「今日はカレーだな」
ぐつぐつと湯気をあげる鍋を覗きこんでいると、上から声が降ってきた。優しい声だ。
「夏はやっぱりカレーかなと」
「うむ!間違いないな!」
上を向くと、部活帰りの兄が笑っていた。汗で前髪がぺたりと張り付いている。兄は暑い体育館で剣道をしてきたというのに、僕は涼しい部屋でカレーを煮込んでいて、なんだか少し申し訳ない気持ちに駆られてしまった。
「そうだ!少し味見されますか?」
「いいのか?」
「少しだけ、ですよ」
味見という名のつまみ食い。二人だけの秘密だと言わんばかりに目配せをして、炊いたばかりの米を茶碗によそって小さなカレーライスを作った。
つやつやとしたカレールーに絡む大きな野菜。スーパーで見つけた新じゃがは、皮つきのままにして。夏のカレーはもっぱら豚肉。牛のカレーも好きだけど、僕の中で牛カレーは冬のイメージなのだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
食卓についた兄の前に置かれた小さなカレーライス。茶碗に対して大きすぎるスプーンが、窓から差し込んだ日差しを反射させる。
「いただきます」
両の手を合わせて行儀よくした兄は、大きなスプーンに大きな一口を乗せて、大きな口へと運んでいった。
「あっ!」
口に含んだところで、大事なことを伝え忘れていた事に気がついた。
「せんじゅろう」
もぐもぐと一口を飲み込んだ兄の、スプーンを持った手が震えているように見える。「何口だ」顔を伏せたままの兄が言う。これはまずい。とてもまずいぞ、千寿郎。
「辛口、です」
僕の言葉を聞くやいなや、上げた顔にはやっぱり!と書いてあった。兄は珍しく眉をしかめ、暑さではない汗がだらだらと流れてはじめている。そうだった、兄はカレーの辛いのがめっぽう苦手だったのだ。
「からくち、」
確かめるように呟いて、コップの水を飲み干した。次から次に額から表れる汗を、苦い顔をしたままぬぐっていた。