人見城址



 その妖怪の名を耳にするのは誰しも久しかった。彼らが、思わずたがいに目を見合わせたのも無理はない。ありふれた村落に根をおろし、ごく平穏な暮らしを営む今となっては、その名は遥か遠い昔の遺物のようにも思われるのだった。
「──で、奈落がなんだって?」
 皆が記憶の土を掘りかえす中、いち早くかつての宿敵について問い質したのは、犬夜叉だった。かつての仲間たちは思い思いにその鋭利な横顔を見つめる。
「あいつは死んだ。おれたちが見届けたんだ。それなのに、なんで今更あいつの名が出てくる?」
「ご不興はいたく承知の上」
 さる城主から遣わされたという使者は、かしこまってそのおもてを下げた。
「されどわが殿たっての願意ゆえ、伏してお頼み申しまする。かつて奈落なる物の怪を滅せられたというあなたがたのお力でもって、かの亡霊の祟りを退けていただきたいのです」
「奈落の亡霊だと?」
「城の者がもう何人も見ております。そもわが殿の築城なされた地は、かつて人見城と呼ばれた妖怪の根城の跡地であるそうですが……」


 そのような土地に城を築いては物の怪の祟りがあるのでは、と家臣たちは憂えたが、若き城主には恐るるに足らなかった。地鎮の加持祈祷もなおざりに、普請ははじまってしまった。程なくして人足の中に亡霊を見たと騒ぎ出す者が現れた。だが、そうした声は聴き入れられず、上意によって建立は断固として押し進められた。
 城が完成すると、あるじを始めとする大勢が家移りしてきた。すると今度は、近習や侍女たちが亡霊を目の当たりにしたと、恐れをなして口々に奏上しはじめた。普請中の人足の訴えをはねのけた主君は、やはり荒唐無稽な話としてまともに取り合わなかった。
 しかし入城から一月余り、いよいよその寝所に渦中の怪異があらわれた。夜半に目ざめると、その枕辺に亡霊が立っていたという。血気盛んな城主はみずから武器を手にとり果敢に挑んだが、太刀も槍も矢もまるで歯が立たなかった。
「この城は、誰のものだ」
 斬ろうが突こうがものともず、亡霊は静かにそう尋ねてきたという。
「逆に聞こう。きさまはこの城、誰のものと思うておる」
「知れたこと。この奈落の城よ」
「世迷言を申すでない。そのまなこをしかと開いて見よ。これはまぎれもなくわが居城であるぞ」
「──ならば取り戻すまで」
 亡霊は夜陰にまぎれるようにして、跡形もなく消え去った。
 その夜以来、城内では不吉な出来事が多発した。城主の身にも厄災が降りかかった。亡霊の存在を否定しつづけてきた城主だが、いやが応にもはびこる流言を真実と認めざるを得なくなった。
 僧侶や呪い師を呼び、加持祈祷をさせた。だが目ぼしい効果は得られなかった。亡霊はこの地に縛られており、難を逃れたくば城を棄てて去るのがよろしかろう、という紋切り型のような文句ばかりが並べ立てられた。
 そうして風の噂にかつて「奈落」を滅ぼしたという一行の話を聞きつけた城主が、藁にもすがる思いで彼らの住む村まではるばる使者を遣わしたというのが、事の次第であるという。


「でも、本当に奈落の亡霊なのかしら?」
 道中、かごめは久方ぶりの犬夜叉の背で思いをめぐらせていた。そうして胸に生じた疑問をふと口に出してみると、並走する雲母の背にまたがる弥勒と珊瑚が同意の視線をよこしてくる。
「最後の戦いのさなか、我々は確かに奈落の死を目の当たりにしました。かごめさまも、四魂の玉の中で奈落の最後を見たと言っておられたはず」
「うん。この目で見たわ。四魂の玉が消えた時、奈落も一緒にどこかに消えたはずなのよ。なのに今になって亡霊が出るなんて……」
「城の祟りってのはよくある話だけど、何か引っかかるよね。奈落の城の跡地ともなれば」
 押し黙る三人の脳裏にはほとんど似通った想像がうつしだされていた。──暗闇の中で砂上の楼閣のようにもろく崩れ去っていく、かつての天敵の居城。それは奈落にまつわる記憶そのもののようだった。こうして取り沙汰されることがなければ、その存在を思い起こすことさえなくなっている。──あの頃はいつも、暗中を模索する彼らの行く手をその確かな存在感ではばんでいた。それが永遠に退けられた今は、ただ遠く後方に浮かび上がるまぼろしの姿を、こうして半信半疑にかえりみるだけだ。
「犬夜叉。どうして黙ってるの?」
 かごめはその首根から顔をつき出してささやいた。物思いに沈んでいたらしい。呼びかけられてほっと人心地のついたように、彼は目の端でかごめをとらえる。
「奈落のこと、考えてた?」
「まあな」
「犬夜叉も、本当に奈落の亡霊だと思う?」
「……わからねえ。もう、やつの臭いさえ忘れかけてたところだからな」
「やっぱり、気配はないのね」
「ああ。それなのに、奈落の何かがまだこの世に残ってるかもしれねえってことだろ?」
 頭上に高く生い茂る山紅葉の葉陰を見透かしながら、かごめは、心残りを打ち明けるようにそっと嘆息した。
「最後は“魂の戦い”だって、奈落は言ってた。──その戦いが、まだ完全には終わってなかったってことかしら」
「もし、そうだとしても」
 犬夜叉は返す声に力をこめる。
「かごめが気に病むことはねえんだ。やつとの戦いは、おれたちみんなで乗り越えてきたことだからな。おまえ一人で背負いこもうなんて、絶対考えるなよ」
「……その台詞、そっくりそのままあんたに言い返したいわ」
 よくしつけられた利口な飼い犬を褒めるように、かごめは屈託なく笑いながらよしよしとその頭を撫でた。ほのかに赤らむ鼻先をすんと親指の腹でこすりつつ、満更でもなさげな犬夜叉の横顔。
「はいはい、お仲のよろしいことで」
 じゃれ合いとものろけともつかないものを見せつけられてささやかな対抗心が芽生えたのか、弥勒の手がさりげなく珊瑚の尻をさすった。三人の子をなしてもおなごのはじらいを忘れることのない珊瑚は、渾身の肘鉄砲でもって迎えうつ。
「いや、わが妻ながら相変わらず手厳しい……」
「おめーも懲りねえ野郎だな、弥勒」
 鳩尾をかかえて苦しむ弥勒に、かたわらの半妖夫婦は苦笑まじりのあきれ顔を向けていた。
「でも、みんなとこうしてると旅の頃に戻ったような気がするわ」
「ああ。七宝のやつでもいりゃ、やかましくはしゃぎ回っただろうな」
「さあ、どうだろうね。七宝ももう野を駆け回るような年頃じゃなくなってきたみたいだから。妖怪だろうが人間だろうが、子どもが育つのはあっという間だよ」
 人の子の親らしい珊瑚の指摘には確かな説得力がある。犬夜叉とかごめは、その場にない子狐の姿が恋しいように、空いた彼の肩の上で目配せしあった。
 

 大手をくぐった一行は、最上級の歓待でもって城内に迎え入れられた。
 かつての奈落の城は、今や完全に人の住処となっている。ここにあまたの妖怪がひしめき、さまざまな悲劇が繰り広げられたことなど、彼らにはやはり久遠の彼方の出来事のように思われるのだった。
「……妖怪の邪気や気配はないわ。犬夜叉はどう?」
 百畳敷の広間の只中で、かごめはそっと隣に耳打ちする。犬夜叉は赤い袖に両手を差し入れたまま、首を左右へ振った。
「ここには人間しかいねえな。怪しい気配も、臭いもしやがらねえ」
「ああ。城の人はおびえてるみたいだけど、正直、拍子抜けするくらい何もないよね」
 退治屋衣装に身をつつむ珊瑚は、それでも犬夜叉同様、余念なく周囲に目を光らせている。どれほど様変わりしようとも、その床下に、かつて父や仲間を葬り去った因縁の土が埋もれていることに変わりはない。そこに宿敵の亡霊が現れるとあっては、到底見過ごすわけにはいかなかった。子らを人に預けてでも、みずからの目でその正体を見極めなければならないと思った。
「気配はねえ、臭いもねえ、刀では斬れねえ。本当に亡霊なのかもな」
「だとしたら、奈落の亡霊は何がしたくて出てきたのかしら?」
「──城を取り戻す、と言っていたそうですが。あの奈落に、棄てた城への未練があるとも思えませんな」
 広間の四隅に破魔札を貼りつけ終えた弥勒が、座談の輪に加わってきた。
「奈落に心残りがあるとすれば、それはたったひとつでしょう」
「……」
 犬夜叉はかごめを見、かごめは犬夜叉をひたに見つめ返していた。その場にいる誰しもが心に同じ姿を思い描いている。
「お客人がた」
 水を打つような静けさは、襖の向こうからの呼びかけによってふつと途切れた。弥勒が襖越しに丁重に応じれば、するすると左右によどみなく開いた中からかの使者がおもてをのぞかせ、
「ご入用などござりませぬか」
「かたじけない。お気遣いは無用ですよ。──おや、何やらにぎやかなようですが」
「景気づけに皆様がたへ歌や舞など披露せよ、とのわが殿の命でして」
「はあ」
 弥勒が曖昧な返事をかえすや、楽器をかかえた奏者や舞手などが大挙してなだれこんできた。なんだなんだ、と反射的に立ち上がった犬夜叉は目をむいている。
「おまえら、なに浮かれてやがる。遊びじゃねえんだぞ」
「まあそうおっしゃらずに。人の心に活気みなぎれば、悪しきものもおのずと去ると申しますゆえ」
 使者は八重歯をのぞかせて、屈託なく笑った。
 あれよあれよという間に百畳敷はにぎやかな宴の様相を呈しはじめる。騒ぎを聞きつけた近習や侍女、果てにはやつれた様子の城主も加わり、歌と酒と踊りとで目まぐるしく城内の夜は更けていった。
 時折弥勒と珊瑚が見廻りに立った。が、宴席の外には特に異変は見られないようで、戻るなり、黙って首を左右に振ってみせるばかりだった。
「やっぱり、私たちが行かなきゃだめなのよ」
 かごめはしきりに犬夜叉の袖を引いた。けれど犬夜叉はぎりぎりまで席を立つことを渋っていた。──奈落の亡霊が現れるとすれば、それはかごめの目の前にほかならない。そう確信していた。かつて引導を渡した身として、その姿を見極めなければという使命感に駆られた。だが一介の男心としては、夫婦の契りをかわした大切な女を、過去の亡霊などと引き合わせたくはなかった。
「奈落の亡霊が本当にいたとして、おれたちはどうする。刀も矢も効かねえ相手を鎮められるか?」
「それは会ってみなくちゃわからない。とにかく、このまま放っておけないじゃない」
 放っておけない。犬夜叉はその真意を汲みとろうとする。
「かごめ。奈落を、哀れんでいるのか?」
「犬夜叉はどうなの?」
「──奈落は敵だ。どれだけ時が経っても、過去をなかったことにはできねえ。やつを倒したことは、絶対に正しかったとおれは思ってる」
「それは私も同じ。奈落が、あんたと桔梗、弥勒さまや珊瑚ちゃんにしたことを許すつもりはないわ。あいつに破魔の矢を撃ったこと、私は絶対に後悔なんてしない。……でも、でもね、犬夜叉」
 犬夜叉はかごめの声に意識のすべてを傾けていた。彼らを取り巻く宴の喧騒は、いつの間にか深い水の奥底で地上から聞こえてくる音のように、彼の耳に遠いものとなっていた。
「私、考えちゃうの。奈落は一度でも、こんなふうに誰かと笑ったことがあったのかなって。誰かと一緒にいて、嬉しくて、心があたたかくなるようなことがあったのかなって」
「……かごめ」
「おかしいかな。絶対に許せないと思う相手に、こんな気持ちを抱くなんて」
「いや、おかしくなんか──」
 咄嗟に首を振り、否定しようとする自分に犬夜叉ははっとした。かごめが首を小さく傾げてやさしく微笑んだ。
「ほらね。犬夜叉も、心のどこかで似たようなことを思ってるでしょう?」
 彼女のあたたかな声は、心の蓋にほどこした封印を解き放つかのようだった。かごめに勇気づけられて、犬夜叉はその奥底にあるものを深く覗き見てみた。そこには桔梗を奪われたという悲しみがあった。仲間を幾たびも傷つけられたという憤りがあった。同じ半妖である奈落は、なぜこれほどまでに人を呪おうとするのかという疑問があった。呪いの他に生き甲斐はあるのかという問いかけもあった。あるとしても、その生き甲斐を分かち合う相手がいないことは大変な不幸だろうという同情があった。──突き詰めてみれば、それが哀れみというものなのかもしれない。
 犬夜叉はかごめの澄んだ瞳を見つめる。彼女の心を知ろうとすることは、同時に自分の心と向き合うことでもあった。
「私に何ができるかはわからない。でも、もし本当に奈落の亡霊がこの城に出るとしたら、それは奈落が何かを伝えたいからだと思うの。私はその亡霊と向き合わなくちゃいけないんだわ」
 その決然とした表情に、彼の覚悟は決まった。犬夜叉の手が、かごめの膝の上で重ねられている彼女の手に触れた。目と目を見交わした瞬間、その意思をうけたかごめはただ一度力強くうなずいてみせた。


 亡霊は夜半に現れるという。それも火の消えた厨房や、灯りを落とした寝所、月の光の差さない裏庭など、きまって暗闇の中に出現するとのことだった。
 二人は手燭を持たずに城内を歩いた。襖という襖を開け、室内の隅から隅までを見渡した。大広間がにぎわっているためか、人の姿はまばらだった。柱に寄りかかって居眠りする見張り番や、物陰にかくれて逢引きする男女などに遭遇するばかりで、亡霊の影も形も見当たらない。
 ついに残すところは城主の寝所のみとなった。襖に描かれた墨絵の前で、かごめが犬夜叉に額を突き合わせるようにしてささやきかけてきた。
「……ここにいるかしら?」
「……さあな。もしいたらどうする?」
「……考えててもしょうがないわよね」
 賽は投げられた。犬夜叉が左の襖、かごめが右の襖に手を添え、目配せとともにそれぞれ左右へ引き開けた。
 中には寝具の支度が整えてある。あるじがいつ戻っても良いようにという差配だろう。その無人の枕辺に、犬夜叉とかごめの視線が吸い寄せられた。青白い火のような姿がそこに浮かんでいる。
「──……奈落」
 犬夜叉の呼びかけに、うなだれていた亡霊はゆっくりとそのおもてを上げた。
「……犬夜叉か」
「おれが、わかるのか」
「桔梗はどこにいる」
「──何だと?」
「わしはあの女をこの城に置いた。桔梗はどこにいる?」
 犬夜叉は言葉を失う。二つの穴のような亡霊の瞳は、彼の隣のかごめに釘づけとなった。
「──戻ったのか、桔梗」
「奈落」
 かごめは一歩、亡霊に向けて踏み出した。
「よく見て。私は桔梗じゃないわ」
「……かごめか」
「そうよ。──桔梗に会いたいの?」
 その問いかけに答えることなく、奈落は頤を落として空の寝具を見下ろした。しばらくして再び長い髪の間からおもてを覗かせると、
「この城は、誰のものだ」
「……あんたはどう思うの?」
「知れたこと。この奈落の城よ。──桔梗はどこにいる?」
「……」
「わしはあの女をこの城に置いた。──戻ったのか、桔梗。……いや、きさまはかごめか」
 水の月のように明るく澄んだかごめの瞳から、清らかな涙がはらはらとこぼれ落ちた。奈落はこの世で最も不可解なものを追うように、その落涙の輝きを目を凝らして見つめていた。
「なぜ泣く」
「……奈落。あんたって、本当に馬鹿よ」
「犬夜叉。なぜそんな目でわしを見る」
 涙ぐむかごめの肩に手を添えた犬夜叉は、かつてないほど静かな心持ちで仇敵と対峙していた。
 二人の背後で気配がした。追ってきたらしい弥勒と珊瑚だった。彼らは息を呑んでそれぞれの手燭をかかげている。寝所にわずかな灯りがともる。奈落はそのかすかな光を恐れるように、袖屏風のかげに顔をかくした。
「──わしに光を向けるな!」
「奈落。なぜおまえは光を恐れる?」
 風穴の呪縛から解き放たれた弥勒もまた、憎しみや憤りに瞳を曇らせることなく、ただ一点の真実を追い求めていた。
「いや、わかっている。奈落、おまえは光に焦がれているんだ。闇にのみ生きるおまえにとって、光は……」
 亡霊はその声を振り切るように、白壁をさっと通り抜けてゆく。「──奈落!」彼らはめいめいその名を呼びながら、その行方を追うために四散した。
 珊瑚はある小座敷に朧げなその姿を見出した。かつて人見城の若殿と退治屋として相対した日が思い起こされた。手燭の明かりを近づければ、やはり耐えがたいように亡霊は青白いおもてを伏せる。そしてまた同じ問いかけを繰り返した。
「この城は、誰のものだ」
「ここは、確かにあんたの城だったよ」
「桔梗はどこにいる?」
「──多分、光の中に」
 奈落は顔を覆いかくしたまま、再び壁を突き抜けていった。
 夜陰に沈んでいた城内に、ぽつぽつと明かりがともりはじめた。散らばった四人が方々で燭光をともしているのだった。広間では宴がまだ続いているようだった。行き場を失った亡霊は、最後の暗がりを求めて裏庭の大樹の陰へ現れた。
 折しも雲間からひとすじの月光が差し込んだ。そのかすかな光の中にひとむらの花が咲いていた。亡霊はその名を知っている。雲が流れてもなお、その花は彼方の星のように青く瞬いて見えた。
「まだ、光を恐れるの?」
 花の向こうから、巫女装束の娘が静かに尋ねてくる。その立ち姿が遠い昔の記憶と重なった。洞穴の中を覗き込むあの巫女には、いつも光が差していた。闇を身の置き所としながら、その光をいつも待ち焦がれていた。
「──七宝」
 亡霊の口からこぼれた予期せぬ名に、四人ははたと目を見開いた。物陰から聞こえる足音に振り返れば、ばつの悪いような顔をしたあの使者がたたずんでいる。
「すまん。勝手なことをしてしもうて」
 犬夜叉は眉根を寄せ、叱られることを予期した子ども然とした使者を見据えた。
「こいつが七宝だと? ──匂いがしねえぞ。偽者じゃねえのか」
「臭い消しの術を使ったんじゃ。……ほれ」
 使者は頭の上に木の葉を乗せ、変化を解いてみせた。すると見慣れた子狐の姿がちんまりとそこにあった。大人たちはますます訳がわからなくなる。
「七宝ちゃん、いったい何をしたの? ──七宝ちゃんが奈落に手を貸したの?」
「……狐火を貸したんじゃ」
 七宝はちらと木陰に浮かぶ亡霊を見やる。青い火につつまれた奈落は、眠るように目を閉じていた。
「きさまの狐火は、もう要らぬ」
「──そうか。本当に、もういいんじゃな」
 亡霊が頷くのを見届けて、小さな手が、青い狐火をゆっくりと巻き取るようにした。亡霊の姿は、その依り代を失い、しだいに淡く消えかかっていった。
「奈落」
 巻き取られた狐火に、しゃがんだかごめがそっと両手を添えた。清らかな浄化の力があたたかくその火を包み込む。犬夜叉も、弥勒も、珊瑚も、皆が膝を折り、その送り火に思い思いの餞の眼差しをそそいだ。
「きれいな光ね。──そう思わない?」 
「……けっ。奈落の野郎の光ってのが、癪だけどな」
「犬夜叉。おまえはまた憎まれ口を」
「まあ、まあ。……ほら、桔梗も見守ってくれてるよ」
 東の空には、しらしらと黎明の光がきざし始めている。青い狐火とともに、そのかすかな霊魂は、光の玉となって皆の手で空に打ち上げられ──あとかたもなく消え去った。
 手に手を取り合い、光の行く先に思いを馳せる一行のかたわらで、風をうけた青い花が静かに揺れていた。


 亡霊の祟りが退けられたことにひどく感謝した城主が、三日三晩に渡る大宴会を催したので、犬夜叉たちがようやく帰路についたのは四日後の朝のことだった。
「……ったく。なにが亡霊の祟りでい。そんなもん、本当にあったかどうかさえ怪しいじゃねえか」
 荷車二台分の進物の山をかえりみて、犬夜叉はぼやく。弥勒が同意するように頷いた。
「思い込みというのは案外恐ろしいものですからね。悪いことが起きれば、なんでも亡霊の祟りに結びつけてしまう。それを集団で妄信するものだから、話が大きくなる。よくありがちな話ですな」
「でも、あれだけ人がにぎやかな城だもん。お殿さまも元気になったし、きっともう大丈夫よね」
 かごめは荷車の上から、何度か後方を振り返っている。珊瑚はその横顔を見つめた。
「かごめちゃん。七宝のことが、気になる?」
「……うん。一緒に村に帰ると思ったら、どこかに行っちゃったね」
「ばつが悪いんじゃねえか? おれたちに黙って、奈落の亡霊と通じてたもんだからよ」
「いや。七宝には七宝なりの考えがあるんですよ、きっと」
 かごめと犬夜叉は、目を見合わせて何度か瞬きした。妻の珊瑚だけがその言葉を理解していた。
「七宝には驚いたね。いち早く奈落の亡霊に気付くなんて」
「ああ。だてに外を見て回っているわけではないらしい。それにしても、まさかあの使者に化けていたとは。我々も一杯食わされたな」
 夫婦の会話に、まだ解せない顔をしたかごめがふと疑問を呈した。
「──でも、どうして七宝ちゃん、最初から私たちに相談してくれなかったのかしら?」
「ああ、水臭えじゃねえか。奈落のことは、おれたちみんなで乗り越えてきたのによ」
 犬夜叉も腕を組んだまま、小難しい顔をして首を傾げている。
 弥勒と珊瑚は顔を見合わせてふと笑い、
「きっと、ぎりぎりまで、自分ひとりで何とかしようとしたんだろ。私たちの手を借りずに」
「ひとりで? 私たち、仲間なのに?」
「ええ、仲間です。──ですが、我々と七宝は、大人と子どもですからね」
 犬夜叉とかごめは、同時にはっと来た道をかえりみた。出会った時からそれが当たり前で、追われる側の彼らにとっては、気にも留めたことのない差異だった。
「そうだな。──あいつも、ずっとガキでいるわけじゃねえんだ」
 


20.10.04




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