あかりがまぶしい
五線譜と糸(1/2)
 宗教勧誘くらいしか鳴らさないインターフォンの音で目を覚ました僕は、苛立ち半分にドアまで近づいて覗き窓に顔を寄せた。絶対に扉なんか開けてやるもんか、と右目を見開けば、見えたのは見覚えのある顔。
 考えの整理がつかないまま、とにかく鍵を開ける。扉は外開きなので、僕は内側から押す形になる。訪問者は体を引いてその扉を避け、瞬きする僕を見るとにっこりと笑って言った。
「ね、作曲してるところ見たいんだけど。今いい?」
 彼女の要求は相変わらず、唐突だ。



 一人暮らしといえど、来客一人くらい対応できる程度の用意はしてあるだろうと無意識にたかをくくっていた節があったようだ。コップは一人分しか洗われてないし、飲み物は僕が好むコーヒーしか置いていない。「急に来た私も悪いし、コーヒー飲めないから。お構いなく」と言われた時は目がくらみそうになった。
「で、何だっけ。作曲?」
「うん」
「見てどうするの」
「見たいと思ったから見たいの。それ以上の理由欲しい?」
 相手に断らせないものの言い方を、彼女はいくつ知っているんだろう。別に理由がなければ見せられないものでもない。僕はノートパソコンをデスクから卓袱台に降ろして彼女が見やすくなるように周りを片付ける。パソコンが立ち上がるまでの数分が、なんとなく落ち着かなかった。
「まずこれが譜面を書くためのソフト。楽譜は読める?」
 僕の質問に、彼女は少しだけ、と困ったように笑った。その少しがどれくらいなのかは気にしないことにして、新規作成ボタンを押す。
「わ、休符だらけ」
 どうやら休符と音符の違いは分かるようだ。探るように話を進めていく。
「最初はこんな風にまっさらな状態。鍵盤を弾くと音とリズムがそのまま音符として入力されていくよ。細かい修正はこうやってマウスでも出来る」
 実際に『ドレミの歌』のドーナツのくだりを弾いてみせる。入力された音符をマウスで掴んで引っ張り音階を変えてみせると、彼女はへええ、とため息をついた。
「まずは思いついた旋律を入力して、その次にそれを支えるコードを入力していく。やり方は人それぞれだろうけど、僕はそうしてる。大体6パートくらい用意して、頭の中にいる6人が演奏しているところをイメージする感じで進めていくよ」
「演奏してるところを、イメージするの?」
「そう。例えばギターが二人いて、ドラムがいて、キーボードがいて、ベースがいて、真ん中に……」
 ちらっと彼女の方を見た。まなざしが熱い。
「ボーカルがいて、みたいにね」
「んー、そうなんだ」
 もっぱら彼女が歌う事を想定して曲を作っているのだから、別に彼女が歌っているところを想像しながら曲を作っている事は恥ずかしがる事でも照れることでもない。頭では分かっているし、実際僕の中のもう一人の僕は理解している。
 僕はやっかいだ、自分でもそう思う。



 ドレミの歌の楽譜は保存せずに消して、今度はミュージックフォルダを開く。その中で一番作成日が新しいファイルをダブルクリックすると、黒々とした譜面が現れた。
「ちょうど作りかけの曲があるから、今日このあとはその続きの見学で勘弁してね」
「うわ……音符ってこんなにたくさんあったんだ」
「まあ、絵で言えば重ね塗りみたいなところがあるからね。こうなっちゃうんだよ」
 それから彼女はほとんど何も言葉を発さずに僕の作業を隣で見届けていた。僕もだんだん作業に没頭し始め、彼女がいることも束の間忘れる。
 音楽は文字や絵のように形に残らない。楽譜という形に昇華することはできても、音楽そのものは生まれたその瞬間は霧のように掴めなくて見えなくて、そしてとても儚い。
 だけど音楽はそれだけでドラマだ。安寧を崩す不協和音に心を乱させ、後には救われるような和音を用意しておく。さりげなく置かれたリズムのつまづきに息を詰まらせ、音のない一瞬に胸を高鳴らせる。音楽と音楽とが僕の中でぶつかり合い、水素爆発のように弾けて『僕の音』が生まれる。まっさらな休符だけだった五線譜を埋めるように並べられていく小さな黒い音の粒は、それだけを見れば驚くほどに静かなたたずまいをしていると思う。
「……やけに静かだね」
「偉大な才能を目の前に言葉を失ってるの」
「……」
 一瞬言葉を詰まらせたのは、彼女の相も変わらぬ熱っぽい瞳に押されたからだった。僕は斜め下に視線を流して小さく答える。
「……褒めすぎ」
「褒めてない。正直な感想」
 褒めてないのか、と素直に凹む僕も大概単純だ。

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