帰巣の夜


 早乙女親子の帰還する日、きまって天道道場は宴会に明け暮れる。若夫婦とその義両親、すでに嫁いで実家を出た天道家の長女や次女はいわずもがな、近在の腐れ縁仲間たちまでもが呼ばれもせぬのにこぞって集まり、近所迷惑もかえりみないどんちゃん騒ぎを繰り広げるのだった。
「わはははっ。乱馬くん、修行から帰ってまた一段と頼もしくなったねえ〜!」
 すっかりほろ酔い気分で婿の背中をたたく早雲。飲みかけのビールにむせかけながらも、満更でもなさそうに乱馬はにっこり笑い返した。
「まあな。道場のやつらにとっても、あいつにとっても、カッコいい手本でいたいし」
「その心意気やよしっ。それにしても乱馬くん、立派な跡取りに育ってくれたものだねえ! おかげでうちの道場は、末永く安泰だ……」
 よよよと感涙にむせびながら、早雲は乱馬のグラスに酒をつぎ足した。歳をとると涙もろくなるというのは本当のことらしい。二人のまわりに散らばるビールの空き瓶を拾い集めながら、あかねは笑い混じりにたしなめる。
「おとうさん、ちょっと飲み過ぎじゃない? それに乱馬もっ。修行から帰ったからって、あんまり羽目を外しすぎちゃだめよ?」
「わかってるって、あかね」
 乱馬は上気した頬に無邪気な笑みをにじませた。
「あいつ、もう風呂はいったか?」
「とっくにいれて、寝かしつけたわ」
「そっか。山籠もり中、かあちゃん、かあちゃんって毎晩寝言でいってたからな。あかねの顔見て安心したんだろうよ」
「まだまだ甘えん坊ざかりなのよね。あんたがあんまり連れ出してると、あの子、あたしの顔忘れちゃうかもしれないわよ?」
「それはねえだろ。おれが毎日見せてやってるんだから……」
「──え?」
 首を傾げるあかねにはっとした乱馬は、明らかに酔いではない理由によって赤面した。その顔を彼女の目からそらすかのように、義父へ向き直る。
「お、おやじさんっ。──おやじさん? ……なんだ、つぶれちまったのかよ。山籠もりのみやげ話でもしようと思ったのにな。あははは……」

 階段のステップを踏み外しかけた。
 すんでのところで手すりをつかみ、ほっと溜息をつく。足元がふらついて平衡感覚がままならない。あかねの言う通り、少し飲みすぎたようだ。明日の稽古に響かないよう、今夜は大人しく休むべきだろう。判っていたはずが、寝室の扉を開けた時にはもう本意を遂げること以外何も考えられなくなった。
 とうに寝入っていたあかねだが、さすが女だてらに武道を志すだけある。部屋へ忍んできた気配に、すぐさま目を覚ました。
「──夜ばいなら、もう少しムードってものがあるでしょ?」
「……ばーか」
 乱馬は少年のような笑顔でベッドの縁に腰かけ、幼いわが子の寝顔を見下ろす。良い夢を見ているのだろう、その顔は愛らしくほころんでいた。
「まったく。誰かさんは、この子よりもずっと手がかかるわ……」
 あかねが子どもの頬にキスすると、彼もその反対側にそっと唇を押し当てた。子どもの顔ごしに目が合い、どちらからともなくはにかみ笑う。

 宴会を終えた道場は澄んだ夜気に充ちていた。
 静寂をゆさぶるかのように、道着姿の男女が組み打ちを繰り広げている。突き、蹴り、攻め、守り。一進一退の攻防戦には、彼らが夫婦であることを忘れさせるほどの気迫があった。
「──乱馬、あんた、強くなったわね!」
 突きを右へよけながら、あかねが混じり気のない賛辞を送った。
「そうか!?」
「前よりも手ごたえがあるわ。田舎でただ遊んできたわけじゃないみたいねっ」
「ったりめーだろうが! かわいい嫁さんひとり残して子連れ修行だぞ、のんきに遊んでるわけねーだろっ」
 思いのほか優しい目をして言うので、あかねの頬がぼんっと上気した。
「──スキあり!」
 まごついた瞬間を見逃さず、乱馬がその両手首をつかんで床に押しこめる。あまりの早技になすすべもなく、あかねは悔しさに吠えるしかない。
「ひ……卑怯よ!」
「へっ。勝負に卑怯もへちまもあるかよ」
「うるさいわね! 心にもないこと言ってっ」
「ぶわーか。あんなんで動揺するなんて、修行が足りねーんじゃねえの?」
 勝負相手を力で制圧した彼には、勝者の余裕がただよっていた。満足げな笑いを口元に浮かべながらあかねに覆いかぶさる。
「さーて。これからどうしてやろうかな?」
「ちょっと……か、顔を近づけないでよ、酔っぱらい! 酒くさいのよっ」
「ほー。なら酔い覚ましに、もうひと運動してみるかあ?」
 乱馬の目が据わるのを、あかねは恐々として見上げた。
「いい汗かけそうだぜ? なんてったって、二週間ぶりだもんなあ……」
「な、なにを言って──」
 鼻先が触れ合いそうなほど近寄った時、彼の道着の懐からなにかがこぼれ落ちた。何気なく目でひろった乱馬が、ぎくりと身をこわばらせる。
「──スキありっ!」
 間髪いれず、あかねの渾身のひざ蹴りが乱馬の背中を直撃した。つぶれたカエルのような声をあげて床にころがる彼。
 あかねはすかさず彼の落とし物を拾い上げた。まじまじと眺め、やがてにんまりと笑いながらかたわらで腰痛に苦しむ乱馬を見下ろす。
「……あ、あかね、てめー卑怯だぞっ!」
「勝負に卑怯もへちまもないわよ。こんなんで動揺するなんて、修行が足りないんじゃないの?」
 仕返しとばかりに拾得物をちらつかせる。すると乱馬が湯にのぼせたように赤面し、返せ、返せと息巻いてきた。
 それは高校時代のあかねの写真だった。
「あんたって、あたしのこと……」
「──ああ好きだよ、大好きでい、文句あっか!」
 かわいくねえ女、と耳まで赤くしながら彼はぼやいた。



20.03.19
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