きっと音もなく、そうひっそりと。
流れていくものなのだ。













「泣いてもいいよ」

ぶっきらぼうに言った彼の表情は読めなかった。三十分ほど前のことだろうか、私の部屋に慌ただしくやってきたのは。お邪魔しますも、部屋の扉へのノックもなく乱暴に扉を開いた彼を、私はただ見つめただけだった。
彼も彼で、特に何か言うわけでもなく、バツの悪そうな顔をした。何もしていないのにバツの悪い顔、というのもおかしな話だけれど、そういう人の感情に敏感なのは彼の特徴だと思う。

「なんで言わなかったんだよ」
「……わざわざ、必要もないと思ったから」

数時間前、私は学校の教室で、それはもう大層に緊張していた。あの時は生きている中で一番緊張しているかも!なんて思ったくらい。ぎゅっと握った拳をさらに力強く握って閉まった教室のドアを見て今か今かと視線を右往左往させた。
いざその扉が開かれた、呼び出した相手が来てしまえば拳を握ることすらできず、ただ自分の上履きと相手の上履きとの間に視線を巡らすことしかできないでいた。
そんな姿に埒が明かないと判断したであろう隣のクラスの男子生徒は「申し訳ないけど、」と私よりも先に口を開く。さすがにそれ以上言われてしまう訳にもいかなくて、焦ったように口に出したすきです、の文字。
本当はもっと言いたいことがあった。あの時の貴方を見て好きになりましただとか、いつも見てましたとか。でも、そんなこと今更後悔したって遅いわけで。それこそバツの悪い顔をしていたら聞こえてきたごめんの三文字。
いいのとか、そうだよね、とか当たり障りない返事をして彼はもう一度謝ると教室を後にした。私はその時、きっと好き以外になにを言ってもこの気持ちは実らなかっただろうと思った。結局、彼の顔は一度も見れず、覚えているのは上履きの色と、左足だけ縦結びになっていた靴ひものことくらいだ。

「言ったら、気を使うでしょう」
「そりゃ、まあ……」
「あんたに迷惑かけたくなかったし」
「迷惑ってほどでもねぇけど、」
「どうせ、断られるって分かってたから」

自分で言ってて情けなくなる。彼女がいるっていう噂は知ってた。でも、結構な頻度で色んな女子との噂が上がっていたから特定の彼女はいないと思っていた。だからいけるだろうと思っていたわけじゃない。
彼女がいてもいいから、すきって伝えたかった。自分自身のエゴだけど、それでもただ伝えたかった。教室を後にしたあと、噂に上がっていたどの子でもない、いつも彼の隣にいた女の子と一緒に歩いていく姿を教室から見た。
きっとあの子が彼の彼女なんだろうと、思う。聞いたわけじゃないから確実ではないけど、きっと。悲しいとか、虚しいとかじゃなくて、なんだか情けなくなった。
あんだけ見てたとか、好きだとかのた打ち回ってたくせに、実際は何にも見ていなかったし何にも知らないんだから。恋ってものは大体こういうものなのだろうか。それならもう、当分したいとは思えない。そう思った。

「部長に」

彼女がいるって、と言いかけたところでやめた。髪の毛をぐしゃぐしゃにして、言葉にならない唸りのようなものをあげて、私の前に座った。来てからずっと彼は立ったまま私を見ていたが、疲れたのかこの状況に痺れを切らしたのかはわからない。

「見てたんだけどなぁ」
「……ん」
「ずっと、見てたと思ったんだけど」
「……ん」
「違ったんだ、なぁ」

思っていたことを口に出すと、急にきゅっと胸が締まった。下を向くと、涙が床にこぼれそうだからあわてて天井を仰いだ。大丈夫とか、私には高嶺の花だもんなんて笑い飛ばせると思ってた。けど、違った。
自分が考えていた気持ちよりももっと、彼のことを好きだった。あの時、もっと話していればとか、差し入れでもしてみたらとか、クラスが変わっちゃったのがダメだったのか、いろいろ考えてはみたけれど、きっとどれも違うんだ。
最初から彼にはあの子がいて、私はそれを知らないでただ一人で恋をして、知ったつもりになっていただけだったんだ。

「なずな」

一言名前を呼ばれて、泣いてもいいよと言った彼は私を抱き寄せた。ぎゅっと腕をしめられ、自然と胸に顔をうずめる形になる。部活の後だからか、少し汗の香りがした。色黒の腕がのぞく制服の半そでのシャツに、小さく濡れたシミができて自分が泣いているのがわかった。
慰めてくれているはずの彼も、泣いているんじゃないかと思うくらいに静かだった。名前を呼んでも、返事もなくただ抱きしめてくれているだけだったから。

「……んでだよ」

小さく言った。ごめんと言ったが首を横に振った。きっと誰に向けてもない言葉なんだ。昔から優しい子だから、誰も責められない、怒れない。同じように悲しんで、そして慰めてくれる。

「赤也、ねぇ」

名前を呼ぶと、少しだけ体を動かした。緩んだ腕の隙間から手を伸ばして頭をなでると、鼻をすする音を立てて「なんでだよ」と、うわ言のように何度も呟いた。

「……幼馴染っていいもんだ」
「俺だからいいんだ」
「確かに、そうかもね」

笑うと、涙が乾いた跡がすこしだけかさついた。そこに黒くてマメだらけの手が触れる。ごめんと謝って、頬を撫でた。赤也が謝ることなんて一つもないのに、彼は何度もごめんと言った。
親指の腹で目尻を撫でて、愛おしそうな顔をした。いつからこんな顔をするようになったんだろう。赤也の気持ちに気づいていないわけがない、でも利用はしたくない。忘れるためには新しい恋を、なんていうけれどそれは嫌だった。抱きしめられたまま彼にそう言った。
でも。それでもいい、ハッキリと赤也は言った。あまりに強い眼差しに、嫌といえるほど強くない自分に呆れた。けれど、赤也なら。なんて思った自分もいた。

「なずな、」

何も言わない私を見て、何を思ったのかはわからない。でも目尻に唇を落として彼はまた、ごめんと謝った。




(20130428)


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