あかりがまぶしい
01
 時間がない、と心から感じたことなんて過去に何度あっただろうか。
 日々の生活や試験や、幾つか経験して来た受験でさえも、思い返せば僕はそこまで焦りを感じずになんとなく通過して今日までを生きてきた。でもどうしてか彼女との時間はどんなに一緒に過ごしても足りなくて、彼女が隣にいない時間が刻々と過ぎていくだけで胸が焼き付くように痛むこともある。
「うー、暑い」
 お手洗いから戻って来た彼女の足が触れたのを察して、僕はさりげなく足を離す。しばらくすると今度は、胡座をかきなおした僕の足が彼女の膝に軽く当たったのに対して彼女が膝を一センチほどずらして僕から離れる。そんな物理的な”付かず離れず”が続く。
「はー……」
 長めのため息を一つ、ぐらっとする眩暈も肩の重さもなかった。
「進み悪い」
「……わかる?」
「手が全然動いてないから」
 先日作って彼女に聞かせた曲の調整をしていた。その名も『U.G.』――万有引力。それはあまりに壮大なテーマで、どうしても納得のいくアレンジができない。
「なんて言えばいいんだろう。イメージはぼんやりとあるのにそれが形になるに至らないんだよね」
「『ここまで出かかってるんだけど……』みたいなやつ?」
 彼女は自分の喉に手刀を当てて、言い淀むときによく使うセリフで例えてくれた。
「そうそう、そんな感じ」
「よくわかんないけど」
 僕の手元に目をやった彼女がさっと立ち上がる。僕の部屋の勝手を知ってきた彼女は、尽きそうな僕のコーヒーカップにおかわりを注いでくれた。ありがとう、と僕は小さく頭を垂れる。
「……あと二週間」
 デスクの下のゴミ箱に視線を向けて、彼女がぽつりと呟いた。写真やイラストがふんだんに使われ、色鮮やかに仕上げられたパンフレット。エネルギーに満ちあふれたその紙切れはあまりに眩しすぎて捨てることさえ一瞬躊躇った。ゴミ箱の縁で踊る『学園祭』のポップな文字。それが僕を焦らせる。
「聞いている人に『届ける』時間が欲しいな」
 ぐっと体を寄せて、彼女が作業中のディスプレイをのぞき込む。間奏のあたりの譜面を指でなぞりながらそう言った。
「『届ける』?」
「うーん、上手く言えないけど……私だけ歌ってたらなんか独りよがりになるような気がする」
「『掛け合い』のことかな? でもそれって結構チャレンジだな……」
 持ち時間は一組十五分。そのうち二分がステージ準備に充てられているから、正味十三分が公演に与えられた時間ということになる。つまり、十三分にすべてをかけなければいけない。
 もし観客が乗って来なかったら? もし観客の人数が少なかったら?
 そんなことを考えだしたら掛け合いなんて入れられっこない。
「大丈夫だよ」
 彼女は至極真面目な顔で、大丈夫と繰り返した。
「不安に思わないで。君はいつも通り作ってくれればいいから」
 急に頼んだりしてごめんって、思ってる。
 彼女は少し声を落としてそう言った。
「私は君の作る曲が好き。一度でいいからたくさんの人の前で歌ってみたいって思ってた。いつも通り作れないんだったら、作ってくれないんだったら、もう金輪際歌わない」
 脅迫まがいなことも言われた。彼女は断れないお願いの仕方をいくつも知っている。もしかしたら僕は、彼女に対する気持ちを彼女に弄ばれているだけなのかもしれない。
「……頑張らざるを得ないね」
 でも、それでも構わない。
 彼女に必要とされている限りは、僕は彼女に尽くしたい。

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