約束された勝利


 勝負事にかけては百戦錬磨の強者であると、彼は自負していた。
 それが、他愛もない幼子の遊びで大敗を喫し──それも一度や二度のみならず、いざ雌雄を決せんとする時には、毎度毎度、必ず自分が敗者になると定まっているのだから、彼には我慢がならなかった。
「──かごめ、おれと勝負だ!」
 負け戦をこのまま続けるわけにはいかない。瞳の奥に並々ならぬ闘志を燃やしながら、犬夜叉はわが家の框に勢いよく足をかけた。
 炉端に座って蕪の粥を煮ていたかごめが、その威勢に何度か目を瞬いたかと思うと、肩をそびやかして小さく吹き出した。
「もしかして、“手札遊び”のこと?」
「ああ。ガキどもに勝てるように、“ババ抜き”の特訓をするんだ」
「あの子から聞いたわよ。負け続きで、子どもたちからたらい回しにされてるって」
 わが子が引き合いに出されると、犬夜叉ははっと家の外に顔を突き出して、その気配を入念にさぐる様子を見せた。
「あいつは、ガキ連中と遊びに行ったのか?」
「うん。ついでに、お月見の芒を取りに行くって。おやつも持たせたから、きっとしばらく帰らないわよ」
 かごめは鍋に蓋をし、中身が吹きこぼれないよう、団扇で炉の火を扇ぎ消した。そうして炊事の始末をつけると、犬夜叉を見上げてにっこりと笑った。
「だから一回だけ、付き合ってあげる」
「よし。一度きりだな?」
 恰好の練習相手を見つけた犬夜叉は、顔を一面輝かせた。「おあつらえむきだぜ」
「せっかくだから、何か賭けてみる?」
「ああ。ガキどもがやってるように、負けた方が勝った方の命令を聞く、ってのはどうだ?」
 自分が勝者になることを信じて疑わない口ぶりである。かごめはおかしそうに笑いながら、いいわよ、そうしましょうと快諾した。
 手札遊びというのは、かごめが村の子どもたちに教えた遊びだった。
 多羅葉の落ち葉を四十枚用意する。それらを四等分し、葉裏に箸の先や木の枝の先などで一から十の数を書く。本来は十三まで用意するものらしい。さらにそれらに心臓、短剣、三つ葉、金剛石の四つの紋章を描き入れる。
 ババ抜きという遊びは、これにあと一枚“ババ”となる別の紋章の一枚を加えて遊ぶものである。
 真新しく興をそそる遊びであり、さらに子どもたちに数字の順序や数合わせを学ばせることができるので、親子共々からなかなか好評だった。
 ──子どもの遊びなのに、犬夜叉ったら躍起になっちゃって。
 かごめは、真正面で配られた手札を熱心に吟味している犬夜叉を、内心でとても可愛らしいと思った。
 大人げがないと言えないこともないけれど、そこはあばたも笑くぼというもの。それがたとえ他愛もない児戯にすぎないとしても、目先の物事に純真な子どものようにひた向きに取り組もうとする彼の姿を、かごめは心から愛してやまなかった。
「今日は幸先がいいぜ」
 犬夜叉は慣れた手つきで手札を切り終えると、それらを鼻先に扇状に広げてふふんと笑う。
「かごめ、おまえ、ババ持ってるだろ?」
「あんたと私しかいないんだもん。犬夜叉の手元になかったら、それしかないじゃない?」
 かごめは片方の眉をあげて見せた。それもそうだ、と上機嫌に笑う犬夜叉の口角に、ちらと白い牙がのぞいている。
「でも懐かしいな。よく、家族でこうやって遊んだのよね」 
「そうかよ」
 犬夜叉は何か懐かしいことを思い出すような、遠い眼をした。
「あのじじいは、すげえ弱そうだな。封印の札も全然効かねえしよ」
「ああ、あの井戸の札? そんな前のこと、よく覚えてるわね」
「忘れるかよ。家族のことをよ」
 笑う犬夜叉の瞳が、彼の持ち札越しにかごめを真っ直ぐにとらえた。
 ──何度目かの手札のやり取りで、かごめのババがいよいよ犬夜叉の手に渡った。
 犬夜叉は、余裕の体はどこへやら、あからさまに動揺している。
「ねえ犬夜叉。あんたが勝ったら、私に何をやらせたいの?」
 かごめは、嘘をつくことを知らないその瞳から目を逸らさずに、犬夜叉の持ち札から一枚を引き抜いた。──三つ葉の九。
 がっかりした犬夜叉が、捨て犬のように眉を下げている。
「……おれが勝ったら? そうだな、おれが勝てば──」
 勝負に集中しているせいか、返答はおざなりだった。
 彼はつとめてかごめの目を見ようとしているらしい。その理由はすぐに明らかとなった。かごめが犬夜叉の手札に指をかけ、探りを入れてみると、その都度犬夜叉はちらと目線を下げて、あからさまに喜んだり、失望したり、掌を返すように表情をころころと変えてしまうのだった。これではどの手札が当たりで外れなのかが、一目瞭然だった。
「犬夜叉、あんた本っ当に嘘がつけないのね」
「──うん?」
「でもね、そこがあんたの良いところだわ」
 かごめは首を傾げて笑い、犬夜叉が思わず勝負を忘れてその笑顔に見惚れる間に、最後の一枚をそっと引き抜いた。
 ──心臓の一。
 犬夜叉の手元には、ババだけが取り残されていた。
 心臓の一と、それを矢尻で射抜くかのような短剣の一とを、かごめは大いに悔しがる犬夜叉の手の内に握らせる。
「私の言うこと、なんでも聞いてくれるんでしょ?」
「なんだよ、裏山から柿を取ってこいってか? それか一日中馬遊びに付き合えってか? それとも……」
 これまで子どもたちに命令されてきた数々を、拗ねた様子であれこれ並べ立てる犬夜叉を、かごめはやんわりとさえぎった。
「私はね、家族で遊びたいわ」
「──あ?」
「私たち三人で、みんなが飽きるまでババ抜きして遊びたいの」
 すり膝で距離を縮め、彼の膝に手を置いて、かごめは顔をぐっと近づけた。
「だめ?」
「……」
 間近に彼女をとらえる犬夜叉の瞳から、すでに敗北の無念と屈辱は、ほんの一時の風雲のように跡形もなく過ぎ去っていた。



20.09.22

×