(※夢主≠公式ヒロイン/悲恋)

気がつくと私は恋をしていたのだけれど、それと同時にこの恋が成就するのは諦めざるを得ないということも悟った。別にそれは相手が先生――自分のクラスの担任だったからじゃない。教師と生徒。世間一般様はこれが恋愛関係へと発展することを禁忌なんて近寄りがたくするための壁まで張って悍ましい異物のように扱うけれど、私は自分の願望にとことん忠実であったから、気に留めやしない。そんな私が実らないとまで断言したのにはもっと他の理由があった。簡単で、だけどとても複雑な理由があったのだ。――先生は、一ノ瀬先生は恋をしていた。ただの単純な恋だったなら、手放すことなくどうすればこちらを向いてくれるかなんて考えるのだけど、そのお相手とやらが厄介だった。私のクラスメイト、一ノ瀬先生からすれば、自分の受け持つ生徒の一人だった。私から先生への想いがひっくり返ったかのような似た状況である。しかも皮肉なことに片想いという点についてはどこからどこを見ても丸っきし一緒だった。

私は欲を拒まないけれど、それを大胆に表面へと押し出すほどの馬鹿ではなかった。先生も後者だけ比べるならば一見そうだ。対する想いというのを圧殺して、他の生徒となんら変わりのない態度をあの子に取っている。でも、それでも潰した隙間から滲み出る感情が無意識のうちに出てしまっていて。先生は器用な人ではないからそれを上手く拭えない。だから私が気づいてしまったのだ。クラスメイトや同級生、この学園に通う全ての生徒とは違う目で、感情で彼のことを見ている私が。差異を見つければ見つけるほどに苦しくなる。ただ純粋に好きだなあとぼんやり自覚したものと違うそれは胸の内でみっともなく泣き喚いて暴れ出す。無理矢理押さえつけてしまうのはとても難しいことだった。いっそのこと吐き出してしまえば、馬鹿になってしまえば。どんなに楽になれただろう。自己中心的態度を振舞って先生の裾を引っ張って。先生、私を見てよ!我侭な子どもみたいに叫んでみたかった。でも彼は私と違って、大人で自分の立ち位置を分かっていて。それで自分のどうしようにもなくなりそうな想いを必死に仕舞い込もうとしている。そんなこと本当はできないと知っていても、最後の一線だけは超えないようにしているのだ。あの子を巻き込まないようにと。そんな一人だけで抱え込んで苦しんでいる姿を見てしまっては、私も受け入れた欲の息の根を止めるしかない。矛盾した行動を取るしかない。先生と似た想いを先生に向けるしかない。他の人を好きになった方が。そんなことも考えたけれど、端からできることなら今、私も一ノ瀬先生も苦労していない。困ったことに私も彼も歪んだ一途さで自分の首を絞めることが日課になっていた。


*

それじゃあ、今から時間をあげるからこの和歌の意味を考えてみようか。先生ののんびりとした合図を皮切りに教室は少しだけざわついたものとなる。ノートの上を走らさられるシャーペン、捲られる辞書、近くの人と相談する声、もはや授業に関係すらない会話。音源を探ろうとすれば様々だった。かく言う私も開いた電子辞書で分からない単語を引いていた――のだけれど。不意に湧き出た衝動に駆られて、そこから目を逸した。その代わりというように移した視界へ入り込ませたのは、先生の姿。けれど視線がぶつかるなんて私の望み通りにはならない。だって先生もみんなの注目を浴びていないときには。自分がみじめになるだけとは分かっていたけれど、先を追う。そこには彼女がいた。どうやら隣で眠り込んでいた幼馴染を起こしていたようでその肩に手を乗せ、揺さぶっている。深い意味はない行動なのかもしれない。けれど先生の心に爪を立てるには十分であった。再び先生へと戻せば、彼は悲しそうに眉を下げて声には出さずに、でもとても愛おしそうに彼女の名前を呟いた。ためらいもなくあの子を名前で呼ぶ。もちろん聞こえない彼女から、必死に幼馴染の名前を繰り返す彼女から返事は来ることはない。――ずるいと思った。先生に気が向いていないのだから、当たり前のことだけれどそれでもずるいと思った。他の子は、私は苗字で呼ぶものだから。嫉妬心が走り出してもしも私だったら、そんなありもしないことを考えようとする。耽るついでに目の前の事実から逃げるように瞼も閉じたら。渇いた音が数回ほど教室に響いたものだから慌てて、視界を開く。するとそこには両手を重ね合わせた一ノ瀬先生。さっきの悲しげな表情はどこに行ったのか、少しはにかんで私を見ていた。それじゃあ、苗字さん。この原文と訳を読んでもらっていいかな?すぐに伝えられたその言葉で当てられたということを把握する。さっきの光景に足を引っ張られていた私は同時に訪れた期待はずれにほんのちょっと憂鬱な気分になりつつ、ノートに目をやる。そして。


「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする――絶えるのであればこの命は絶えてしまえ。このまま生きているならばこの恋を忍ぶ気持ちが弱り、みんなに知られてしまうだろうから、です」
「うん、その通り。正解だね。苗字さんが今訳してくれた通りこの和歌は――」


一足先に我へと帰り、教師に戻った彼。一方、答えた生徒に対して大げさなほどには褒めないと分かっていても、先ほど汲み取ってしまった心情に比べたら随分と素っ気ない態度をされた私は、改めて実感させられて脱力してしまう。先生を見習って今まで、それこそこの和歌のように耐えてきたことが急にあほらしくなった。もういっそのこと私だけでも素直になってしまえばいい。どうせ他の生徒や教師からはただの憧れだと勘違いされるだけだ。一方通行じゃ、被害も少ない。相手のために――確かにそれは大切なことで、それができる先生は立派だ。でも私と先生は違いすぎる。私はまだ子どもだから。寸前で息を吹き返した欲に縋りつき、矛盾した行動は直ちにやめる。先生には似たようで似つかない感情をぶつけることにした。つまり私の考える馬鹿になろうということだ。苦しい想いを抱えたまま、死んでいくぐらいなら打ち明けて生きていくほうが性に合っている。例えそれが自分の身に傷をつけようとも。私は私なりのやり方で私を楽にしてやりたかったのだ。楽にして堂々と一ノ瀬先生を想いたかった。

いまだに和歌の解説を続け、いまだにあの子への恋を忍び、いつかはそれを抱えたまま死んでいくであろう先生の思考に望んだ形でないとは言え、ほんの少し入り込めたならば。そのときのことを考えると溢れ出すものが抑えきれなくなって、俯いた。拍子にノートの文字が滲んでしまったのは分かっている結末を受け入れたからか、やはり拒みたくなったからか。どっち、なのだろうか。矛盾だらけの思考にはもうその判断はつけられない。だからと言って唯一知っているだろう感情は答えてはくれない。





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