両手に犬




 自慢まじりの長話にはもう飽いていた。犬夜叉は生欠伸をこらえようともしない。隣のかごめがしきりにひじで脇腹を小突いてくるが、真剣に耳を傾けようにも右から左へとあっさり抜けていってしまうのだから無理な話である。
「ったく、まどろっこしいったらねえな。──とどのつまりは、その訳ありの『掛軸』とやらを、おれたちに始末させてえんだろ?」
 はあ、と依頼人である庄屋の若主人は間の抜けた顔をする。かごめの前で先程からずっと鼻の下を伸ばしきっているのが犬夜叉は気に食わない。
 それでも人の良いかごめは、
「すみません。うちの人、口が悪くて……」
 申し訳なさげな伏し目になり、庄屋の男心をいたずらにくすぐっている。まさに夫の心妻知らず。
 犬夜叉はなかば鞘から刀を抜きかけるようにして、問題の品を持って来させた。
 年代物だというその掛軸には、素朴な山村の風景と子犬が描かれている。この犬こそが祟りをもたらすいわくつきなのだという。
「興味本位で買うてはみたものの、やはり庄屋風情の手には余る代物のようでして……」
「そうかよ。じゃ、もらってくぜ」
 身勝手な言い訳をする庄屋の手から、長居は無用とばかりに彼はその掛軸をもぎ取った。

「愛想を振りまけ、なんて言わないわよ。でもね、せめて話くらいは聞いてあげなくちゃ……」
 帰路、かごめはふと立ち止まる。犬夜叉が手元の掛軸を食い入るように見つめていた。
「どうしたの?」
「鳴き声が──。掛軸の中で犬が鳴いてやがる。かごめには聞こえねえか?」
「え? ううん、私は何も……」
 犬夜叉の横顔がすだれのように頬にかかるほつれ髪の奥に隠れた。──やがてその肩が小刻みに震えだしたかと思うと、突然、火にでも触れたように掛軸をその手から放り出してしまう。
「う……。うう……」
「い、犬夜叉?」
 奇妙な呻き声がもれたのを案じたかごめが顔をのぞきこむが、犬夜叉はそれを避けるようにして背を向ける。
「近づくな! 体が……言うことをきかねえっ」
 かごめは足元に落ちている掛軸を鋭く見下ろした。そこに描かれていたはずの犬が、消えていた。
「変だわ。妖気なんて全然感じないのに。──犬夜叉、大丈夫? すぐに助けるから!」
 返事はない。代わりに見えない敵へ破魔の矢を射かけようとする彼女の背後から返ってきたのは、
「クゥーン……」
 子犬の鳴くような憐れな声だった。

「ほお、これはこれは……」
 犬夜叉はからかい混じりに伸びてきた手を邪険に払いのけた。もっとも、邪険にといってもかわいらしい|子犬の手《圏》ではたかが知れているが。
「すっかり見違えたな、犬夜叉」
(──やかましい、弥勒!)
 かごめの腕の中でキャンキャンと吠え立てる子犬。それこそがまさに犬夜叉の仮の姿であった。
 そしてあつかましくも彼の体を乗っ取り、我が物顔でかごめにぴったりとくっついているのは、掛軸の中から出てきた子犬の霊魂そのものである。
「困ったわ。犬夜叉が犬になっちゃうなんて……」
「まあ、もとから犬ですが……」
 ガブ、と犬夜叉が腹いせにその手に噛みつく。だめでしょ、とかごめに叱られてようやく大人しくなった。そのしおらしい様を珊瑚までもが半身をまげてしげしげと眺めている。
「ふーん、|九十九神《つくもがみ》か……。変なのに目をつけられたね、犬夜叉。気が済んだらちゃんと体を返してくれればいいけど」
「同じ犬ですからね。気に入られてしまえば、少々厄介だ」
 噛まれた手に息を吹きかけながら、弥勒は思案顔をつくる。犬呼ばわりされても犬夜叉は今度ばかりは噛みつくのを忘れ、子犬にそぐわぬ剣呑な目つきで自分の体をじっと見すえた。
(冗談じゃねえ。おれの体はおれの物だ。力尽くで取り返してやる──)

 だが敵は手強かった。中身が幼稚な子犬でも、器は犬夜叉自身が鍛えあげた頑強な妖の肉体である。たかが子犬の姿では相手にとっては赤子の手をひねるようなもので、太刀打ちできようはずもない。
「また喧嘩したの? ……もう。だめじゃない、仲良くしなきゃ」
 かごめは傷だらけになった犬夜叉が小さな体で悔しさのあまり震えているのを気の毒がり、胸にそっと抱きしめた。かごめの温かな肌につつまれ、つかの間犬夜叉の心は甘い安らぎを見いだす。
(こんな体のままでいたら、かごめを守ることさえできねえ。かごめに触ることだって……)
 やるせなさを感じたと同時に、枯れ井戸に水が湧き出てくるかのような欲望を心の奥底におぼえた。もとの体でなければ成し得ないことはあまりにも多い。せめてものなぐさめを求めて犬夜叉は心地よい柔肌に頬をすり寄せる。
 ふと刺すような敵意を感じた。暗がりの中で彼自身の眼が鈍く光っている。
「ウウ──……」
「どうしたの。こっちにおいで、ほら……」
(呼ばなくていい、退がれ、かごめ!)
 犬夜叉の忠告もむなしく、かごめはそれを自分の方へおびきよせてしまう。彼の体は闇の底へ低くその身をかがめたかと思うと、野生の犬そのものの俊敏な動きでかごめに飛びかかってきた。
(──かごめっ!!)
 犬夜叉ははげしく吠え立て、迎え討たんとするが、かごめは彼を腕の中から離そうとしない。そして近寄ってきた彼の本体を至近距離でじっと見つめ、威嚇するように鋭く光る双眸へふと打ち解けた微笑みを差しむけた。
「──いいよ。あなたも、おいで」
 手に据えた獣を愛でるように、四つん這いのまますり寄ってきたその頭を優しく撫でてやる。甘えるようなくぐもった声がその喉からこぼれ落ちた。
(おれよりも、おれを扱い慣れているんだな……)
 嬉しいような羨ましいような、奇妙な心持ちで犬夜叉はその光景を目の当たりにしていた。




2020.02.15

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