どうか君は笑っていて


「やあ」
ひらひらと手を振って私を迎えた彼。
私は前の椅子に座って彼を見た。
私を見て、微笑む彼の瞳が真っ直ぐで私はつい目を逸らして、口を開く。
「何のようですか」
「恋人に会いに来るのってそんなにダメ?」
一気に頭に血が上った。ばっと彼を見た瞬間、彼の冷たいグレーの瞳にひんやりと頭が冷える。恐怖さえ感じた。彼の目は表情と違い笑ってるように見えなくて、目を合わせないように俯く。相変わらずの食えない笑みを浮かべる唇だけが視界に入る。
「じゃあ早く会いに行ってあげてください。ここにはそんな人いませんから」
そう、私ははっきり彼に別れを告げた。だから彼女はこの部屋になんているはずない。
彼はなにを言っているんだろう。
「いるよ?僕の目の前」
付き合いきれない。
ハートがつきそうなくらい上機嫌でそう答えられ、私は立ち上がってその部屋を出た。
「また来る」
来るからね、そう言った彼を私は無視した。
涙が出た。



「なまえー」
私はにっこりと私を迎える彼の無言で前に座る。
「あ、そういえばなまえはヤブクロン持ってたよね」
ぴくりと反応してしまった、クダリに気づかれてしまったかもしれない。
もう逃がしてしまった、あの子。
ライモンで、逃げる途中に逃がしてしまった、あの子。
おくびょうなあの子を思い出す私を見透かしているようにクダリはヤブクロンの話を続けた。
「ヤブクロンの悪臭が今ライモンで問題になってるんだよね」
「……」
「大丈夫かな?ねえ、なまえ、どう思う?」
「知らない」
「ふーん、まあいっか」
私は目を逸らす。クダリはそんな私をどんな目で見てきているのだ。
残念ながら私の知ってるクダリという人間は振られた腹いせでこんなとこまでやってくる人間じゃあ、ない。
「爪、噛んでる」
「!」
クダリの視線は私の爪に注がれていた。
「僕に会えなくてイライラしちゃった?」
「関係ない」
「最近やめてたのに、」
「いつの話よ」
「この前のデートの時の話でしょ?」
「知らない」
クダリは立ち上がる。
私が顔を上げれば、「またくる」そう言い残してこの部屋を出て行った。



「やっほーなまえ」
「……」
「元気してるー?」
「……」
「んもー、返事して」
今日はいいことでもあったのか、楽しげに話すクダリ。
「泣いてたの?」
気づいたみたいにじっと覗き込まれる。グレーの瞳が透き通ってて、吸い込まれそうな気さえする。
「……ぃ」
「目、真っ赤だよ」
「……ない」
「なんで泣いてたの?」
「しらない!」
「どうして、ねえ、どうして?」
知ってるくせに知ってるくせに知ってるくせに。知っててなんで聞いてくる。私はその部屋を出た。「またくる」
投げかけられた言葉に知らないふりを決め込んだ。



「やあなまえ」
「暇なの?」
「まさか!僕のとこはいつだって商売繁盛!知ってるくせに!」
覗き込むように前のめりに座るクダリ。
「しらない」
しらないわよ、そんなの。
「嘘つき、嘘良くない、ね?」
嘘つき。その言葉が胸に突き刺さった気がする。痛い。
痛い。
「し、しらない」
ばあん!
「ひっ」
私が情けなくどもりながら吐き出した知らないという言葉を聞いたクダリがテーブルに拳を叩きつけた。
心臓が痛いくらい飛び上がった。
「……ごめんね」
クダリは眉を八の字にして、不安そうに目を泳がせて謝ってきた。
「……うん、ごめん。今日は帰るね」
「……」
慌てたように立ち上がって、クダリはその部屋を出た。「またくる」
部屋にやけにその言葉は響いた。



「やあ」
「……」
「なまえ」
「もう、こないでよ、ぉ……」
テーブルに項垂れるように身体を預ける、預けて懇願する。
「あなたが、クダリが、くるから、だから」
「僕のせい」
「そうよ、クダリがこんなとこまで来るから、私はいつまでたっても……あなたのせいよ」
「でも」
涙声で喚く私を少しひんやりとしたトーンのクダリの声が止める。
「ぼくに会いたいって思ってたでしょ?」
まるでいたずらが成功したみたいな表情のクダリに血が逆流しそうなくらい頭に血が上る。
「違う!違う!違う!私は!あんたが可哀想だから仕方なく……!」
「最初はね、きっとそうだろうけど。今もそうだって言える?」
意地悪。意地悪。
自信満々に人の良さそうな無邪気な笑いを私に見せつけるクダリに戦意喪失もいいとこな私は俯いて、自分の手に爪を立てる。
「嫌いよ、嫌いあなたなんて」
顔を上げて、はっきりとクダリを見る。
冷たい氷水を流し込むように冷めた私はクダリを見ながら、口を動かす。
「来ないで、もう来ないで。あなたなんていらない」
「そんなこと言われるなんて思わなかった」
そりゃそうだろ。アンタは周りに愛されてきた。
言われたことなんてないかもね。
クダリはいつでもそうだった。
復活した怒りにクダリを睨んでやろうと顔を上げれば、ぴたりと表情を止めたクダリの目からは涙が、ぼろぼろと零れていた。まるでテレビを一時停止したみたいに止まっていてそれなのに宝石みたいな透明な粒を落とす。
「え、へへ」
へにゃりと口角を緩ませて、涙は頬を伝っていく。
「好き」
「く、だり?」
「大好き」
クダリはそうやって繰り返すたびに整った造形を歪ませる。
「笑って、」


そのあと、濡れた瞳を袖で拭って彼はこの部屋を出て行った。
今日は、またくるの言葉はなかった。
彼は毎日やってきては私が喋らないと、その日1日の報告を面白おかしく語っては「またくる」の言葉を残して帰って行き、次の日やってきていた。なのに。
クダリが来ない。
いつまで待ってもクダリは来なかった。
それでいい、もう、いいから。


久々の面会だと連れて来られたあの部屋には、真っ黒の制服を着たクダリ、否、彼の片割れであるノボリさんがいた。いつも頬杖をついたりして待っていたクダリとは違い、背筋を伸ばして座っていた。
「お久しぶりです」
深々と下げられた頭に私は萎縮してしまい、小さく頭を下げ返す。
「……」
「ここ一ヶ月ほど、クダリはあなたのところに通っていたそうで」
「……」
口を開かない私にノボリさんは平坦な口振りで続けた。
「あなた様のせいです。
クダリが、プラズマ団の残党に刺されました」
「え」

身体が動いて後ろの椅子が倒れた。
大きな音に看守がドアの開く音がする。
「クダリは!クダリは!!」
私はノボリさんと私の間を隔てる硝子にかじりつくように縋り付く。硝子がどんと音を立てた。
「無事なんですか!!」
「それだけ、言いに来ました」
「ノボリさん!待って!!」
ノボリさんは問いに答えることなく、看守に押さえつけられる私に背を向けて何処かに部屋を出て行ってしまった。
振り返らず出て行く彼をみて、いつもクダリはこんな気分だったのかと思った。悲しくて涙が出た。



私のせいだ。私が貴方を好きになったせいだ。
最初はただ、作戦のために貴方を騙したはずだったのに。
作戦のために貴方に近づいて、恋人同士になって。
たくさんの貴方に恋をした。
バトルをする貴方に恋をした。
バトルサブウェイ襲撃作戦は無事、貴方達に止められた。
私はプラズマ団として捕まった。
あの時の貴方の傷ついた顔を忘れられなかった。最初にクダリと面会をしたのはただの贖罪だったのだ。騙して悪かったと。
罵られて騙したのかと責められようと思っていたのに。多分わかっていたのに。そんなことしてくれるような人じゃないことくらい。一度会ってしまったら、また会いたくなって仕方がなくなった。もういい加減、解放してあげればよかった。
私がプラズマ団だったから。




ごめんなさい。





面会室に通された。
話をあまり聞いていなかったからノボリさんだと思っていた。硝子越しに椅子に座るのはクダリだった。
「クダリっ!!!!」
「あ、なまえ」
私の驚いた表情にいつもの調子で答えたクダリの姿は見たところ何か怪我をしているようには見えない。
「あ、え……?」
「ノボリ、来たんでしょ」
「大丈夫なの……」
硝子の壁をぺたぺたと触る。
「うん、お腹をちょっと刺されただけだから大丈夫。もう平気だよ」
「それ、全然平気じゃないし」
「泣かないでよ、今は拭ってあげられないんだから」
「……?」
私はまたぺたぺたと自分の頬を触れば湿っていた。
「わらって」
「クダリ」
「笑って」
「クダリぃ……クダ、りぃ……!」
「ダメでしょ、あのねなまえのヤブクロン僕とノボリで世話してるよ」
「あ、りがとぉ……ふ、ぅ……」
「それからね、まだお腹痛いよ」
「……ごめっ」
「謝って欲しいわけじゃない、早く出てきてぼくにちゅーして。じゃなきゃ治らない」
呆れた。
「……ばっか」
けど笑えた。

H26.12.31

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