バグ


「グルーシャさん!」
「なに? 悪いけど流石にぼくも暇じゃないんだよね」
「絶対、絶対また来ます!」
「そういうノリ、サムいよ」
彼女が真っ直ぐな視線で、ぼくを見ている。
こうやって冷たい言葉でひやみずをかけてあげれば、頭も冷める。冷静になればこんなのハズカシイに決まってる。
それなのにその目は一瞬も揺れなくて、心の中で舌打ちをする。
「そんなの関係ない!」
彼女が声を張り上げた瞬間、足元から風が立ち登ってくるのを感じる。これは酷くなるだろうな、何の感慨もなくただ事実として培ってきた経験がそう判断した。
「私、」
強い風が耳元を通って彼女の声を掻き消す。
なんだろう「次は絶対負けない」とか、「勝ってバッジをもらう」とか、よくある言葉かな。
一応礼儀として聞いてあげようとしたけれど、吹き上がった風が雪を伴って彼女を襲う。
「うわぁ!」
彼女がゴーグルでもしていれば話は別だっただろうけど、きゅっと目を瞑って風に首をすくめる。
ため息を吐いて、じゃあねと背を向けた。
ジムリーダーとしての義理は果たしただろう。どうせ、そんな言葉よく聞くし、次なんて来ないことなんてザラにあった。
「──から!」
後ろから追いかけてきた喉を痛めそうな声に、やめとけばいいのにと思いながらぼくはその場を後にした。
それから数日も待たずに、彼女は再戦にやってきた。
負けないって気概は一人前でも、こんな間を開けずに来るなんて正直期待はずれだ。
蓋を開けてみればぼくの圧勝。
それでも、彼女の努力は目覚ましいものだった。こおりが苦手なはずのマスカーニャもきのみを使って対策をしてきていたし、完全にゆきがくれ対策型として構成を変えてきていた。
でも、ただそれだけだった。
タイプ相性が悪いポケモンを入れているのだから対策をして当たり前。
今日も吹雪くナッペ山、彼女は随分運が悪い。
チャレンジャーの心を折ってしまうなんて、嫌な仕事だね。
最後の一体に駆け寄るチャレンジャーを見ながら、雪が付いたマフラーを払った。
「グルーシャさん!」
雪を運ぶ風はバトル中よりも激しく吹き荒れ始める。デジャブだ。
「次は──!」
ああ、この前と同じセリフか。耳元を吹き抜ける風の音の方が強くて、聞き取れない。
……やめないんだ、まだ、ね。
意地の悪い自分も、何かを叫ぶチャレンジャーもサムすぎる。踵を返して室内へ戻ろうとする自分が客観的に見てどう見えているのか、少しだけ考えて首を振った。
ポケモンたちを回復させている間に、支給された端末がジムバトルの予定が入ったことを知らせてくる。
「……はあ?」
再戦の申し込み。履歴と同じ名前。目を疑ったけれど、紛れもなく今日戦ったチャレンジャーだった。
「早すぎでしょ」

チルタリスが放ったれいとうビームをチャレンジャーのルカリオはほんの少しの動作で避けた。何戦か繰り返した中でも一番の動きを見せた、ルカリオに僅かに目を見張る。
間違いなく調子が良いルカリオに、口角が少し上がった。
今日は彼女とバトルした中で、1番の天気でもある。太陽が照りつけている快晴。
ポケモンたち自体、寒さに慣れていない分通常より動きが鈍ることが多い。彼女のポケモンだって例外じゃない。元々調子が良いことに加えて、上々の晴れ。
きっと今日が彼女にとって最高の幸運だったろう。
それでも、雪山は誰にだって平等だけど、ぼくらにとってはどちらも慣れたものだ。
「上に飛んだら技がくる!横に避けて!」
彼女は繰り返したバトルの分だけ、ぼくの指示を経験している。ルカリオに迫ったぼうふうを回避する方向までしっかりと考えていた。
ルカリオ自身の反応速度もいつもより早い。
「チルタリス、れいとうビームにして」
予想通り力を溜めさせていたチルタリスに続けて指示する。
彼女の表情はいつもより明るい。いつもなら既にぼくらに捕まっていてもおかしくないくらいには時間が経過しているけれど、今日はまだ技もまともに当たってない。だから優勢に進んでいると、気をよくしてしまっているんだろう。実際、普通のコートならぼくが負けてもおかしくないくらいに、彼女の指示もポケモンたちの実力も培われてきているように思う。
運でさえ、今日は彼女たちの味方をしていた。
だけど、今日だからあんたは負けるんだ。
ルカリオの足が氷の上を空振るように滑った。太陽で溶けた雪が、また凍った地面は光を反射している。
彼女の目がこぼれそうなくらい見開かれて、揺れるのを見ながら、ムーンフォースを放つように命令する。
崩れ落ちたように膝を折った彼女を見る。
審判がぼくの勝利をコールして、ふっと息を吐いた。
彼女は何も言わない。
今日ならば、きっと例のセリフがどんな言葉なのか、ちゃんと聞き取ることができただろう。
「お疲れ様」
ぼくは動かない彼女に背を向けて、ジムの方へと歩いていく。
「グルーシャさん、」
勢いのない声に足を止めた。
「次は、次は、絶対に」
次の言葉は続いてこなかった。

その日の最後、再戦の申し込みの通知を見て、ぼく自身がどんな顔をしていたかは覚えていない。

ナッペ山ジムには休息所としての側面が存在する。
ジムチャレンジャーやスポーツを楽しむ人間が、時折利用する。家族連れなんかはフリッジタウンに向かうし、一般客が多いのもそっちだ。
況してや今はオフシーズン、いるのはジムチャレンジャーだけだろう。1人だけ、座り込んでいた彼女の名前をさすがにもう覚えている。
名も無きチャレンジャーでいてくれない彼女の名前はなまえだ。何度も名乗られたけれど、覚えたのはつい最近だ。
ぼくに気づかない彼女は、ルカリオの爪を研いでいた。鋭くそして荒いやすりをかけているのはきっと摩擦係数を上げるためか。
ポケモンの中でもはがねタイプなら特に硬いだろう。特有の重そうな音を立てているやすりを握り込んでいるのが見える。研磨機から手に持っているやすりに切り替えたのだろうか、重そうな荷物がいくつか転がっている。随分と几帳面なことだと他人事のように考えた。彼女の真剣な表情に身に覚えがあることに小骨のような引っかかりを覚えて、彼女に背を向けた。
この後も、彼女とのバトルが待っている。前回のあれが堪えたのだろうか。それともこれまでもこんなふうにポケモンたちの手入れをしていたのか、ぼくは知らない。
前回の動きがまぐれでも、次からきっとあんなミスは犯さないだろう。
着実にぼくの元に近づいてくる彼女の手が届いた時、ぼくはその手を振り解きたい。

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フォロワーさんの誕生日祝い的なつもりで書いたもの。
お誕生日おめでとうございます。

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