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「ああ、My sweet.」
いつも通り大仰な動作で私の出迎えに応じようとしたインゴさん。
私はいつもより数歩下がっていたため、その長い腕に抱き込まれるようなことはない。
少し怪訝そうな表情のインゴさんを無視するように「おかえりなさい」と言ってソファーに座る。
彼のしかめっ面なんて、媚び諂ってるときに見飽きてる。

人は平気で嘘をつく。
例えば私。
私は彼を時に憐れみながら、時に怖がりながら嘘をつく。
あれから考えたのは、とりあえず彼から自立することだ。
彼が生きていても死んでいても、まあとりあえず自立してしまえばどうにかなると思ったのに。それなのに。
うまくいくわけなかったのかもしれない。元々私はインゴさんに頼りきりだったのだ。
私がちゃんと働きたいと訴えようと彼は甘い言葉ではぐらかし、決して頷こうとはしなかった。
「そんな心配などしなくてよろしいのですよ、My sweet.
あなたはワタクシの傍にいてくださるだけでよろしいのです、なに不自由などさせません」
数日前の私ならその言葉を鵜呑みにして、むしろラッキーなんて思ってインゴさんにまた笑って、抱きついていたんではないか。
あれから彼には触れてさえいない。
怖い。人間というのはどうしてこうも自分と違うものを怖がるのだろうか。


「やあ、なまえ」
にたにたと笑いながら私の隠れ場所、つまりギアステーションの応接室に入ってきたのはエメットさん。いつもはそこからインゴさんの執務室に連行されているのだが、インゴさんからそこを片付けて、インゴさんの執務室の方に行くように言われていたからだ。
まあその時は心臓の一件の前だったからいい返事で答えたが、今となって気が重い。
それだけインゴさんとの接触が増えてしまう。
「座って?」
立ち上がって迎えようとした私に微笑んで自分も、向かいに座る。手にはケーキの入るような白い箱。
最近はなくなっていたエメットさんのお菓子付きのお茶会だ。
インゴさんとそういう関係になるのに連れて回数も減ってきていた。
カチャカチャと音が聞こえ、しばらくするといい匂いが漂ってくる。
「はいドーゾ、チョロネコちゃん」
「……どーも」
「相変わらずこの呼び方嫌?ニャースやニャルマーやレパルダスよりは似合うと思うんだけどなあ、」
「ポケモンで呼ばれる意味がわかりません」
「ニャースかぶり」
これはきっと猫かぶりって言われるんだろうななんて。私の性格がそれなりに悪いの最初ばれたのはエメットさんだ。
最初にこの世界にきたとき大いに取り乱した私が悪かったのだろう。
そのうえで私の本性をインゴさんに教える気はないというから、この人だって人が悪い。
「チョロネコちゃん、最近インゴと仲悪いってホント?」
「……まさか」
「んー、冗談だと思ってたんだけどなあ。本当なんだ」
誤魔化して通じるなんて思ってなかったけれど……。
「ねえ、どうしたのか聞いても?」
「……」
「キミがインゴを避けてるんだよね、なんで?キミ嫌がるとかスゴく気になるんだよね」
「……あ、の、インゴさんって病気したことは?」
「ん?ないよ、多分。チョー元気」
「心臓が、ないから」
「?」
私のセリフに首を傾げているエメットさん。
やっぱり知らないのだろうか。
エメットさんなら自分の片割れの心臓が動いてない程度でどうにかなるとあんまり考えられないからもしかしてとか思ったけど。
既に妄想力豊かな私の中ではインゴさんはエメットさんも知らぬとこで死んで、それでもなお生きているフリをしているってとこまでお話が出来上がっていた。
まあそれはそれとしてもインゴさんが何かしらおかしいのは明白だと思う。
まさか、心臓の音で相手の生死を確認するってどんな怖い話ですか。
「あのさ、なまえ?」
「なんですか」
「怖い顔して何考えてるのか知らないけど、シンゾウってなに?」
「……は?」
……ばくばくと私の心臓がうるさくなる。
そんなはずないそんなはずないそんなはずない!
「なにいってるんですか」
「なまえこそ何言ってるの?」
いくらエメットさんでもこんなわけのわからないボケかまさないだろう。
「……心臓、ですよ」
「what?」
私の声は震えていた。
「はーと、です」
「心?」
「ちが、ちがっ、くて」
「……どうしたの」
頭の中がグルグルして……。ちがうちがうの。
「ダイジョウブ?」
「あ、あの、いいですか……」
「ん?」
私はエメットさんの前に膝をついて、そっと胸に頭を付けて耳を澄ます。

何も聞こえなかった。

「……は、は」
馬鹿みたいだ、バカだ。私、私、私は。
勝手に自分を普通だと思って、インゴさん避けて、それで、それで?
「ねえ、どうしたの」
「私、インゴさんのこと馬鹿にしてたと思うんです」
「知ってる」
ふふっと笑いながらエメットがどう考えても馬鹿にしてる声だ。
「だって私嘘ついてたつもりなんです、ずっとインゴさんのこと怖くて、でも、それでも」
「インゴのこと好きになったって?」
そう、なのかもしれない。でも、もうだめだ、私はおかしい。みんなにないものがあって、気持ち悪い音が私の胸からは聞こえているんだ。
理解してすぐ泣きたくなった。苦しくなった、怖くなった。
彼は、彼は、彼は!
私を抱きしめた時、なにを思っていたのだろうか、私に触れた時、私を、私を、私を私を私を!
私の胸から聞こえたはずの鼓動はこの世界ではありえないものだったのだ。
抱きしめたときの奇妙な音をなにと思っていたはずなのだ。
彼は何を思って私を婚約者などにしてしまったのだ!何を考えていたのだ。
私を化け物と思っていたのか、
もう、気づいた。私は、インゴさんが好きだったのだ。
「そう、です……多分、そう」
「へえ」
「でも、もうだめ、」
「なんで?これまでの君は、ボクをにらんで自分の性格ひた隠して、インゴに媚びてボクとして結構潔くてイイと思ったけど。だめなの?」
相変わらず音の聞こえない彼の胸に頭を付けたままだった私はエメットさんに横髪を耳に掛けられて、インゴさんと同じ顔で、涙が出てきそうだ。
「私、みんなのと違うんです、おかしいんです」
「知ってるけど!」
あっけからんとしたエメットさんの声に私は顔をあげる。
「だってなまえ自体おかしいし」
「はあ?」
「いきなり空から落ちてきた」
「あ」
私は自然に笑ってしまった。
そっか、それでも私を愛してくれたのか、彼は。
「……思ったよりバカなんだね」
エメットさんはすごいやさしい手つきで私の頭に手を置いた。

「なまえ、?」
開いたドアの前には鬼の形相のインゴさんがいた。
「……Sorry,なまえ」

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