「 ろすと 」
冬に備えて購入した丸いアロマポットが、小さな霧を吐き出しながら、少しずつ部屋の空気を湿らせている。
けれど、空気に夏の名残を感じる今日は、その加湿機能は余計なものでしかなかった。甘い蒸気が着実に沈殿している。
「……人を好きになるのに理由なんてない、って、定型文だよね」
ぼそりと呟き、キッチンから一歩、居間へ踏み入れる。
ん、と幽かにわたしの言葉に反応して、彼はこちらに手を伸ばす。求めているのはわたしの右手にあるマグカップで、その中にはたっぷりと、熱いカフェオレが入っている。
陶器の器を渡してその隣に座る。柔らかいソファが歪んで、わたしの重みを受け止めた。
「確かに定型文だけど……定型になるってことは、ある程度は真実を含んでいるんじゃない?」
「……うん。それはまあ、そうだろうけどね」
ソファの上で膝を胸に引き寄せ、息を吹きかけてカフェオレを冷ます。
マグカップに唇を付ける。彼の好みに合わせたカフェオレは季節外れに熱く、わたしの舌に馴染まず苦い。
特に言葉は交わさない。
友人たちから冷やかされることもなくなったわたしと彼との関係は、高校の頃から数えてそろそろ五年になる。安定している。歪みない。
「恋の賞味期限は二年で切れる」とはよく言ったもので、つまりここ三年間のわたしたちの関係には、些かの物足りなさすら存在していた。
だから、わたしは考える。
理由もないものを理由にしているのに、わたしたちはどうしてこんなに長く繋がっているのだろうか、と。
そして、自答するのだ。
理由はなくても、きっかけはあるのだろう、と。わたしたちの心は恋したきっかけを覚えていて、ずるずると引き摺るのだろう、と。
「ねえ」
「ん」
「好きだよ」
「うん。俺も」
いつか、貴方を失う日。
大きな喪失感とともに、わたしが貴方を好きである理由が思い知らされるに違いない。
だから、貴方を失う日。
それだけを楽しみにして、わたしは貴方を愛し続ける。