが名字が私に何の用があるというんだ。

疑問に思いながらそれでも私の行動は早かった。
名字がこちらの様子を伺う為に顔を出した瞬間に勢いよく振り返り、一気に距離を詰める。
そして真っ青な顔で私を見る名字に何の用だと低い声で威嚇をすれば名字は息を飲み、そして、

「おっ、おい!大丈夫か!?」

気絶した。

「どうしたものか…」

悩みながらしかし私に保健室まで運ばれたとあっては自害でもしかねないと判断して、すぐ横の木陰に寝かせる事にする。
目が覚めそうになったら山本シナ先生にでも変装してしまえばいいだろう。
ついでに私にどんな用事だったか聞いておけば万事解決だ。
それにしてもまさかたったあれしきで気絶するとは…。
本気でくのいちの道は諦めた方がいい。
なんとはなしに名字の青白い顔を眺めながら名字の進路について考える。
こんな状態でくのいちになどなれないと自分でも分かっているだろうに、何故わざわざ忍術学園に来たのだろう。
行儀見習いなら他でいくらでもできるというのに…ああ眉間にシワが寄ってるな、夢でも見ているんだろうか。
苦しげな様につい頭を撫でてやりながらまた考える。

名字は忍びの家系の者なんだろうか。
しかしそれなら余計に向いてないと判断されそうなものだ。
無理にくのいちにせずとも名字の容姿なら引く手あまただろう。
それとも誰かと結婚するよりは接触が少なくて済むという理由か。
だが一生このように男が怖いと暮らすのはしのびないだろうに。
風に揺れてふわりと顔にかかる髪をどけてやりながらふと思う。

そうだ、私の変装の術を生かしてなんとかしてやれないだろうか。
一年生の姿から段々慣らしていけばいずれは大人の男でも平気になるかもしれない。
そうすればくのいちになる事も誰かに嫁ぐ事も…

「うーん…」

つらつらと続いていた思考が名字の声で中断されてはっとする。
私は何を考えているんだ。
名字と私は何の関わりもない。
ただちょっとばかり名字が私に用事があっただけで、それが済んでしまえばきっともう会う事はないだろう。
なのに、何故私は…

「…ん、んん…ん?」
「っ、」

名字の声に再びはっとして、一瞬でシナ先生の姿へ変装をする。
危なかった、無闇に怯えさせてしまうところだった。
自分の瞬間の判断を称えながらシナ先生の姿で名字に微笑んでみせる。

「大丈夫?」
「シナ先生…私、気を失って…?」
「ええ、良かったわ目が覚めて」
「…先生、私…鉢屋君にお礼を言おうと努力したんですけど、ダメでした」

…お礼?
ああそうか、名字は私が財布を届けたと知って礼を言うためにあとをつけていたのか。
律儀な奴だ。
男が苦手なのにあんなに懸命に追いかけて…。
私の様子を伺う名字の姿を思い出し、つい笑ってしまいそうなのをぐっとこらえる。

「そんなに緊張する必要はないわ。大丈夫、あなたならきっとできるわよ」
「…はい、がんばります!」

私の言葉にそう答え、健気に笑う名字に胸がどくりと脈を打つ。
…これは、まさかあれか。
恋というものか。

自分の気持ちを自覚してしまうと名字の男性恐怖症を治そうとあれこれ考えていた理由がよく分かる。
私は名字と普通に話をして笑い合えるような関係になりたいのだ。

一連の自分の思考に納得しながら元気に手を振り立ち去っていく名字に手を振り返してやり、さてこれからどうしたものか考える。
まずは男性恐怖症を治すのに有効な方法を調べた方がいいかもしれない。
雷蔵にそんな本がないか聞いてみよう。

「…待ってろよ名字。私が絶対にお前の男性恐怖症を治してみせる」

そう笑った私の恋の成就への道のりはまだまだ険しく、長い。


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