いつか


 その子供は、不規則に敷き詰められた飛石の上を、小さな野兎のように飛び跳ねていた。
 深緑の中から蝉時雨が降ってくる。その勢いに、子供の甲高い呼び声がかき消される。それでも子供はめげず、ちぎれんばかりに小さな手を振ってくる。
 彼は赤い袖から抜き出した片手をそっと顔の横に上げて、健気な子供の親愛に応えている。子供の行く先から幾筋にもなって差し込む木漏れ日に、つと目を細めた。ただ光が眩しいだけでなく、その小さな背が愛おしくてならないのかもしれない。
 今度は子供が苔むした立石のそばにしゃがんで熱心に何かを拾いだす。おそらく小石を集めているのだろう。
 彼もふと自分の足元を見下ろしてみる。すると右足の爪先に、何やらきらりと輝くものがある。彼は片膝をついてそれを拾い上げてみる。──白く光るさざれ石。何の変哲もないただの石だ。にもかかわらず、にわかに彼の心は、長年探し求めていた唯一無二の宝物を見出した少年のように高鳴り、瞳の中には熱いものが湧き上がってくる。
「いいなァ、それ」
 いつの間にか子供が羨ましそうにその光る石を覗き込んでいる。彼は黙って子供を自分の方へ抱き寄せ、
「欲しいか?」
「うん」
「よし。おまえが欲しがるなら、なんだってやる」
 あれほどの感動をもたらしたその石を、惜しみなく小さな手に握らせた。すると子供はにっこりと笑って、
「ありがとう、──」
 聞き慣れない呼び方で彼を呼んだ。
 何と呼んだのか聞き返そうとした時──小さな手の中で、その石が目も眩むような光を放ち、子供の瞳を直視できなくなった彼は思わず顔を背けていた。


 ようやく再び向き直った時、そこにあったのは驚いたようなかごめの顔だった。目をくりくりとさせて、犬夜叉を見つめている。
「いきなり起きるからびっくりしたわ。……もしかして、寝たふりしてた?」
 犬夜叉は何度か瞬きをした。何事か確かめるようにかごめの顔をぺたぺたと触るので、かごめは「なあに、どうしたの?」とおかしそうに笑いながら、彼の両手に自分の手を添えてくる。自分の突飛な挙動を自覚した犬夜叉は、はっとした。
「いや、なんでもねえ」
「そう?」
 かごめは再び水辺に戻り、中断していた洗濯を再開する。犬夜叉は川辺の岩に背中を預けたまま、その横顔をぼんやりと眺めている。まどろんでいた間、短い夢を見ていたような気がするが、どんな夢だったのか、もう思い出せない。
「犬夜叉、犬夜叉」
 かごめが川の中から手を振っていた。赤い袴の裾を腰に折り込み、膝まで水に浸かっている。その手に何かきらりと光るものが見えた。眩しさに目を細めた瞬間、犬夜叉はにわかに胸の奥が熱く焼けつきそうになるのを感じた。
「なんだ、それ?」
「いいもの見つけちゃった。川の底に沈んでたの」
「見せてみろ」
「世界一幸せになれる石よ。欲しい?」
「──かごめ」
 喉から手が出そうなほど、彼はそれが欲しかった。けれどかごめは子供のように目を輝かせながら、首を横へ振った。
「欲しかったら、いつか探してみて」
 そしてその光るものを、そおれ、と遥か遠くへ投げやってしまう。星が夜空を流れるようにかすかな光の尾を引きながら、その石は鬱蒼と茂る木々を飛び越えて、彼方の青空へと吸い込まれていった。犬夜叉は名残惜しくその輝きを見送るほかなかった。
 洗濯物を入れた桶をかかえて、かごめが鼻歌を歌いながら河原に戻ってくる。すっかり拗ねてそっぽを向いている犬夜叉の頬に、川の水で冷たくなった指先がつんつんと触れた。
「そんなに欲しいんだったら、また見つけてきてあげようか?」
「けっ。いらねえよ、たかが石ころだろうが」
「本当に? 素直じゃないなあ」
 犬夜叉は振り向きざま、意趣返しとばかりにかごめの後ろ頭をぐいと引き寄せ、そのおしゃべりな唇を力ずくで奪った。かごめは犬夜叉の胸をたたいてわずかばかりの抵抗を見せた。が、やがてはその両手の拳をほどいて、そっと彼の背中を抱き締めた。
 額を合わせたまま、ようやく機嫌を直した犬夜叉が、金の瞳を細める。
「わかったか。あんな石ころがなくたってなあ、おれは今……」
 かごめの人差し指が、その先の言葉を封じた。ゆっくりと頷きながら、満ち足りたように微笑む彼女。
 ──あの光り輝く石は、どこまで飛んでいったのだろう。十里も先か、百里も先か。あるいは十年、百年先か。いつかは彼が見つけられる場所に流れ落ちただろうか。光の軌跡の消えた方角へしばし思いを馳せる犬夜叉だったが、頬をそっと包む手のひらの優しさに、心はすぐさま彼女の元へと引き戻された。
 かごめの澄んだ瞳は物語っていた。
 分かち合う相手が側にいるからこそ、幸せは一層まばゆく光り輝くのだと。




20.08.29
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