大学に入ってから、パソコンを使うことが増えたせいか字が汚くなったような気がする。大学の卒業も控え、そろそろ社会人にもなるしどうしたもんかと悩んでいると、ご近所で学校の後輩である煉獄くんが自分の家でやっている書道教室に来ればいいと誘ってくれた。
知らない場所で習うよりそっちの方が安心だし、なにより優しい煉獄くんがマンツーマンで教えてくれるというのだから安心だと思ったから意気揚々とついていったのに。出てきたのは怖そうなお父さんと綺麗なお母さん。そしていざ教えてくれるのは煉獄くんじゃなくてお兄さんの煉獄先生。
あの煉獄先生がお兄さんなのは知っていたけど、どうして習字を教えるのも煉獄先生なのか。だって先生は歴史の先生じゃないか。数年前まで高校で担任だった煉獄先生じゃないか。
私は猛抗議した。煉獄くんでなくても、お父さんとかお母さんとか、他に人は居るのに、どうしてなんだと。煉獄くん。ややこしいから千寿郎くんと呼ぶが、千寿郎くんはニコニコして「兄上のが上手なので!それに週末は他の生徒が居ますから、父上も母上も忙しいので!」と言い放った。
そういう事じゃない。そういう事じゃないんだ。私は先生と二人きりになんて、なりたくないんだ。だって私は、煉獄先生が。君のお兄さんの煉獄杏寿郎さんが好きなのだ。
二人きりの空間で居るなんて耐えられるはずがない!でも、断るわけにも、断りたいわけもなく。

「またよろしくな!袖ヶ浦!」
「はい、またお願いします。煉獄先生……」

結局は煉獄先生に習字を習うことになってしまった。そしてそれはあっという間に2か月、3か月と経ってしまったのだ。

「うむ!随分と良くなったな!」
「ありがとうございます」

3か月も経つと、すっかり煉獄先生と二人きりの空間も慣れていた。それに、叱られてばかりだった私の文字も褒めてもらえる回数が増えた。ちらりと隣の煉獄先生を見れば、真剣な顔で私の書いた『迎春』という言葉を見つめている。

「しかし、ここの払いがまだ気になるな」
「ん?どこですか?」
「ここだ、ここ。癖みたいだな」

半紙を覗きこむと、朱墨汁を付けた筆を取り修正を加えていく。春の右の払いが弱いらしい。
今日書いた迎春の文字を見ると、確かにどの半紙にも春の右の払いに修正が加えられている。せっかく修正してくれているのに全然よくなってない自分に少々あきれていると、煉獄先生は思いついたように手を叩いた。

「よし、一緒に書いてみるか!」
「え?」
「え、じゃないぞ。ほら、早く筆をもて」
「は、はいっ!」

半紙を用意し、正座して向かう。背後に煉獄先生が立っているから、いつもより背筋が伸びているような気がする。私の顔のすぐ横に煉獄先生の顔があってドキドキする。それに、いつも顔の周りにあるふわふわとした髪の毛は邪魔だからと結わってあって、顔がよく見える。綺麗な顔、目が大きくて睫毛も長くて。なんだかいい匂いがする。香水なのか、柔軟剤なのか、シャンプーなのかは分からない。
それに、髪を結んでいる姿はいつもと違ってこれもまた良い。ああ、どこを見たって好きなんだ。正直、目の前の半紙なんかよりも、隣に居る煉獄先生の好きなとこばかりが目に入る。

「まずは迎、これは自分で書いてみるといい」
「はい」
「ああ。迎はよく書けているな」
「ありがとうございます」
「問題は春。ここからは一緒に筆をもって書こう」

置いた筆を私が握ると、煉獄先生の大きな手が重なる。ぎゅっと握られて、私の心臓はうるさいくらいドキドキと音を立てている。耳の中にうるさく響いて、耳から心臓が出てるんじゃないかって思うくらい。
そんな私の事などつゆ知らず、煉獄先生は私を後ろから覆うようにして手を動かし始める。一本。二本、まっすぐ春の線を引いていく。耳のすぐそばで話すから、声が妙に響く。触れてる手は熱い。背中だって、正直汗だらだらで、先生にバレてないかひやひやする。もう絶対に私の顔、真っ赤に違いない!
三本目の一本線。左の払いを終わらせて、いよいよ問題の右の払い。煉獄先生は顔を少しだけ私の方へ傾ける。少しでも私がそちらに向けば、キスできてしまいそうなくらい、近い。

「ここ、少し注意して払うように」
「は、はい」

だからと言ってそんな事ができるはずもなく。先生の顔が横にある事を意識しないようにするだけで必死で。早く、早くこの払いを。春の字を書ききってしまいたいと思った。

「よし!いい感じだな。これを忘れないように」
「はい、分かりました……」

春を書ききって満足そうな煉獄先生とは対照的に、私は緊張しすぎて疲れ切ってしまい、筆をおいてすぐに畳へと転がる。白い天井と、煉獄先生の綺麗なうなじが見える。だらしがないぞと視線をくれぬまま先生が言う。先生のせい、と聞こえるか分からないくらいの声で言った。聞こえてないと良いなと思ったけど、どうやら聞こえていたらしい。振り向いた煉獄先生は、寝転がる私を見下ろすように、真上から覗き込んできた。

「なんだ袖ヶ浦、顔が赤いな」

そう言って、頬に触れた。
先生の表情は、心配しているのか、からかっているのか分からない。もし後者で、私の恋心をからかっているのだったら、なんて厄介な人なんだと思った。

「好きって言ったら、どうしますか」

でも、そんな人を好きになった私の方が厄介なのかもと言葉に出して思った。

「そうだったら嬉しいな。奇遇だが、俺も君が好きなんだ」

でも、私よりもこの人の方がやっかいだ。だって、近づいてくる顔は笑っている。きっと私の気持ちを知っていたんだろう。いつからだろうか。最初からだろうか。もしかして、最初から煉獄先生も私の事を好きだったのかもしれない。私たちは両想いだったのかもしれない。そうしたら、一番厄介なのは千寿郎くんじゃないだろうか。意外と彼は策士なのかもしれない。


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