このままではいけない。
二度と誰にも心を許しはしない。ほかの誰にも渡してはならない。他人を信じるその甘さが命取りとなるからだ。決して同じ轍を踏みはしない。
この女に、命をゆだねてはならない。
「……犬夜叉?」
悪夢を見た。愚かにも、この心を明け渡した相手に、心臓を射すくめられる悪夢を。
うなされて目覚めた時、その顔が目の前にあった。寝ても覚めても悪夢の中にいるのかと、彼は絶望した。
「──おれに近寄るんじゃねえっ!」
爪を振りかざした。気づかわしげに彼の顔を覗きこんでいたかごめは、驚いて後ずさった。間一髪、その可愛らしい顔に無残な傷痕がつけられることはなかった。だがその顔は、怒りと悲しみにゆがんだ。
「──なにするのよ、危ないじゃない!」
「うるせえっ。てめえは……いちいち目ざわりなんだよっ!」
理不尽な罵声を浴びせられたかごめの瞳に、じわりと涙が浮かぶ。──それを犬夜叉は、呆然と見上げていた。
──泣いている。
途方もなく、恐ろしかった。
ささいな切り傷でたやすく命の危機に瀕するような、取るに足らない人間の女ごときに、これほど心かき乱されている──愚かな自分に対する恐怖だった。
これ以上、心の中に入ってくるな。心配そうな目で見るな。親しみをこめて名を呼ぶな。──馴れ合おうなどとは夢にも思うな。一度馴れてしまったものからは、なかなか離れられない性だから。
かごめは涙をこぼす寸前まで溜めながら、なおも負けん気の強いまなざしで彼を射抜こうとしている。
「……私、あきらめないから」
「けっ、何を──。どうあがこうが、おれとおまえは相容れねえんだよ」
「そんなの、あんたが勝手に決めつけてるだけよ。──私たちはまだ、始まってさえいないんだから」
見かけによらぬ芯の強さだった。──その強さに否応なしにひきつけられる自分の心が、彼はやはり空恐ろしかった。
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(2019.11.09)