睡れる花

 
 箱庭のような望楼から二人で夜空を見あげた。雨はやんだが、まだひとむらのぶあつい雨雲が月や星をさえぎっており、頬に感じる海風はしっとりと湿り気をおびている。彼らの目の前で、今夜は誰にも使われることのなかった露天風呂から、ほの白い湯気が立ち昇っている。
 かげろうのようにかすむ夜空の下で、千尋はそっと目頭をこすった。
「眠い?」
「……うん。ちょっとだけ」
「疲れているんだね。このところ、忙しかったから」
 ハクが横から千尋の顔をのぞき込む。千尋は両手のひらで自分の頬をうち、気を引き締めた。
「大丈夫。あと少しで、夜明けだもんね」
 朝と夜、太陽と月、ここ油屋で働いていれば、それらはあべこべになる。日の差すあいだは深い眠りにつき、反対に、月が輝くかぎりあくせくと動きまわる。はじめこそ千尋はしばしば時差ぼけのような感覚に見舞われたものだったが、近頃はすっかり夜の住人に染まりきっていた。
「見てごらん、あの花も、千尋みたいに眠たそうにしている」
 千尋はハクの指差した方を見やる。露天風呂のそばにもうけられた小さな人工池。その水面には、今にも閉じようとしているうす紅の花が浮かんでいた。
「あれ……? 蓮の花って、朝に咲くんじゃなかったっけ?」
「朝に咲く日もあれば、夜に咲く日もある。花というのは気まぐれなんだよ。契約にしばられているわけでもないからね」
「ふうん……」
 蓮の葉の上で小さな蛙が鳴きだした。ハクは露天風呂に流れおちる温水の滝をとめ、千尋は裾をしぼり上げて湯の中にはいると、風呂の栓を抜いた。釜爺が苦労して沸かした薬湯がすべて流れていくのは、千尋にはもったいない気がした。しばらく脚をひたしていたが、すぐに湯水は尽きて空になった。
「また降りだしそうだ。中に入ろう」
 ハクが千尋の手をとり、露天の灯りを消す。夜明け前の静寂の中で、まだ蛙の鳴き声がしていた。
 竜のお告げはさすがのもので、ほどなくしてまた霧のような雨が降りはじめる。ガラス窓を振り返った千尋の瞳は、曇天の片隅でうっすらと透けて見える、あけぼのの兆しをとらえていた。もうじきこの油屋が眠りにつこうとしている。
「疲れただろう。今朝はゆっくりおやすみ」
 ハクの手が千尋の後頭部にそえられ、千尋はひたいを彼の胸元に押しあてる格好になる。
「──わたしが起きたら、今日もどこかに連れて行ってくれる?」
 もちろん、と答えるかわりに、ハクはもう片方の腕を千尋の背にまわしてささやいた。
「橋のたもとで待っているよ」




19.06.20



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