宵越しの光


 誰かがワインボトルを開けたが最後、こうなるのは目に見えていた。
 大人たちが陽気に笑いながら、二人を見ている。その意味ありげな沈黙が、なんとも心地悪い。千尋はいつものように、食べかけの料理に集中しているふりをした。
「千尋ちゃん、大きくなったわねえ……」
「引っ越してきた時は、まだランドセル背負ってたっけ? 懐かしいなあ」
 その様子を両親の眼差しでながめながら、隣人夫婦がしみじみと言えば、
「いやいや、おたくの辰巳くんこそ、こんなに立派に育って──」
 千尋の父も、感慨深げにこう返す。母がうなずいて同調した。
「ええ、本当に。辰巳くんが大学生になってからは、なかなか会えないんで、千尋が寂しがっていますよ」
「……お母さん、余計なこと言わないでっ」
「あら、この子ったら──照れてるのかしら?」
 大人たちの温かな眼差しを受けながら、千尋は泣きそうな顔をしてうつむいている。それを見ていた隣の青年が、ふとグラスをテーブルの上に置いて立ち上がった。
「荻野さんのお家のクリスマスツリーは、今年もきれいですね」
「ああ、ありがとう。飾りつけ、千尋が手伝ってくれたんだよ」
「やっぱり、女の子がいるお家は華やかでいいですね。──もっと近くで見たいな。千尋ちゃんも、一緒においで」
 ──二人で、話をしよう。
 千尋にだけ聞こえる声が、ごく小さな水のせせらぎのように耳元をかすめた。
 
 オーナメントに指をのばす。ライトが点滅を繰り返していて、近づくとまぶしくて目がチカチカした。
「タツミくん」
 隣の少女は相変わらず彼の目を見ようとしない。
「元気だった……?」
「元気だったよ」
「大学、楽しい?」
「楽しいよ」
「……」
「千尋ちゃんは、会えたの?」
「──え?」
「"彼"は、会いにきてくれた?」
 千尋の指が、ツリーのライトのスイッチを押した。光の点滅がやむと、彼の目はまたまばたきもせずに彼女の横顔を見つめた。それは胸をつくほど悲しげな横顔だった。
「……来なかった。今年も」
「でも、来年もまた、待つんだろう?」
「うん」
「再来年も、その次の年も、いつまでも待ちつづけるんだね?」
  聞きながら、彼は顔を背けた。目の前の健気な少女にいらだっているのではなく、不甲斐ない自分にどうしようもなく腹が立つのだった。
(まだ、気づいてもらえない)
 千尋の目はようやく彼に向けられるが、それはやはり彼を通り越してどこか遠いところを見ており、
「ハクと約束したから……」
 ──彼《タツミ》という存在に、今もなお懐かしい"あの少年"の面影を探していることを、まざまざと思い知らされる。
(ハクに会えますように……)
 来る年も来る年も、千尋が贈りものに願うのはただ一つ。出会った頃から、一等輝かしいクリスマスツリーの星のように彼女が胸にかかげつづけてきた希望を、彼は手に取ってやることができずにいる。
 心が触れ合ったかと思う瞬間もあれば、すぐに千尋のほうから遠ざかってしまう。まるでそれ以上彼がその心に立ち入ろうとすることを拒むかのように。
「きみと離れれば何か変わるかと思ったけど、やっぱり……」
 彼は小さな溜息をつき、それからふと笑った。
「──そうだ。まだ渡してなかったっけ」
 千尋が不思議そうな顔を向けてきた時、彼はその小さな体をひと思いに抱きしめた。千尋が息をのんだのがわかった。大きなツリーの陰に隠れて、大人たちの上機嫌な笑い声を聞きながら、このまま聖夜が二人を閉じこめてくれればいいのに、とひそかに心の中で願った。
 体を離すと、千尋はすぐそれに気づいた。首に手を回し、そこに先程まではなかったものがさがっているのを確かめる。
「タツミくん、これ──?」
 赤いサンタ帽をひょいとかぶって、彼はまた笑った。それをぽかんとしている千尋にもすっぽりかぶせてやると、
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
 大きな帽子が頭からずり落ち、鼻先まで千尋の顔をおおった。それはひょっとすると彼の願望に過ぎないのかもしれないが──その口元は、ほんの少し笑っているようにも見えた。

「それ、辰巳くんにもらったの?」
 後片づけのさなか、母が千尋の首すじに目をとめた。酒が入っていつもよりずっと上機嫌だ。
「いいわねえ。大切にしなさいね」
「……うん」
「あんたも何かあげたの? お返しはちゃんとしないとだめよ」
 ツリーの前に座り、千尋はそのことについて思案した。また誰かがスイッチを入れたらしく、ライトが無数の星のようにまたたいている。
 昔は良かった。手作りのクリスマスカード、クッキー、アルバム──そういう他愛もないものを彼は手放しに喜んでくれた。今でもきっと喜んでくれるだろう。
 隙間風が入ってくると思ったら、窓がひとつ開いている。窓辺に寄ると、千尋の心臓がどきりとした。隣の家の窓から彼が見ていた。窓枠に頬杖をついて、見つかってしまった、というばつの悪そうな顔をしている。
 ──メリークリスマス。
 ぎこちなく手を振り返しながら、千尋は鼻の奥がつんとした。今すぐにでも、その温かい胸に飛びこんでしまいたい。




2019.12.22


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