つけたり消したり。液晶画面に映し出される固定電話の番号。特徴的なそれは近所の歯医者の番号だ。

先週からなんだか歯が痛い気がする、そう言った杏寿郎さんはずっと浮かない顔をしていた。酷くなる前に病院に行った方がいい。何度その言葉を投げかけただろうか。軽く30回は超えていると思う。しかし杏寿郎さんは「気のせいかも」だとか「疲れているだけだ」とか、理由にもならない理由をつけて歯医者をのらりくらりかわしていた。そんな事をしていると痛い目にあうぞ、と脅しめいたことも行ったりしたが歯医者へ行きたくない欲が勝ったのか聞こえないふりをしていた。
そうしたら案の定事件は起こった。日曜日の朝、今日は一日家で過ごそうと話していたから、私はのんびりとテレビを見ていた。そこに少し遅れて起きてきた杏寿郎さん。そのまま洗面所へ向かったと思えば、慌てたような大きな声で私を呼んだ。

「すず乃!大変だ!」
「なに、そんな大きな声出して」
「口が開かないんだ!」

人よりも大きく開いた口がそこにはあったが、杏寿郎さんとしては口が開いていないらしい。
痛い痛いとわめく彼に、散々言ったじゃないかと喉まで出かかったが、滅多にみられないほど眉毛を下げている様に気を取られてしまい言葉が引っ込んだ。
このままにしておくわけにもいかず、かかりつけの歯医者の診察券を彼へと貸した。それから1時間、一体予約に何時間かける気でいるのか。煮え切らない彼の携帯をのぞき込むとそこには末尾が8148と分かりやすい歯医者の電話番号が並んだまま。

「いつまで電話画面見てるんですか?」
「しかしだな」
「しかしばっかりで、全然かけないじゃないですか」
「むう」

歯医者の電話番号が浮かんだ携帯を見て、杏寿郎さんは歯が痛くて辛いのか、病院へ行きたくないからなのか。おそらくどちらもなんだろうけど、苦笑いを浮かべた。
可哀想な気持ちもあるが、自業自得である。いつまでも煮え切らない恋人を待つのを止めて、こちらはお昼ご飯の支度を始めることにした。昨日から二人で楽しみにしていたサンドイッチ。ツナ、たまご、ハム、チキンとアボカドに、杏寿郎さんが好きなさつまいもをマッシュしたもの。いつもであればこれでもか!というくらい沢山の具を挟んでつくるサンドイッチは、口が開かない杏寿郎さんに合わせて大分かわいいサイズになってしまった。
作っていると、なんだかお腹がすいてきた。杏寿郎さんをちらっと見ると、先ほどと様子は変わらない。

「ねえ。サンドイッチもうできちゃったよー?」
「分かっている。分かっているから、もう少し待ってくれ」

私の言葉に杏寿郎さんの顔に焦りが見えはじめる。しかし、まだ電話を掛ける様子はない。私はお腹が減る一方で、見えないように切り落とした食パンの耳を口へ放りこんだ。あーだこーだ杏寿郎さんは誰に向かってしてるのか分からない言い訳をしているので適当に流すが、パンの耳が口の中の水分を奪ってしゃべりにくい。いつもならば食べながら話すなんて行儀が悪い!とぴしゃりお説教が始まるが、今日はそれをする余裕すらないらしい。よっぽど歯医者が嫌いと見える。

「そんなに嫌なら、私が予約しましょうか?」
「い、いや!それは良くないだろう……いい大人として」
「じゃあ早く電話してください」

分かっているんじゃないかと思ったら、つい本音が飛び出してしまった。ちょっと優しくなかったかもと思い、申し訳なさげに杏寿郎さんを横目で見ると、口を一文字に結び緊張した面持ちをしていた。いやいや、たかが歯医者の予約ですよ!と言いたいところをぐっと堪える。ここで何か小言を言ってしまったら、今にも予約を止めてしまいそうだ。
さっきの言い方が悪かった事は謝ろう。そう思って彼の名前を呼ぼうとした時だった。

「杏じゅ、」
「予約をお願いしたいのですが!!」
「えっ!?」

予想もしてなかった声の大きさに驚いて、思わず声がでた。いつの間に電話をかけたんだ。耳に当てている携帯電話の向こう側にいる受付の人も驚いているに違いない。私の事ではないけれど、思わずごめんなさいと心の中で呟いてしまった。
大きな声のまま、杏寿郎さんは明日は空いていますかだとか、名前だとかを淡々と名乗っていく。声がでかすぎて、隣の家まで聞こえているんじゃないかと心配になる。まあ聞こえていたところで、歯医者の予約だから大した問題はないだろう。

「それでは、失礼します」

最期まで大きな声で話し続けた杏寿郎さんは、珍しく大きなため息をつくと、そのままソファに座りうなだれてしまった。こちらが思っていたよりも緊張していたようだ。暖かいコーヒーでも入れて慰めてあげようと立ち上がろうとしたとき、杏寿郎さんはブルブルとまるで犬のように首を振り、ソファから立ち上がってこちらを見た。その目は爛々としているので、どうやら元気を取り戻したらしい。

「よし、サンドイッチを食べよう!」

嫌な事が終わったらあっという間に元気になってしまった。歯が痛いのはどうしたのだろうか。
まあ、こういう切り替えの早さが彼の良いところでもあるんだけど。

「うまい!うまい!」

後日、歯医者にいきたくないとごねたのは言うまでもない。


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