キリリク小説 | ナノ

14400HITリク



「最悪や…」
羅刹の口にくわえられた体温計は、ぐんぐんと上昇していく。
ベッド傍の窓から見える空はどこまでも青く澄んでいた。

「よりにもよってなんで今日ひかなあかんねん…」
くらくらする頭を支えながら、鉛のような体を起こしてベッドから下りた。
体温計の水銀は見たくない目盛りにまで達していた。

「羅刹、用意できたか?」
突然、部屋のドアが開かれ、満面の笑みを浮かべた阿耶が入ってきた。そこらの女より何倍も価値のある綺麗で可愛らしい笑顔。
「…何だ。まだ着替えてないのか?……って、何してんだ?」
ふらふらと千鳥足の羅刹を見て、阿耶の表情が一瞬曇る。
「何って…」

………

「何って…。…。…。…酔拳やん!!ホォワチャーっ」

「…」
熱があるなんて知られてはいけない。
今日は。

「ジャッキーに憧れてんねん!ジャッキー!酔拳やな、酔拳!うん!酔拳や!」
勢いで誤魔化す羅刹を見て、
「…馬鹿じゃねぇ」
と阿耶は答えた。
「どうでもいいから早く着替えろよな」
「おお、そやな!はよ行かなな!動物園!」
羅刹の返事を最後まで聞かず、阿耶はドアを閉めた。

そう。今日は阿耶と動物園へ行く約束をしていた。
久しぶりの休みを貰い、浮かれた羅刹は昨日POISONで諒一としこたま飲み、そのまま玲華んちにお邪魔して、マンションに帰ってきたのは朝4時で…
二日酔いと風邪のダブルパンチ。

――ほんま最悪や…





「なんで俺が行くの」
壱鷺は危うくトーストを落としそうになった。
「え?なんでって…?」
壱鷺の前には黒くて長い髪を2つに束ねた雛莉が首を傾げていた。
「だから、何で俺が雛莉についていかなきゃいけないの」
「行きたくないの?」
「はぁ?」
「神流がご飯 誘ってくれたんだよ?」
「…神流は何っつって雛莉を誘った?」


明日、一緒に食事でもどう?


「って言われたわ」
「…」
――本当に自分の姉は馬鹿なのかもしれない…

と壱鷺は本気で心配した。
「あのな、男が女を誘うってのは…」


ピロロロロン♪

「あ、神流からだ」
雛莉が携帯を取った。
「はい、もしもし。…うん。用意できたよ、うん…はぁい、今から行くね」


ピッ♪「ほら、早く行くよ」



「ずいぶん厚着だな」
二日酔いのため頭痛がひどい…そのためのニット帽。
風邪のせいで震える体…そのための厚めの上着。
初夏に似付かわしくない羅刹の装備。
「まぁな。ダイエット中やからな」
なんとか意識を保ち、羅刹は笑った。


動物園までは電車で二駅。
車を出そうかと言った羅刹を、阿耶は断った。
阿耶にとって切符を買うのも、改札を通るのも、電車に乗るのも生まれて初めての体験だった。
慌てふためきながらも、懸命に任務(?)をこなしていく阿耶を、羅刹は意識朦朧の中 見つめた。
阿耶が何かを失敗してこちらに目を向けたときは素早く笑顔を作ってフォローを入れた。こちらに阿耶の目が無いときはひたすら死んでいた。






「あ、神流ー!」
通りにあるオープンカフェの一席に座っていた神流の背中を見付け、雛莉は手を振った。
声に反応して振り返った神流は確実に「ん?」という顔をした。
壱鷺は雛莉の後ろで両手を合わせて頭を下げた。

「遅れてごめんねっ待った?」
お決まりの台詞を吐き、雛莉は壱鷺の袖をひっぱり神流の前に座った。
「壱鷺が早く用意しないからぁ…」
遅れた理由を弟に擦り付け、雛莉はもう一度謝った。
「…」
「…」
「…。どうしたの?」
――謝る所間違えてるだろ…
と壱鷺は思い、姉はホントに頭が悪いのだと ため息をついた。



動物園の中に入ると、阿耶は本当に子供のようにはしゃぎ回った。くるくると飛び回るように、次から次へと檻の中を指差し、羅刹の説明を求めた。


あまり見ることのない元気な阿耶の姿に、羅刹は自分が今にも死にそうなぐらい熱が上がっているなど、麻痺してしまうほど見惚れてしまった。

――ホンマかわええな… 紅葉も、笑ろたらこんな感じやったな…

阿耶を愛する人に重ねながら思いに耽っていても、羅刹の体は限界に近そうだった。

――アカン…倒れる…

「羅刹…?」
うなだれる羅刹を、阿耶は表情を曇らせて覗き込むが…
「阿耶、ちょっと俺あそこで座っとくから一人で見てこい、な?説明とか檻の前に書いたあるさかい、な!」
一刻も早く自分は座らなければならない。このままだと本当に自分はここにぶっ倒れてしまう。

阿耶が一人で歩いてる間に自分は座って体力回復させて…

などとガンガンする頭で考え、導きだし、阿耶に伝えた。

――はよ 行ってくれ…



「…」
しかし阿耶は何も言わずじっと羅刹を見つめていた。唇をぎゅっと一文字に結んで。
「…はよ、行けって…」
少し、イラつきながら言った。
「…じゃあ俺も休憩するよ…」

――ああ?それじゃ意味ないやろ…
「ええからお前あっち行けって…」
言ってはたと失言に気付く。
「あーっちゃう、間違えた。ほんまゴメン…あっち行けってのは、その…」
弁解しようとする羅刹は、霞みだした自分の視界のなかにいる阿耶に伸ばした手を止めた。
「阿耶…」

――何で泣くねん…

阿耶の大きな瞳は半分以上が目蓋に隠れ、長い睫毛に引っ掛かりながら大粒の涙が零れていた。
「…俺は…お前と一緒にっ…一緒にいたいんだよ……動物園に来たかったんじゃなくてっ…羅刹と一緒に…羅刹の傍にいたいだけなんだ……」




肩を上下に律動させながら、阿耶の可愛らしい顔は涙を加え、妖艶で美しい泣き顔へと変貌した。
その姿を見て、羅刹はあぁ、とため息を漏らす。

阿耶は俺と一緒にいたかったんだと言ってくれた。

――なんや…無理せんでよかったんか、俺…

ぽろぽろと涙を流す阿耶を見つめながら、羅刹はぷつりと意識を失った…




朱色に染まった街を、壱鷺は神流と並んで、雛莉はその少し前を歩いていた。
「今日は楽しかったね!壱鷺、神流」
後ろを振り向きながら、雛莉が今日の感想を述べた。
神流は引きつった笑顔を見て、そうだね。と言った。

「姉はニブちんだからさ、今度誘うときはもっと細かく指定してやってよ…」
肩を落とす神流の背中を叩いて、壱鷺は深いため息をついた…





目を覚ますとそこは見慣れた自室の天井。
「…」
ひんやりと冷たい自分の額。
まだぼんやりとする頭を持ち上げた。ぱさりとタオルが落ち、キンキンに冷えたそれは自分の額に置かれていたものだと悟る。
「…」
上半身を起こし、周りを見渡せばいつもの見慣れた自分の部屋。しんとしていて窓の外はうっすら暗い。
羅刹はふらつく足を床へと下ろし、ひんやりとしたフローリングに意識がはっきりしてくる。


ガチャ


「阿耶…」
「何起きてんだよ、寝てろって」
部屋へ入ってきた阿耶は羅刹をそのままベッドへ押し戻した。
「病人は寝てろ」
ふらふらの羅刹はそのままベッドにへたり込み、柄にもなく照れた。
「何赤くなってんだよ?」
「べっつにぃ」

羅刹は動物園で気を失う前に聞いた阿耶の告白(?)を思い出していた。


俺は羅刹の傍にいたいだけなんだ

そう言って泣いた阿耶。

「自分、さっきなんで泣いてたんやっけぇ?」
ニヤニヤ笑いながら悪戯っぽく聞く羅刹に、阿耶は
「別にぃ」
と答え、2人顔を見合わせて噴き出した。
声に出して大笑いし、羅刹は阿耶の小さな体を抱き寄せた。
「俺の宝もんや」

早くよくなれよ、と小さく呟いて、阿耶も羅刹の背中に手を回した。



END
















おまけ。


「なぁ、阿耶。俺が倒れてからどーやってここまで運んだん?まさか自分1人でちゃうやろ?」
ふと沸き上がった疑問。
非力を絵に書いたような阿耶が俺を抱えて帰ってこれるなんて考えられなかった。電車だってろくに1人で乗れない阿耶が。

「リョウイチ、って言う奴が運んでくれたんだ」
「はぁ!?」


数時間前。
――…
「…羅刹!おい、羅刹!!しっかりしろ!」
熱い体を全体重 阿耶に預け、羅刹はぐったりと動かなかった。
「羅刹っ!」
阿耶の声が叫びに変わるのと同時に、目の前に長い影が伸びた。
「…」
阿耶が顔を上げた目の前には、青い瞳があった。
「初めまして」
にっこりと作った笑顔で青い瞳の男は阿耶に挨拶をし、羅刹をひょいと抱えて歩きだした。
「あ、あんたは…」
状況が読めない阿耶に、男は
「羅刹の同僚だよ。さ、早く阿耶姫もおいで」
と言って阿耶に手を差し伸べた。


「てかなんでそこに諒一がおるん!!?」
「さあ?でも…」


「…でもなんであんなとこに…」
諒一の車の後部座席に羅刹と乗せられ、阿耶は聞いた。どうしてあんな都合よく現れたのか。どう見てもこの男に動物園は似合わない。
青い瞳をサングラスで隠しながら

「羅刹のストーカーやから」

と言って諒一は車を発進させた。



「…」
頭を抱える羅刹。違う意味で頭痛がしてきた…
「なぁ羅刹、すとーかーって何だ?」
「はぁ…」



ほんとにEND
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宝物



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