「お願いっ!この薬、塗ってくれない?」

煉獄の部屋で両手を重ね、お願いするすず乃の膝に乗せられた小さな薬。先日の任務で背中に傷を負ってしまい、少々深い傷のため跡が残らないよう、胡蝶特性の薬を塗らなければならないのだという。でも、なぜそれを俺が?と煉獄は困惑していた。

先日までの通院中は、蝶屋敷の女性陣に塗ってもらっていた薬。通院は終わったものの、薬は継続して塗らねばならない。背中とあって自分で塗るには難しく、かといってお世話になってる煉獄家には男性しかおらず。愼寿郎さんにはさすがに頼めないし、煉獄はこういう事に意外と初心で、恥ずかしがってやりたがらない。
最初から千寿郎くんにしか頼めないのは分かっていたので、彼に塗ってもらっているが、今はあいにく外出している。

そうなると、お願いできるのは煉獄しかいないのだが。怪我人の背中に薬を塗る事は恥ずかしいことではないのに、いかんせん彼は初心なのだ。今もこうやって頼んだ途端、耳まで赤くして首を横に振った。

「千寿郎が帰ってきてから塗ってもらえばいいだろう」
「もう出なきゃいけなくって、時間がないの!お願い!ちゃちゃっとでいいから!」

傷を残したくないすず乃も諦めるわけにはいかず。この通り!と上目遣いで頼み込まれてしまえば、煉獄も断れるほど鬼ではない。
ふう、と意気込みなのかため息なのか分からないものを短く吐いて、煉獄は覚悟を決める。脳内にチラチラと見栄隠れする下心を押さえるように咳払いをひとつ。観念したように、背中を見せろとすず乃へ声をかけた。

「えっ、本当にいいの?」

彼女は彼女で、頼んだわりにはやってもらえると思っていなかったのか、大きな声でやったー!と言った。そして、恥ずかしがることもなくすぐに隊服の上着とシャツを脱ぎ、背中を見せる。
露になる白い肌に、煉獄は思わず唾をのむ。でも、その白い背には似合わない大きな傷が出来ていて、下心はすぐに頭を引っ込めた。

「ささーっと塗るだけでいいからね」
「分かった」

傷はずいぶん薄くなっている。それでも、未だ痛々しく彼女の白い背中に残っていた。人差し指に粘度の高い薬をのせ、傷の上をなぞる。表面が痂でざらついていて、治りかけているのが分かった。この調子なら、傷がなくなるのも目とはなの先だろう。彼女の綺麗な背中に傷痕が残らないように、丁寧に薬を塗りこんでいく。小さな背中を見て、煉獄は考えた。こうやって、彼女の背中を見たのはいつぶりだろうか。少なくとも、この傷ができる前。すぐに思い出すのは、部屋の薄明かりに照らされて、組み敷いた彼女の背中。

「、んっ」

つい、ふしだらな考えを起こしたせいか。薬を乗せ終えた指は傷を通り越して背中を撫ぜていた。その指に反応してしまったすず乃から、小さく吐息が漏れ、その声に煉獄は我に返りハッとする。

「す、すまない………」
「煉獄のすけべ」
「むう」

すず乃は、じとりとした目で俺を振り返り、恨めしそうにそう言った。煉獄は、ただの治療行為に下心を感じたことへの罪悪感に苛まれる。継ぐんだ口からは、言い訳もなにも、言えなくなってしまった。もしかして、すず乃は怒ったかもしれない。

「まったく、初心なんだから」

呆れたような声だったが、顔は笑っていた。煉獄の心配をよそに、彼女は思ったほど怒っていないようだ。弱々しくした煉獄に、少々呆れてはいる様子であったが。

煉獄が彼女の背中に触れるのは、はじめてじゃない。でも、いつも触れるのは確かに、まあその。男女の仲であるそういった時だけで。
こんな風に意識しないように触るのも逆に難しい。そう思ってしまうのは、彼女の事がどうしようもなく好きだから。その白い肌を見てしまえば。触ってしまえば。簡単に、欲情する。だから、触りたくなかったんだ。そんな言い訳がましい考えを吹っ切るように頭を振る。

「もう終わったよね?」
「ああ、済んだ」

煉獄の様子を気にすることもなく、気を取り直したすず乃は薬を塗り終えたことを確認する。よっぽど急いでいるのか、お礼もそこそこにシャツと隊服をテキパキと着始める。それを見た煉獄は、もしかしたら、なんて期待していた自分がいたことにまた落ち込んだ。これではよもや、盛りのついた猿ではないか。と、自分自身へ投げ掛ける。
そんな煉獄の姿を見て、可哀想におもったのか。すず乃は、煉獄の手元にあった薬を奪うようにして取ると、悪戯な笑みを浮かべた。

「杏寿郎」
「どうした?」
「触るのは、帰ってからにしてよね」
「なっ……?!」
「だから、お利口にして待ってること!」

まるで犬に言い聞かせる飼い主のように言った。するりと立ち上がり、煉獄の頭を撫で付けると、彼女はさっさと部屋を出ていってしまった。
残された部屋は、先程まで手に乗せていた薬の香りだけが残る。そして入れ替わるように、部屋に明るい声が舞い込む。

「ただいま戻りました!って、あれ?すず乃さんは?」

買い物から戻った千寿郎が部屋に顔を出した。さっきまで聞こえた彼女の声につられてきたらしい。手には団子屋の包み紙。一緒に茶でもするつもりだったのだろう。

「用事があるとかで、入れ違いに出ていってしまったぞ」
「そうですか、残念です。…………あれ?兄上、」

顔が赤いですよ? 千寿郎が心配そうに顔を覗きこむ。まだ小さな子供だ、きっと熱があるんじゃないかと心配しての行動。しかしこれは熱ではない。いや、実際は熱がある。それは、彼女への欲情の熱。

「杏寿郎、か」

彼女が最後に、杏寿郎と名前で呼んだ。普段は名字なのに、名前で呼ぶのはそういう事で。二人だけの、暗黙の了解。悪戯に笑った顔、そしてすず乃の言葉がやけに耳に残り、顔を熱くさせる。
今夜はきっと、傷を塗るように優しくはしてやれそうにないと、煉獄は笑った。

(20191107)


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