心より、おすがり申し上げます。
ご覧のとおりのお目苦しい破れ寺にございます。ですがかような有様となりましたのには、わけがございます。──この寺の奥深くに安置しておりました、唯一無二の「秘宝」を奪われてしまったのです。そのために、仏様のみひかりが失われ、この寺は人の寄りつかぬ廃寺と成り果てたのです。
縁も所縁もあらぬお二方に、かようなことをお頼み申す厚かましさは、重々承知しております。
なれどどうか、わが寺の宝を、悪しき盗人の手中より取り返してはいただけないでしょうか。
「きな臭えな」
鼻をうごめかして、犬夜叉は呟く。
「でも、放っておけないじゃない?」
「……おめーなら、そう言うだろうと思ったぜ」
気乗りしないような溜息をひとつこぼしつつも、先を行くかごめに一歩と間を空けずについていく。
けもの道を抜けると、その里があった。入り口には境目を示したものか、勘定縄が渡してある。
ごくありふれた山村のようだった。他所者の訪問がめずらしいのか、異様な目つきをした里人たちが二人の周りにむらがってくる。
「私たち、──寺の和尚さまからこの里のことを聞いて来ました。探し物があるんです。そのことについて、少しお聞きしたいのですが……」
誰もかごめの言うことに耳を傾けていないようだった。それよりも、男も女も、まるで頭の先から足元まで二人を値踏みするような無遠慮な視線を送ってくるのが、犬夜叉は不快だった。
「てめえら、隠し立てするとろくな目に合わねえぞ。──あのしみったれた寺から盗んだ『宝』とやらを、とっとと出しやがれ」
ねばついた視線を遮るようにかごめを背に隠しながら、彼の声は自然と凄味を帯びた。
「『宝』……?」
「『宝』じゃと……? もしや──」
里人たちがざわめき出す。そこで犬夜叉がもうひと押ししかけたところへ、人垣が割れてひとりの僧侶が薄笑いを浮かべながら姿を現した。
「私が引き受けましょう」
ええ、あなた方がお探しの「宝」は、確かにこの寺にございます。
わが師は私を盗人呼ばわりしておられるのですね。嘆かわしいことです。あれはわが師の手にあまる至宝なのだということを、どうあってもご納得いただけないようです。さればこそ私が丁重に引き取り、衆生のために役立てているのですよ。
──「宝」がどのようなものか、お知りになりたいのですか?
よろしい。それほど興味がおありなら、あなた方にも今宵、特別にご覧に入れてみせましょう。
影も落とさぬ暗夜。灯火の油はついえて久しい。
部屋の隅でかごめが耳をふさいでいる。犬夜叉もまた鼻をつまみたい衝動に駆られている。むせ返るような香の臭気、激しく軋む床、あられもない嬌声──。一枚戸を隔てた本堂で、いかなる醜態が繰り広げられているかは明らかだった。
「あァ、神々しい巫女さま──」
恍惚とした声に、かごめは思わず飛びすさった。がりがりと戸に爪を立てる音がする。
「そのおみ足に触れたいのです……したたかに踏まれたいのです……早く……早く……」
「綺麗な妖怪さァん、出ておいでな……みんなで好いことしてあげるからさァ……ふふ」
ざわざわと戸口に人がむらがる気配が感じられた。犬夜叉はかごめの肩を抱きながら、もう一方の手は否応なしに鉄砕牙の柄をとらえている。
「──こいつら、救いようがねえぞ」
「でも、みんな普通の人間よ。どうにかして正気に戻してあげないと……」
二人が問答している間に、戸の向こうがひたと静かになった。
ご覧ください。──これこそが秘宝、歓喜仏と呼ばれるものです。
これを見た者は皆、類まれなる歓びを知ることができるのです。あなた方もご覧になりましたでしょう。あの里人たちは皆、この歓喜仏を拝み、嬉々としてその恩恵にあずかっているのです。
──巫女さま、あなたは清らかなお方だ。
もっと近くへ、私の側へいらっしゃい。あなたこそ、この秘宝の恩恵を受けるに相応しい。
かごめはその秘宝に手を伸ばした。──指先が触れた時、まがまがしい邪気は一瞬にして浄化され、手ぐすねを引いていた僧侶の亡霊もまた、浄化の光にあっという間に消し飛んだ。
「ひとの嫁に手を出そうなんざ、とんでもねえ腐れ坊主だ」
犬夜叉が辛辣な悪態をつく。「目ぇつけた相手が悪かったな」
本堂の中で乱倫のかぎりを尽くしていた里人たちは、あられもない姿で気絶していた。秘宝の呪縛をのがれた彼らは、目を覚ませばまっとうな里人にかえっているはずである。
最初に秘宝をとりかえすよう二人に頼み込んだ和尚も、亡霊だった。はじめから刀で斬れぬ相手と知ればこそ、犬夜叉は気乗りがしなかった。歓喜仏の邪気に取り憑かれ、精気を吸い尽くされ、絶命してもなおそれに執着し、奪ったり、ほかの人間たちの精気を与えたりしていたのだろう。そうした呪縛がどれほど続いてきたことか。
「これ、どうしようかな。放っておいてまた邪気が憑いたらいけないから、もとのお寺に置いておくわけにもいかないし……」
呪いの像であったものを、かごめはもてあましていたが、結局持ち帰ることにした。手元に置いて浄化するしかないという結論に至ったのだった。
それは、布に包み、木箱に入れた状態で部屋の隅に置いてあり、人目に触れぬようにしてある。
けれど犬夜叉は──これはかごめには秘密だが──時々、その封印を解いてしまうのだった。
それを見た夜は、喧嘩した日もそうでない日も、不思議とかごめが閨で自分からすり寄ってくる。
百発百中、である。
「ねえ、犬夜叉……」
含みをもたせた声音で呼びかけながら、かごめがひたりと背中に抱きついてくると──
犬夜叉はつい、部屋の隅にまします「秘宝」のご利益に、心からの喝采を送りたくなるのだった。