赤と白


 いつの世にも人々は平穏無事を願ってやまない。血なまぐさい戦乱の時代にあってはなおのこと。
「今年もまた、にぎやかになったわね」
 かごめは長い階段の上から慣れ親しんだ村の景色を一望する。はじめはほんの小さな集落だったのが、家移りを望む人々が次々にやってくるため、あちこちに点々と人家が増えていくようである。
 彼女のかたわらで犬夜叉がいかにも疲れたというように肩を回した。
「おかげでガキが増えてやかましいったらねえぜ。どこぞの家のガキどもの守りだけでも手一杯だったのによ」
「まーたそんな憎まれ口。いいじゃない、人が多いほうが楽しくて。──ねえ、弥勒さま、珊瑚ちゃん?」
 かごめは同意を求めて後ろを振り返る。二人のあとに続いてのんびりと下りてきた夫婦が、顔を見合わせて笑った。
「うん。遊び相手が多いほうが、子どもたちも楽しそうだし」
「働き手が増えれば、土地が豊かになりますしね。やはり人手は多いに越したことはないでしょう」
 弥勒の言う通り、人の増加とともに田畑の範囲は驚くほど広がりつつある。作物の獲れ高は増え、年貢を納めても村人が食うに困るようなことはなくなった。ひもじい思いを味わわずにすめば人間おのずと心も豊かになる。無用な争いなどは起きなくなる。それがごくありふれた東国の寒村に過ぎなかったこの村を、人々にとって住みよい里たらしめるのだった。
 だが外の人たちを惹きつけたのは、そうした豊かさだけではない。
「──あの村は安全だ。巫女さまと、そのお仲間がたが守ってくださるとか」
 どうやら積年の武勇伝が知れ渡ったものらしかった。

「巫女さまのお膝元」
 すぐれた霊力によって守られた村をさして、誰かがそう呼んだという。これを聞いて単純な犬夜叉が、かごめの膝はおれのもんだ、気安くすりよられてたまるか、などと目くじらを立てたらしいというが、真相はこの夫婦のみぞ知る。
 人はか弱い。虐げられることを恐れ、強い庇護の下に入りたいと願う。
 そうした人々のためにかごめは惜しみなくその力を高め、また解放した。四魂の玉との因縁をたちきり、生来の霊力を取り戻した今、それを出し惜しみする理由などなかった。
「誰かのために生きて、誰かのために暮らせるのって、すごく幸せなことだよね」
 口ぐせのように言っていた。
「おれはかごめのためだけに生きて、かごめと一緒に暮らしてさえいられれば、それで十分だけどな。他のやつらのことなんかどーでもいい」
「もう。素直じゃないんだから……」
 でもありがと、と爪先立ちしたかごめは、への字にひん曲がったその口の端に自分の唇をあてがうのだった。それだけでもう犬夜叉はいともたやすくほだされた。いつまでも恋人のような夫婦だった。
「……ったく、しょうがねえな。おれ以外にも、おまえを必要とするやつはいくらでもいるからな──」
 なよ竹のような体つきをしていながら心は竹を割ったような性格の彼女のことだから、言い出したらもう聞かないことはわかっていた。そうしてかごめに感化された犬夜叉もまた、口ではいくら大儀そうにしていようとも、その手で多くの命を救うことにいっさい躊躇はしなかった。
「かごめ様が行かれるなら、我々もどこまでもお供いたしましょう」
「どこまでもって、法師さまは大袈裟だね。すぐそこの森までじゃないか」
 志をともにした弥勒と珊瑚は言わずもがな。

 また、七宝や琥珀のように、外で生きる仲間たちも、かつてはぐくんだ義侠の心を決して忘れなかった。
「人助けをしたんじゃ。おばばが森の中で難儀しておってな。おらひとりで、こーんなにでかいマムシ妖怪を倒したぞ!」
 子狐はしきりにこうしたみやげ話を持ち帰ってはかごめに褒めてもらいたがり、
「また刀々斎さまに鎌をお願いしてきました。この間退治した妖怪の体が硬くて、もう刃こぼれがひどくて……」
 退治屋の弟は時々近況をしらせにきた。会うたびに瞳がいっそう澄んでいくようだった。

 いつしか村には妖怪の姿がちらほらと見られるようになった。
 犬夜叉や七宝に慣れた村人は、人心のついた妖怪が村に住みついたのを、いきなり追い出したりはしなかった。かごめたちの心からの呼びかけに応じ、徐々に種族の違いをこえて打ち解け、ともに助け合って生きていくことを覚えた。
「──おい、むこうの家に半妖が生まれるんだとよ。十月もしねえで生まれるかもな」
 ある日、何でもないことのように犬夜叉がしらせてきた。口先とは裏腹に、どことなくそわそわしているのをかごめは目の端で見逃さず、にやけそうになるのをどうにかこらえた。
「そうなの。楽しみね。どんな子が生まれてくるかしら?」
「さあな。──……ま、どんなガキだろうが、この村でなら真っ直ぐ育つだろうさ」
 そう言うと、彼にしては珍しく、こぼれるような笑顔で愛息子を高く抱き上げた。

 

 長い階段を上った先に、小さな社と祠が祀ってある。そこにかの巫女とその夫、かけがえのない仲間たちが、その身果ててもなお、肩を寄せ合うようにして永遠の眠りについている。
 この御社は見晴らしのよい高台にあり、日暮らし人里を見守ってくれるというので、いつからか「日暮明神」「日暮社」などと呼ばれ、人々に親しまれるようになった。
「むかしむかし、武蔵の国にある巫女さまとそのお仲間がおられました──……」
 いつの世にも人々は平穏無事を願ってやまない。
 戦雲が遠く流れ去ってもなお、かつてこの地を守った巫女たちは人々の願いの中に生き続ける。
 


2020.02.08



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