土仮面


 子どもは風の子というけれど、この秋に吹く木枯らしは小さな身には余程こたえたものとみえる。近頃楓の村では体の不調をうったえて寝込む子らが後を絶たなかった。親たちは楓の煎じた薬と重湯をあたえて甲斐甲斐しく世話を焼いているが、病床に臥した子どもたちが快方に向かうきざしはいまだ望めないという。
「しっかしひよわなガキどもだな。普段はあんなに悪さばかりしてやがるくせによ」
 かごめの手製の赤い襟巻きを風になびかせながら、犬夜叉はふんと鼻を鳴らした。
「どの家のガキも、腹が痛えだの薬が苦えだの、やかましく泣きわめいてやがったぜ」
「またそんな憎まれ口言って。本当は心配してるくせに」
 素直じゃないんだからとその背で笑うかごめの首にも、揃いの襟巻きが巻いてあった。
 久方ぶりの二人きりでの外出である。
 楓によれば、子どもの万病に効く薬草が存在するという。それはさる山奥の社祠にのみ生えており、手にするには相応の対価を支払わなければならない。
「弥勒さまに色々持たされたけど、お薬代ってこういうのでいいのかしら?」
 背中に括りつけた荷をちらとかえりみて、かごめはふと得心がいかないような面持ちになる。三人の愛する幼子が病に苦しむのを黙って見過ごす法師ではなかった。楓の話を聞きつけるや、彼はどこぞの屋敷からせしめたとも知れない金子に銀子、巻物やら硯やら反物といった貴重な財物を惜しげなく放出したのである。が、それらが無用の長物になりはしまいかという懸念がかごめの胸のうちに芽生えていた。
「ねえ、どうする? もし、お宝なんかじゃなくて、私たちの目とか腕と引き換えなんて言われたら」
「けっ。そんなたちの悪いやつ、おれの鉄砕牙でぶった斬ってやればいいんでい」
「斬っちゃだめでしょ。薬草がもらえないかもしれないじゃない」
「うっ……」
 どこまでも好戦的な夫に彼女は苦笑する。するとまともに取り合ってもらえていないと感じたらしい犬夜叉がむきになった。
「百歩譲っておれの目や腕なんかはどうでもいい。でもなあ、かごめの目玉をえぐり出そうなんて言いやがれば、おれがそいつの腕を斬り落としてやる」
「例えばの話よ。危なくなれば犬夜叉が守ってくれるってことは、ちゃんとわかってるから」
 かごめは彼の顔に頬を寄せた。お、おう、と彼女に触れた頬を山道に散り交う赤朽葉のように薄く染めて大人しくなる犬夜叉。
 太陽が中天にさしかかる頃、行く手に石造りの鳥居が連なるのが見えてきた。近づいてみるとそれらは思いのほか小さい。かごめの胸下ほどの高さなので、二人が四つん這いにならなければくぐり抜けることは不可能だった。
「小せえし、狭いな。ガキの通り道じゃねえのか、これ」
「確かに、大人にはきついわね」
「七宝の野郎でも見つけて連れてくればよかったかもな」
 這うことを覚えたばかりの赤ん坊のように、二人は延々と続く鳥居の道を前進していった。その道にただよう空気は不思議と生暖かく、うら枯れた木々に吹きつける秋風の冷たさとはまるで無縁のようだった。
「……あれ? もう夜だわ」
 ようやく出口を抜けた時、見上げた空は星満天だった。流れ星がすっと尾を引いて落ちた先に、ほの白く輝く小さな社殿が見える。かごめは弓を片手に握りしめて犬夜叉とともにその社を目指した。途中ふと指先に破魔の気をこめて弓の弦を鳴らしてみたが、妖魔の逃げていく気配は感じられなかった。
 小さな社の戸を開けると、二本の紙燭が誰の手も借りずにぽつぽつと灯った。鳥居をくぐった時のように、二人は身をかがめてその中に入る。手前に祭壇のようなものが築かれている他には何もない。その祭壇には一枚の古びた銅鏡が立てかけられていた。かごめは手を合わせた後、犬夜叉とかわるがわる鏡面をのぞき込んでみるものの、目ぼしい変化は見られなかった。
「もしかして、違うお社に来ちゃったのかな?」
「どうだろうな。薬草の臭いなんざしねえが……」
 狭い社で額をつき合わせるようにしてひそひそと談判する。ふと、外で何かの物音がした。ぽん、ぽん、と地面で弾むような音が規則的に聞こえてくる。目を見合わせた二人はそれぞれの武器を手に戸の外へまろび出た。そこに先程は姿の見えなかった二人の子どもがいた。かごめたちに背を向け、鞠をついて遊んでいる。
「おい、なんだ? おまえらは」
 犬夜叉の怪訝な声に子供たちはくるりと振り返る。その顔は面妖な土仮面に覆い隠されていた。しかしかごめの気がかりは別のところにある。
「この子たち、なんだか……私たちに似てない?」
「──かごめもそう思うか?」
 見間違えようもない。小さな巫女と小さな半妖は、ちょうど幼い時分の二人を鏡に映しとったかのようだった。至近距離でまじまじと観察するかごめと犬夜叉を、子どもたちは土仮面の穴の奥からじっと見つめ返している。
「なんなんだ? こいつらは。不気味なガキだな。妖怪の臭いはしねえが、人間でもねえ。おまけにうんともすんとも喋りやがらねえし」
「ちゃんと聞いてみたら答えてくれるかもしれないわ。──ねえ、あなたたちは誰? どうしてこんなところで遊んでいるの?」
 犬耳の少年と目線の高さを合わせてかごめは優しく尋ねた。少年はしばらく彼女を見上げていたが、やがて無言のまま今まで遊んでいた鞠を差し出してきた。かごめの瞳がその使い古されてほころびた鞠に向けられる。
「一緒に遊びたいの?」
 少年は頷く。それにならって巫女の少女が自分の玩具を犬夜叉に譲り渡そうとした。犬夜叉はためらいがちにそれを受け取った。子どもたちは遊び相手を得た喜びを表現しているのか、兎のようにしきりに飛び跳ねていた。
 夜空の下、二人の大人と二人の子どもは鞠をついて遊んだ。それに飽いた犬夜叉はかごめと子どもたちに蹴鞠の遊び方を教えた。いにしえの風雅な遊戯を彼女たちはすぐに習得した。時に犬夜叉が遠くへ蹴り飛ばすので、かごめは大童おおわらわになって子どもたちと一緒に鞠の行方を追いかけた。
 遊び疲れるとかごめが腰弁当の包みをほどき、蒸かし芋などを子どもたちに分け与えた。食事時になって初めて少年と少女は土仮面をはずした。彼らには顔がなかった。目や鼻や口があるはずの部分は鏡面のようにつるりとしている。それでも食べ物の匂いや風味を味わうように芋を顔に近づけていた。
 かごめは少年を、犬夜叉は少女を膝の上に乗せた。遊び疲れたらしい子どもたちは大人の温もりに包まれて、うとうととまどろんでいるように見えた。
「小さい頃の犬夜叉と遊んだみたいだったわ。楽しかった」
 ふふ、と少年の丸まった背中を撫でながらかごめは笑う。犬夜叉が鼻頭をかきながらこそばゆそうにその横顔を流し見た。
「おれはそいつみてえな甘ったれたガキじゃなかったぞ。……ったく、おれの姿で好き勝手しやがって」
「あら。じゃあ、子どもの私がそうやってあんたに甘えてるのも、いやなの?」
 言われて犬夜叉ははっと自分の膝元を見下ろす。彼の手は、そうしようと考えもせぬうちに、腰に抱き着いてくる懐っこい少女の頭を愛おしげに撫でているのだった。
「ガキの頃のかごめだと思ったらつい……」
「いいなあ。私も犬夜叉に可愛がられてみたかった」
「なっ」
 赤面する犬夜叉と、自分の膝の上で子犬のように丸まっている少年とを見比べる。かごめは、恋と愛とが何であるかさえ知らない年頃に出会う二人を思い浮かべてみた。二人は良い友達になれただろうか。かごめが歩み寄れば、きっとなれただろうという気がした。互いの鞠と鞠を譲り合うような関係に。
 やがて子どもたちの体が幻のように薄れていった。人でも妖でもないものがかりそめの姿を保つことは難儀であるらしい。優しい声で子守歌を歌うかごめの腹にふと少年が耳をつけた。何か告げられたように思いかごめは聞き返そうとするが、すでにその姿はなく仮面だけがすとんと地面に落ちた。するとその目と口の穴からみるみるうちに植物が生えてきた。その成長にしたがい土仮面はやがてただの土くれと化していった。
「もしかして、これが楓ばあちゃんの言ってた薬草……?」
「──だろうな。きっと」
 二人は肩を寄せ合い、しばしの間夜風に吹かれてきらきらと揺れる名もなき草を見守っていた。子どもたちを慈しむその草を育むものは、神の御業みわざか人の心か。
 どこからか、幼子の笑う声が聞こえるような気がした。



文字書きワードパレット 和の色
「5.濃藍」[ためらい・歌う・恋と愛]
リプライ感謝……秋さん


2020.10.24



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