たぎつ瀬



 唇と唇が重なった。ほんの瞬きの間のことだった。これが口づけなのだと実感するよりも早く、押し当てた唇の弾性にしたがうように千尋は彼から顔を離していた。初めての体験だった。──穴があったら今すぐにでも入りたかった。
「これが、千尋のしたかったこと?」
 真っ直ぐに千尋を見つめながら確認してくるハクの表情は、先程とまるで変わらない。どうしても、この白皙のかんばせをおびやかすことはできないようである。こんなにも胸が高鳴ってしょうがないのは自分だけなのか。悔しいやら恥ずかしいやらで、千尋はむきになって言い返した。
「だって、好きな人とはこうするものだって、おねえさま達が言ってたもん」
「……」
 ハクはしばらく千尋を観察していたが、気まずくなった千尋が頑として目を合わせようとせずにいると、突然、二人のあいだの距離を一気に詰めてきた。
「あっ」
 声をほとばしらせかけ、千尋はその口を固く封じられる。
 いつもの涼しげな澄まし顔のどこにこれほどの情熱をひた隠していたのか、彼が千尋に与える口づけは、初めてとは到底信じがたい、熱烈なものだった。
 ハクと壁のあいだに挟まれて身動きのとれないまま、千尋はひたすら彼のなすがままとなる運命にあった。唇をふさがれ、頭に靄がかかったようになる。何かにしがみついていなければ、今にも、彼という川に押し流されてしまいそうだった。
「千尋」
 ハクは腰が抜けてくずおれた千尋と目線の高さをあわせた。先程の荒れ狂う川のはげしさを露ほども感じさせぬ、穏やかな、満ち足りたささめきがその唇から流れ出す。
「私もこうしたいと思っていた。私達はずっと、同じことを願っていたんだね」
 彼の親指が千尋の濡れた下唇をゆっくりとなぞる。千尋は肩で息をしながら、目の前にある澄んだ瞳の奥に、底知れぬ何かを見いだしていた。



19.05.11

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