「 夢のない話。 」
「月って、昇り始めたときと空高くにあるときじゃ、違う大きさに見えるでしょう? あれって、要は目の錯覚なんだよね」
じゃらり。
紙をめくる音を掻き消すように手首から提げた鎖を揺らし、ジュンは相も変わらず気だるそうな仕草で呟いた。
いつもと同じ午後六時、ではない。ちょっと早めの午後三時。時間を持て余して蔵書室を訪れると、ちょうどジュンのおやつの時間だった。
休日は読書するだけで幸せだと言う彼に話し相手を強要すると、呆れたように笑われてそんな話が始まった。
「低い位置に月があるときは、僕たちは自然に、建築物を比較対象にしてるの」
とぽとぽとマグカップにお茶が注がれて、お煎餅と一緒に手渡される。
ダージリンのセカンドフラッシュ。香り高く渋味も強い、ジュンのお気に入りだ。
「ほら、建物はすごく大きいものって認識してるでしょ? 自分が知っている大きなものと比較してるから、月も大きく見えるんだよね」
「はあ……なるほど?」
あまりに脈略のない話に適当な言葉を返すが、わたしの聞く気の無さにすら、彼は無頓着である。
宝石のような、という月並みな表現をしてしまうほどにキラキラ輝いたレモンゼリーに手を伸ばす。口に運ぶ。ふわっと微笑み、幸せそうだ。
つい、と真っ白い指がページの上を滑り、再びぱらりとめくられる。その仕草は妙に艶っぽくて、ちょっと妬ましい。
「逆に言えば、高く昇った月は対比するものがないから小さく見えてるの。だから、硬貨とかを使って月の大きさを比べれば、月の位置に関わらず同じくらいに見えるんだって」
「へえ……で?」
「え? ……終わりだけど」
わたしの催促に不可解そうな声を上げた彼は、顔をこちらに向けてきょとんと首を傾げた。くるりと大きく青い瞳はわたしを映し、黒髪が困惑したように揺れる。
そんな彼への不満を飲み込むように紅茶を口にする。華やかに広がる香りに気を落ち着かせて、でもやっぱり、溜め息が零れた。
「……暇潰しに来た人に聞かせる話じゃないと思うんだよね、それ」
「その割りには、ちゃんと聞いてたみたいだけど」
「……まあ、暇だからね」
言い返せずに視線を逸らすと、くすくすと小さく笑われた。そして椅子ごとわたしに近寄って、子どものように頭を撫でられる。
鬱陶しくて手を振り払ったら、それでもやっぱり、彼は楽しそうに微笑んだ。笑顔の裏で一体何を考えているのだろう、分からない。
「さてと。まだ暇?」
「……さっきみたいな話だったら他を当たるよ?」
「んー……じゃ、オズの魔法使いの冒頭で、竜巻で家が丸ごと飛ばされる場面。あれを科学的に説明しようと思うんだけど、どうかな」
「夢のない話だね……聞くけど」
微睡みを誤魔化すような午後三時。
わたしの日々はいつも通り、何事もなく平穏だ。