峠を越えたところで、ふと、顔に冷たいものが降りかかるのを感じた。
一瞬、霧雨と見間違えかけたが、あたりに目を凝らしてみると初雪だった。朝から空が白く霞んで見えたのは、やはりその前触れだったようだ。
「楓ばあちゃんの言うこと、聞いておいてよかった」
出掛けに持たされた編み笠を目深にかぶりなおし、かごめは帰路を急いだ。
今日は厄払いの依頼を受けて、近隣の山村まで出張っていた。以前は楓のもとへ依頼人が訪ねてくることが多かったが、近頃はこうしてかごめがみずから足を運ぶことが増えている。
巫女としてはまだ半人前であるものの、人びとのために何らかの形で自分の力を活かせるということに、かごめはやりがいと充実感を見出している。旅をしながら現代との往来をくりかえしていた、あの頃とは違う。この戦国の地に根を下ろすと決めた以上、ここで与えられた役割をまっとうしたい。その思いから、見よう見まねで巫女の仕事を学んでいる。
「ひとりで出かけたって知ったら、犬夜叉はまた心配するかな」
くす、かごめは破顔する。脳裏に思い浮かべるのは、不機嫌そうに眉根を寄せて彼女を見下ろす、お決まりのあの表情だ。
犬夜叉は、一昨夕から遠方の妖怪退治に駆り出されていて留守だった。村にいたならきっと、かごめについてくると言って聞かなかっただろう。大事にされているという実感は、素直に言ってうれしい。だからといって、その腕に守られてばかりいるつもりはないけれど。
にやにやしながら歩いていると、何かにぶつかった。道をふさがれている。笠でまったく見えなかったのだが、顔を上げると目の前に見慣れた緋色があった。
「おめーの鈍感さには、ほとほとあきれ返るぜ」
かごめは頬をひきしめて、威勢よく相手を見上げた。
「鈍感?それ、私のこと?」
「ひとりで出歩くなと言っただろうがっ」
噛みつきそうな勢いの犬夜叉に、かごめはまたにやけてしまう。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。このあたりの妖怪は、あんたを怖がって私には手出ししないし」
「……危険なのは、妖怪だけじゃねえんだよ」
「何か言った?」
犬夜叉はぐっと押し黙ったかと思うと、鼻先がくっつきそうなほど彼女に詰め寄ってきた。
「おい。よその村の男共に、変なことされなかっただろうな」
「されないわよ。というか、させない。私、いちおう人妻なんだから」
かごめは彼の不意をついて、その頬に唇を押し当てた。
「こういうことするのも、あんただけ」
犬夜叉はかごめの唇が触れたところに手を添えて、何度もまばたきをした。
「──かごめ。おまえ、手強いな」
「今更気づいたの?」
負けじとばかりに、犬夜叉に抱き締められたかごめは微笑む。雪の冷たさを忘れるほど、その腕の中は温かかった。
2017.12.12