固めの剣


 風のように現れるのがつねの男であった。だがその風には音がない。だからそうと気づかぬうちに背後を取られる度、いまだに刀々斎は背筋の凍るような心地がするのだった。
「──いきなり何の用だ、殺生丸。今度はおまえさんの刀の錆でも取れってか?」
「たわけたことを。そのような野暮用のために、わざわざこの私がきさまの元を訪れるとでも?」
「相変わらずかわいげがねえなあ……」
 ぽりぽりと頭を掻く刀々斎。「まーた『刀を打て』だの、めんどくせえこと言い出すんじゃねえだろうなあ? んん?」
「……」
 殺生丸はわずかに眼を細めた。そして手に握っていた何やらごく小さなものを賽のように刀々斎の膝元に放ってきたかと思うと、気分を害されたとおぼしき冷ややかな調子でたった一言。
「──刀を打て」
 それは、まごうことなき犬妖怪の牙であった。

「刀々斎さま?」
 嬉しそうに駆け寄ってこようとするのを、かたわらに控えていた邪見が血相変えて引きとめた。
「──こりゃっ、りん! 危ないから走るなというに、おまえはっ!」
「あっ、そうだった……!」
 ごめんなさい、ぺろりと舌を出す。その面差しはまだ少女のあどけなさを残しているが──
「よう、りん。しばらく見ねえ間にすっかり育っちまったなあ」
「最後に会った時はまだ子どもでしたから……」
 笑ってみせると、なるほど年頃の人間の娘らしい匂やかな愛嬌が、その瞳や唇の端にほのかに浮かび上がってくるのだった。
「おまえさんの亭主がな、刀をひと振り打ってほしいんだと」
「──刀?」
 りんは邪見と顔を見合わせ、ぱちぱちと瞬きする。「でも、殺生丸さまはもう……」
「私の刀ではない」
 殺生丸が自ら誤解を解いた。りんの肩に手を添え、うながすような視線を刀鍛冶へ送る。
「おまえさんの腹ん中にいる、赤ん坊のための刀なんだとよ」
「──えっ?」
 りんの目は邪見共々、今や転げ落ちんばかりになっている。肩に置かれた手に自分の手をそっと重ねながら、
「殺生丸さま、本当なの……? この子のために、刀を?」
 二人は互いを見交わした。ふと頬を染めながらりんが笑い、もうそれ以上は聞こうとしなかった。
 からからと、刀々斎は気楽な声を立てる。
「なあに、心配しなさんな。|殺生丸《そいつ》の牙がありゃあ、そこそこの刀に仕上がるだろうよ」
「そこそこの刀とはなんじゃいっ」
 一人ぷりぷりと目くじらを立てる小妖怪。
「畏れ多くも殺生丸さまおんみずから牙を下されたのだ。刀々斎、きさま、失敗は決して許されぬぞ!」
「あー、わかったわかった。体はちっこいのに、相変わらずやかましいなあ」
「──なにおうっ!」
 刀々斎の巨眼が、邪見の怒り顔から、りんのまだ薄い腹へ、そしてそこに宿る子の父親の横顔へと移った。
「ま、男か女かもまだわからんが、半妖ってことだけははっきりしてるからな」
 殺生丸の瞳が、ふと刀々斎をとらえた。
「……殺生丸。おめえの牙を使って打つ刀だ。それを半妖の子どもにくれてやるからには、おまえさんにも相応の覚悟がなきゃならんぞ」
「知れたことを──」
 迷いのない返答だった。
「覚悟がなければ、初めからこうして触れてなどいない」
 りんが耳の付け根まで赤くなった。そのかたわらで、聞いてはいけないことを聞いてしまった──とばかりに、邪見が明後日のほうを向いてそわそわしている。
 さも愉快げに、けれど温かみのある眼差しで、刀鍛冶は笑った。
「そういうことなら、この刀々斎、引き受けてやってもいいぜ。なんてったって、おやじさんの時代からのよしみだからなあ」
「初めから、きさまに拒否という選択はない」
「殺生丸……おめえ本っ当に、かわいげもありがたみもねえのな……」
 ありがとうございます、と、目を輝かせながら娘が言った。刀々斎さまも、殺生丸さまも、ありがとう──と。



2019.11.28





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