繊い指先が、まるで女の衣でも脱がせるかのような丁寧さで、うすい表皮を剥いでいくのを、曹丕はただ眺めている。
そうして濃色の衣のしたから、白い膚のかわりに現れるのは、ほのかに色づく蜜を豊饒に含んだ、甘い果実である。
恭しく差し出されたそれから、爽やかに目の覚めるような香気が立ち、曹丕はわずかに瞳をほそめた。
少し口をひらくと、当然のようにのびる華奢な指が唇に触れ、小さな円い果実を舌に載せる。
その指ごと銜えこみ、啜るように食めば甘い果の瑞々しさは驚くばかりで、期せずあふれた蜜が唇を濡らした。
それがこぼれ落ちる前に器用にぬぐった白い手を、雫は静かに伝いおりて、指のあいだから、椀の中に滴った。
「もう一つだ、仲達」
主の命に、司馬懿は無言で礼を取ると、ふたたび、翡翠の器に盛られた、青い瑠璃のごとき葡萄の果を手に取った。
広大な庭園の一隅にある亭には、ふたりのほか、誰もいない。午を過ぎた晩夏の庭は倦んだように眠りこんで、そよとの風もなかった。
ものうげに飛び回る蜜蜂の羽音が聴こえる。
曹丕の隣に大人しく座した司馬懿は、先ほどと同じ従順さで、小さな果実を剥きあげた。そして、やはりどこまでも慇懃な手つきで、薫香をふくんだ蜜の塊を、主の唇へと運ぶ。
ふたたびその指を食めば、またも清爽な香りにのみこまれる。
舌を潤す甘露に陶然としたような顔をしながら、曹丕は素知らぬふりで、いまだ唇の上に残る、司馬懿の指先に歯を立てた。
「…………」
突然のたわむれに、司馬懿は一瞬だけ目を細めたが、何も言わず、ゆっくりと、主君の貪婪な唇から指を引き抜いた。
その白い膚に、くっきりと赤い咬み痕をみとめて、はじめて彼の細い眉が動く。
「……お戯れが過ぎますぞ」
咎める言葉を呟きながら、傷よりも赤い舌をのぞかせて濡れた指先に触れるのを、曹丕は満足げに眺めた。
その視線に顔をあげた司馬懿は、主の口許が笑みの形に弛んでいるのを見て、色の濃い眦を、わずかに染める。
彼の切れ長の眦は、ふだんは酷薄といってもよいほどの端正さを湛えているが、感情が動くと、その色を滲ませるごとく濃い色を発する。ともすれば、濡れたような暗紅色に染まってみせる時があることも、曹丕は知っていた。
その目縁の色を見せつけるように、光る瞳を伏せて、司馬懿が囁く。
「……仲達も、ひとつ戴いてようございますか」
「どれ。私が剥いてやる」
「……勿体のうございます」
曹丕は鷹揚に碗へと手をのばし、見事なひと房からとくに大きな粒を選り出してやると、器用に爪を立てて薄皮を剥いだ。
それを雫の滴るまま指先につまみ上げ、司馬懿が両掌を差し出すのを退けて、顎で指図をする。
素直にひらかれた薄い唇に、流れおちる蜜をそっと含ませると、馥郁たる香に吸い寄せられるように赤い舌がのびる。
そしてまさに、司馬懿が甘い果を食もうとした瞬間、曹丕はその顎をつかんで強引に唇をあわせた。
「んっ……」
黄金色の瞳を見開き、烈しい瞬きを繰り返す司馬懿にかまわず、舌を割り入れる。陶然とするほど甘い、蜜の香と味が広がる。
空いた手で、ぐいと細い腰を引き寄せれば、その嫋々たる躰は衣擦れの音とともに容易く腕の中に落ちた。
「……っ、……、」
掌に感じる骨柄は案外に確乎としているが、痩身には変わりない。往生際悪く逃れようとする背を、片手で軽々と押さえこみ、まるで果実そのものに齧りつくように、唇を貪りつづける。
そうして、もはや衣を掴みしめる以外に抵抗できぬ臣の口腔から、すっかり温くなった果実をからめ取り、奪い、嚥み下して、曹丕は唇の端を吊り上げた。
「美味かったか、仲達……?」
いまだ息の整わぬ様子の臣に問う。蜜に濡れた口で浅い呼吸をする司馬懿の白面の、耳から頬へ薄朱い色が走っている。眦はすっかりと暗い紅を帯び、意地の悪い問いかけに、そこからさらに羞恥が薄く匂い立った。
「曹丕、殿……」
ようやくといった風情で吐き出された呟きに混じる、かすかな色を、聞き逃す曹丕ではない。
司馬懿の口許には放心の表情があるが、それくらいは造作もなく装える男である。その証拠に、主の無体に抗議するかのように伏せられ、頬へ薄紫の陰翳を落とす長い睫毛のかげで、賢しい蛇のような金の瞳が、昏い火を灯すのを、曹丕は見た。
ふたたび顎をつかんで上向かせてやれば、したたかな牙を匿した唇が、蜜をまとって、光る。
「……まだ、召し上がられますか?」
囁いた臣の双眸の奥に、蜜の香よりも深い陶酔を誘うものを見て、曹丕はひそやかに、微笑った。