A piece of cake | ナノ


A piece of cake


 帳場格子の向こうで、「上役」の少年の顔が、一瞬にしてあどけない表情に変わった。
「……今日は、何か特別な日だったかな?」
 帳面を繰る手をとめ、壁にかけてある暦をちらと眺めやる。二月十四日。いたって普通の日である。もう一度目を向けてみれば、贈り物をもってきたという少女は、ハクの顔を見ていることさえ恥ずかしそうにうつむいている。
「どんな日か知らないんだったら、知らないままでいいよ。受け取ってさえくれれば、それだけで……」
「もちろん、ありがたくいただくよ」
 嬉しさ半分驚き半分といった様子で、ハクはそれを手にした。
「開けてみてもいいかな?」
「うん。──でも、あんまり期待しないでね」
 耳まで赤くなりながらうなずいたのを確かめ、包みを解いてみる。ほのかに甘い香りが彼の鼻先まで立ちのぼってきた。
「……これは、チョコレート?」
 坊の嗜好品の中によくこういった香りの菓子が混じっているので、あたりをつけることができた。
「ううん、ブラウニーっていうの」
 訂正しながら、千尋は残念そうに肩を落とす。
「おばあちゃんが簡単な作り方を教えてくれたんだけど、全然うまくできなくて……。ちょっと目を離したら焦がしちゃった。だから食べられそうなところ、これしかなかったの。本当は、焼く前はハートの形だったんだけど──」
 またもその頬がいじらしいばら色に染まる。
「来年は、もっと上手に作るね。……今度こそ、ちゃんとハートの形で」
「その気持ちだけで十分、うれしいよ」
 ハクはにっこりと彼女へ笑いかけた。贈り物の意味はよくわからないが、とにかくこれは想い人が彼のためだけに手ずから作ってくれたものらしい。それを知るだけで心も甘くとろけそうになる。
「ありがとう。今度、私にもお返しをさせてほしい」
「いいよ、お返しなんて」
「贈り物をもらってとてもうれしかったから、私も千尋を喜ばせてみたいんだよ」
「わたしを? でも、わたしは……ハクがいるだけで……」
 二人はふと口をつぐんだ。浴衣姿の湯上がり客が、涼台をさがしてか、団扇をあおぎながら湯殿の方へふらりと帳場を横ぎっていくところだった。
 その背中が目の端から消えるや、ハクは格子の上からそっと半身をのりだして千尋の耳に唇を近づけた。
「──私もだよ」
 愛することは喜びそのもの。
 そしてその喜びを手にすることは、彼にとってはこんなにもたやすい。

2020.02.13
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