水面に映ったもの



 真澄鏡のように清らかな水面を子どもがのぞく。円らな目をしたあどけない少年の面が映る。
「おれがもうひとりいるー」
 喜んでいるのかどうなのか判然としないような、単調な声で少年は言った。元々あまり感情を露わにしない子なのだ。池の畔で息子を見守る赤髪の男は、この少年が父と共有する束の間の時間を楽しんでいるのか退屈しているのかを決めかねて、思考する。
「パパも来てみなよー」
「いや、パパはいいよ。りんねは好きなだけ見ていなさい」
「うん、わかった」
 あっさりと首肯して、少年は再び水鏡の観察に没頭し始めた。聞き分けが良すぎるのもこの子どもの特徴だった。この子の祖母も、本当に手が掛からない子だとしきりにいう。全く誰に似たんだか、という皮肉を男は噛み締めた。少年の容貌は彼自身と瓜二つだが、中身は明らかに別の遺伝子が色濃く受け継がれ反映されているようだった。
 彼は木から背を離した。木陰から出て池の汀にしゃがみこむ。子どもが、その横顔を見詰める。
「りんね、この池にはな。お前の大事な人の顔が映るんだ」
「だいじなひと?」
 小首を傾げた息子に彼はうなずく。子どもはふうん、と興味があるのかないのかわからないような声を上げて、無表情のまま水面に視線を落とした。
「でも、さっきからおれしかみえないよ」
「そうか?じゃありんねにはまだ早かったかなあ」
 彼は愛想笑いを浮かべながら池をちらりとのぞいた。怜悧な眼差しが水面から彼を射抜くかのように見つめている。
「あっ!」
 少年が驚きの声を上げた。水面に身を乗り出している。小さな身体が傾きかけると、彼は慌てて手を伸ばして、支えてやった。
「危ないじゃないか、りんね」
「いま、女の子がいたよ。おれをみてた」
 目を丸めながら少年は水面を指差した。年に見合った子どもらしい反応に、彼も知らずうちに父の顔になって微笑む。少年も、ほんの少し面をほころばせる。
「かわいい子だったよ」
「そうか。さすがパパの子だなあ」
 ──そうか。この子もいつの日か、恋をするのか。彼にとって、それは奇妙な感覚だった。こんなに小さな子どもがいつしか長じて、自分と生き写しの容姿になって、誰かを想うようになる。この子も自分の轍を踏むだろうか、と彼は思った。
 水面から見据えてくる、最後まで手に入らなかった怜悧な瞳から、目を逸らす。いつかこの子も、この瞳と同じ瞳で自分を見るようになるかもしれないと思った。これがこの子の母が残していった置土産。その子を見ていると、まるで鏡を見ているようで、彼は空恐ろしくなった。
 




end.

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