曹丕殿は、じつにお上手であられますな。司馬懿はその、まるで狼のそれと剣呑に例えられるまなざしを、曹丕の手元にひたと当てながらそう言った。彼には珍しい捨てばちな口調がおかしくて、思わず曹丕は口端をゆるめて笑った。

「短気を起こすな、仲達」

「短気など」

 むっとしたように司馬懿は顔をあげた。だがその言葉とは裏腹に、彼の、武人のそれではない繊い指は、癇性に手のひらの中の石を弄っている。
 大の大人がふたり、床にすわりこんで何をしているのかといえば、他愛のないおはじき遊びであった。獲得した棊が山のようになった曹丕の器に対して、司馬懿の膝元の器にはほんの二、三の石しか残っていない。
 光を映すほど磨きこまれた石の盤面と、手持ちの棊の数をいまいましげに見比べたあと、司馬懿はふうと息を吐くといつもの取り澄ました顔つきに戻った。

「――このような遊びに、短気など起こしませぬ」

 そう言う声音がまだ少しばかり拗ねたような調子をにじませているのは、よほど不本意だったのだろう。たしかに司馬懿の戦略は決して悪くなかった。ただ、どれほど巧妙な攻め方を考えついても、指先の技術でもって、手練れの曹丕に追いつくことができないのだ。こればかりは明晰な頭脳をもってしてもどうすることもできず、それが余計に悔しかったに違いない。
 優越感を隠しもせず、曹丕は目を細める。

「そう、遊びだ。遊びなのだから少しは楽しんだらどうだ? そう小難しい顔ばかりせずにな」

 そう言いながら、じつのところ曹丕は遊戯の間じゅう、司馬懿のその真剣な表情に見とれてもいたのだった。自分の狙っていた棊筋を曹丕が易々と陥とすたび、白皙の眉間が青く翳り、うすい唇を噛む様子、なによりも饒舌なまなじりに滲むような薄紫の菫色をたたえて、感情を抑え込もうとするその姿が、つねからの韜晦に満ちた薄笑いの仮面の下にある、彼の本来の感情の発露なのだと思えば、興はなおのこと募った。

「楽しんでおります」

「嘘をつくな。顔に書いてある、どこが楽しいのやらとな」

 指摘してやれば図星だったらしく、むっつりと黙り込んでしまった。曹丕はいよいよ愉快だった。机上の雑務から戦陣の指揮まで器用に、そして完璧にこなすこの男をやりこめられることなど滅多にない。

「何にでも、やり方というものがある、仲達」

 曹丕はすっと立ち上がり、司馬懿の隣へすわるとその手を取った。その距離の思わぬ近さと突然の接触に、司馬懿が一瞬、身をかたくする。そんな様子は気にもとめずに司馬懿が握っていた手を開かせ、彼の体温で温もった棊石を盤面に置く。
 そうして、司馬懿が先ほどから手こずっていたひとつの棊を、曹丕の人差し指はいともたやすく弾いた。そのあまりのあっけなさに呆然としている司馬懿の耳元で、曹丕は笑う。

「――あの時、ただ腰を揺すっているだけでは好くないのと同じだ」

「……それとこれとは話が違いましょう」

「同じであろう。好きになれば、自然と上手くなるものだ。――貪欲になるからな」

 もちろん、私はどちらも好きだ。そう吐息とともに吹き込んでやれば、目の前で、司馬懿の耳朶がほんのりと色づく。
 この男は、まなじりもそうだが、ここも饒舌だ、と曹丕は思った。うつむいた司馬懿の手をふたたび取ると、彼の身体にぴくりと緊張のさざなみが走る。

「さて、指南してやってもいいぞ。お前が望むならば、だがな」

 言いながら、指を絡ませていく。あるじの指に対し、司馬懿はもちろん積極的に指を絡ませ返してくることはない。しかし逃れようともしない、そのこと自体が、彼が決して自分の言葉と肌を拒んでいないという証であることも、曹丕は知っていた。
 無言のまま言葉を探すようすで、しばらく手を握られるままになっていた司馬懿だったが、やがて、そのうすい唇がそっと開く。

「……それで、どちらを、」

 指南してくださるおつもりなのですか、と蚊の鳴くような声が聞こえて、曹丕は内心で北叟笑んだ。

「それも、お前の望むほうでよい」

 そう告げながらも、曹丕の手は棊石をすでに抛っている。それを目にした司馬懿の、早々に諦めの色を浮かべた頬に口づけを落とすと、ぐるりと首をめぐらせた司馬懿の唇が、曹丕のそれをみずからとらえて、動いた。

「……本当に、お上手であられることだ」

 かたわらでは磨きこまれた石の盤面と、積み上げられた棊石の山が、いまだ高い陽の光を、しずかに映して輝いていた。




遊戯指南



13/11/06 writeen by brief
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