紙ふたえ


「貸してごらん」
 苦戦する坊を見かねたらしいハクが、むっちりと肥えた手からはさみを拝借した。
「なにを作りたかったの」
「ネズミ……。でも、じょうずに切れないぞ」
 思い通りにゆかず、しょんぼりする坊の背中を千尋がぽんぽんとたたいてやる。
「はさみが小さいんだよ。もっと大きいはさみなら、きっとうまく切れるよ」
「そうだね。坊の手に合うはさみがあるといい」
 ハクは色紙の箱の中から薄紫の一枚をえらんだ。手のひらで撫でるようにして熨した後、その一角へていねいにはさみを入れていく。
 横から千尋と坊が興味津々にその手元をのぞき込んだ。
「──わあっ、ネズミのあたま!」
「しっぽ、しっぽ!」
「まんまるでかわいいっ。ハクって、なんでもできるんだね」
 はさみを動かすたびに目を輝かせる二人を横眼にとらえて、ハクはほほ笑んだ。
「さあ、できたよ。このネズミをよく見ていてごらん」
 千尋と坊は言われた通りに紙のネズミを凝視した。するとそれは息を吹き込まれたかのように、ひとりでに坊の手のひらで起き上がったのだった。
「──う、動いた!」
 ネズミは驚く千尋の腕をつたい、肩によじ登ってきた。目を丸くした坊がずんぐりとした指先でその胴体をつんつん突くと、今度は逃げるように千尋の首から頭へと登っていく。
「紙にまじないをかけたんだ。式神というんだよ」
「ふうん、シキガミ……」
 千尋は色紙のことだろうと解釈した。
「これ、わたしも作ってみたい! わたしにもできるかな?」
「坊も、坊も!」
「うん。たくさん作って遊んでみようか」
 そう言って、ハクは新しい色紙を手に取った。


 最後の日帰り客を見送り、消灯の見廻りをしていると、ふと何かが近づいてくる気配がした。
「誰だ?」
 返ってくる声はないが、かさかさと何かがすれ合うような音がする。もしや、と思い立ったハクは暗闇の中に手を差し出した。
 かさ、と手のひらに落ちてきたものを、まるで宝物のように大切に両手にとって近づけてみる。それは淡い桃色の紙でできた鳥だった。まじないの力が尽きたのか、あるいは切り方が不恰好なせいか、くたりと倒れて動かなくなったものに、ハクは唇を近づけ、そっと吐息を吹きかける。
「そなたを作った者のもとへ、導いてほしい」
 よみがえった鳥は、ぎこちなく羽ばたいた。
 鳥の飛ぶままついてゆけば、無人の湯殿を通り、番台の脇を抜け、休憩所の雨戸を開けて、花咲く庭にいたる。
 そこには色とりどりの鳥、蝶、虫、羽をもつ紙の生き物たちがひしめき、箱庭に放たれたもののように自由に飛び回っていた。
「まさか、迎えを送ってくれるとはね」
 ハクは裸足のまま土を踏み、その背に歩み寄った。ちらと振り返る頬がほのかに染まっている。
「……ハクみたいに、上手に作れなくて」
「でも、私のもとへ飛んできてくれたよ」
 桃色の鳥がひょろひょろとハクの肩にとまった。指で撫でてやれば、本物の鳥のように嘴をすり寄せて甘えてくる。
「あ」
 すると触れられもしないのに、千尋がくすぐったそうに身をよじりだした。顔や腕、腹を落ち着かなげにおさえて、もじもじと赤面する。
 それを目の当たりにしたハクは紙の鳥とじゃれるのをやめ、千尋の頬と肩にそっと手を添えた。
「ハク……?」
「千尋。式神はね、分身なんだ。思いをこめて作ったものなら、より強く作り手と通じ合う」
 そう言ってハクが視線を落とすと、彼の懐から何かがちらりとのぞいた。白い紙の切れ端。命を吹き込まれたかのように彼の目線の高さまで浮かび上がったのは、小さな紙の竜だった。
「私もね、千尋とまったく同じことを考えていた。先を越されてしまったけどね」
 くやしくも嬉しい気持ちを隠そうともせず、ハクは千尋を腕の中に閉じ込める。千尋も彼の背にしがみついて目を閉じたまま、からみついた二本の木のようにそこに根をおろしていた。




(10周年御礼・「ハク千,二人がぎゅーっと抱きしめ合うシーン」匿名様より)

20.03.22

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