夏油傑は几帳面な男である。財布の中にレシートは残さないし、茄子を切る時まな板に水をかけて色が移らないよう気を遣うくらいに几帳面な男である。そうしてどこか大人びた雰囲気を持っていた。
五条悟はざっぱな男である。財布の中は領収書が様々なポケットにしまわれているし、野菜の皮なんて剥かなくても死なないでしょ、とそのまま鍋へ放り込んでいた。そうして子供のような無邪気さを持っていた。
はじめ、対照的に見える二人が親友だというのが信じられなかった。違うだろうと事あるごとに言ってのけたが、違ったのはわたしであった。二人と重ねる時間で見たそれは、どうやったって親友というものであったし、それ以上でもそれ以下でもないような不思議なものであった。安定しているような不安定で今にも崩れそうな、そんな風に見えた。だけど、どこを切り取っても信頼関係が浮かんでいた。夏油は五条をよく見ていたし、五条は夏油をよく見ていた。わたしはそんな二人を、それを、よく見ていた。

わたしはどちらかといえば夏油のような人間であった。レシートはきちんと捨てていたし、まな板には色が移らないよう気を使っていた。死にはしないと分かっていても野菜の皮はきっちりと剥いていた。だから私は自然と夏油を好きになった。自分と似ていると思ったからだった。五条が「僕のことは?」と冗談めかして聞いてきたことがあったが、ガキだなあと鼻で笑ってやったのを覚えている。
私の好意はきっと確実に夏油に伝わっていただろうに、夏油はそれを上手くかわし、かといって拒絶するでもなく過ごしていた。愛だの恋だのをハッキリと言わない夏油が、やけに大人に見えていた。

「それって本当に恋なのかな」

二人きりでいた時、一度だけ夏油に言われた事があった。わたしはドキリとして、曖昧に笑って見せた。夏油はよく見ていた。五条のことも、わたしのことも。よくよく見て、言ったのだった。だけどこの時のわたしは何も気が付いていないでいた。

関係がぼやけたままでも夏油が好きという気持ちは生き続けていた。好きだと伝えてみても、本命だと真っ赤に包まれたチョコを渡してみても、夏油は好意をすべて「ありがとう」で済ませていた。それが承諾でも拒絶でもなかったからそのままでも良いかと思っていた。もっとも、どちらかに分類しなければならないならこれは立派な拒絶であったと思う。分かっていながら知らないふりをしていた馬鹿なわたしを、五条はよく見ていた。サングラスをしていたからハッキリとその視線が見えたわけではないが、きっと絶対に見ていた。私は時折、サングラスの下にある目を見たいと思っていた。
わたしと夏油の関係があいまいなまま、季節は春から夏へ変わっていた。五条はずっと隣でわたしを見ていた。頑張れともやめろとも言わず、ただじっと見ていた。時々、夏油と二人でこそこそと何かを話しているのを見かけた。その時の夏油の顔は思い出せないのに、五条の顔は鮮明に覚えていて不思議な気持ちになった。五条はいつも嬉しいような悲しいような、よく分からない顔をしていた。わたしは変わらず、二人をよく見ていた。五条と夏油は変わらず親友でいた。

「なずな」

ある夕方に、五条が教室の扉の外からわたしを呼んだ。その声は決していいとは言えない雰囲気をまとっていた。硝子の顔を見ると、何も知らないと言わんばかりに首を横に振った。この場所に夏油はいなかった。もう一度五条がわたしの名前を呼んだので席を立った。傍によると、ピリピリとした空気が強くなった。五条は何も言わずに左手を握って歩き出した。廊下が時折ぎしぎしと音を立てただけで、わたしたちの間に会話はない。どうしたの、五条、怒ってる?わたしが何度か問いかけたけど、五条はなにも答えてはくれなかった。代わりに握った手のひらをぎゅうぎゅうと握り返した。痛いけどこれが五条の返事なのだからわたしは痛いとは言わなかった。少し歩いてなんでもない所で突然立ち止まった。突然のことだから止まりきれずに五条の背中へ思い切り鼻をぶつけた。

「傑が好きなの?」

鼻をさすっていると五条が言った。わたしはそうだと胸を張って言えばいいのに、なぜだか言えなかった。代わりに繋いだままの手を力いっぱい握ってみたけれどそれを返事としてくれなかった。振り返った五条は、わたしにもう一度聞いた。次はなんにも言わずに考えた。わたしは夏油が好きだとついさっきまで胸いっぱいに思っていたはずなのに、今はもうよく分からなくなっていた。サングラスをしていないから五条の顔がよく見えた。水面のように瞳が揺れていた。だから、分からなくなった。はっきりとした青だったらわたしは夏油を好きといったと思う。
だけど今は違う。さっきまで確かに夏油が好きなはずだった。大好きと伝えたこともあるし、バレンタインだって誰よりも大きなチョコレートをあげたし、手を握られたら飛び上がる程に緊張してだらだらと汗をかいていた。これは恋だろう思っていたのに、その記憶の中には必ず五条の姿があったことに気が付いてしまった。その瞬間、まるでカメラのように頭の中で夏油がぼけはじめ、五条にピントを合わせようとしていた。するとどうだか、私は夏油に抱く感情が愛だったのか恋だったのか、定かでなくなってしまった。好きだけど好きじゃない、そういう曖昧な言葉が一番しっくりときていた。

「わかんない」
「どうして分からないの?」
「五条が出てきたら、よく分からなくなった」
「そう」

見てたでしょ、僕のこと。五条が言った。そんな事、と言いかけて飲み込んだ。

「五条が見てたんでしょ、私の事」

睨みつけるように言った。わたしが見ていたんじゃない、五条が見ていたんだ。そう思いたくて言った。ちがうと分かっているのに、この期に及んでまた知らないふりをしたかった。

「違う」
「違わない」
「僕も見てたけど、君も僕を見てたんだよ」
「嘘」
「そうじゃなきゃ気が付かない。僕が見ていたことに」

瞳のゆらぎが収まった瞬間、しっかりと五条にピントが合わさった。そうして、認めてしまえば簡単だった。五条はいつもわたしを見ていたし、わたしは五条を見ていたのだと。五条は繋いだ手をするりと解いて、自然な仕草で肩を抱き寄せた。嗅いだことのあるシャンプーの匂いがした。

「好きだ」

口を塞がれる直前、夏油はすべて知っていたのだろうと分かった。


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