よいの口




 ところで頭が痛むんだ、と脈絡なく彼が言った。
 その声がいつもながら淡々とした調子なので、本当に具合が悪いものかどうか判じがたい。けれど、元どおりのように見えて、実はまだ本調子ではないのかもしれない。念には念をと、流し目でちらと様子をうかがおうとする菜花だったが、相変わらず薄氷に遮られたようなその横顔からは何も読み取ることができずにいた。
「気つけ薬だから、と飲まされてしまってね」
「何を──?」
「お酒ですよ」
 主人に負けず劣らず単調な、式神の声がこたえた。「見舞いに来られた妖《かた》がお持ちになったようで。手前はお止めしたのですが……」
「えっ、お酒? 具合が悪い時に?」
 とんだ荒療治に菜花は目を丸くした。
「私の身を案じて駆けつけてくれたのだからね。彼らの親切を無下にはできない」
「でも、だったら、それってただの二日酔いなんじゃない? ……なんだ、心配して損した」
 安堵したような拍子抜けしたような顔でこぼす菜花を、今度は摩緒が横眼で眺めやる。
「私のことを、心配してくれるのか」
「……あんなふうに死にそうな顔して倒れられたら、誰だって心配するにきまってる」
 足先の石を蹴りながら、憮然として言い返した。内心に、彼女自身さえ気づかぬほのかな照れがある。
「お酒なんか、飲んだらだめだよ。体に良くないんだから。摩緒、あんたがいくつか知らないけど──」
「九百歳」
 律儀にこたえる摩緒に、それは知ってる、と猫が睨むような目をすえる菜花。
 しばらく眉ひとつ動かさずにその視線を受けとめていた彼が、ふと、相好を崩した。
「そう簡単に死にはしない。安心しなさい」
「死ぬとか、物騒なこと言わないでよ」
「うん。だから、酒はもう飲まないと約束しよう」
 その手が菜花の肩に置かれたかと思うと、彼女がその重みを感じるか感じないかのうちに、木の葉が風に吹かれたようにすっと離れていった。
 菜花はそこで歩みを止める。
 数歩先行く二重廻し。歩調に合わせて裾が揺れるたび、夜の闇がまたひとひら濃くなっていく気がする──。
「菜花さん」
 行きましょう、と、彼女のかたわらでうながす声がした。



2020.01.22
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