匂ひ合はせ
「見違えたな。あの洟垂れ小僧が、すっかり一丁前になりやがって」
鎧を身につけた私の立ち姿を眺めながら、叔父は満足気に笑った。洟垂れ小僧はないでしょうと、私はこそばゆさをひた隠して否定するが、叔父の笑いまじりのからかいはとまらない。
「あいつがよこした鎧なんざ、絶対着ねえって言ってたのにな。気が変わったのか?」
「一度くらいは着けてみようかと。顔を合わせるたびに、邪見がうるさいので……」
父の従者の小言を思い出して嘆息すれば、叔父は肩を竦めた。
「──ま、今度気が向いたら、殺生丸の野郎にも見せてやれよ。邪見に言われなかったか? そうしてるとおまえ、あいつにそっくりだ」
渋面になった私の背中を叔父が励ますようにたたく。そして爪先から頭まで私を眺めながら、これからまだ背が伸びそうだな、とごちた。
初めて身につけた鎧の重圧から逃れんと、私は身軽な姿になる。父の望む妖の装いは、つくづくこの肌には合わぬようだ。叔父にならい樫の大樹に上りながら、なんとはなしに風の匂いをとらえる。不意に鼻先へ運ばれてきた、かぐわしい花の香りが、胸の奥にある記憶を呼び起こした。私は叔父の袖を引いて確かめてみる。
「叔父上。この前、母上と叔母上と、藤狩りに行きましたよね」
同じ香りを感じ取っていただろう叔父は、呆れたような、それでいて、なにやら愛おしむような顔を向けてくる。
「おまえの言う"この前"って、いつのことだ?」
「さあ。ほんの四、五十年前でしょうか」
風の流れる随に記憶をたどれば、風上からあの二人の笑う声が聞こえるような気がする。父と叔父の兄弟関係を補ってあまりあるほど仲の良かった義姉妹は、よく私やいとこ達を野山へ連れ出したものだった。笑いの絶えぬあの日々が、私には今日の朝のことのように感じられる。
「だよな。ほんの四、五十年……か」
叔父は村の方角をかえりみた。あちこちに点在する水田では、田起こしの様子が見て取れた。人里には変わらぬ人間の営みが息づいている
私の半身があの営みの中に属することを、私は否定しない。
人里を慕うこの心もまた私の一部であり、それを恥じることなどないのだと、母が、叔母が、誰あろう、この叔父が身をもって教えてくれたのだから。
「叔父上、どうか長生きしてください」
「……おまえなあ。そういうことは、親に言うもんだろうが」
「あの人は言われずとも長生きですよ」
父や私と同じ金の眼を細めながら、温かい眼差しで叔父は私を見つめている。
「それでも言ってやれ。あいつ、顔に出さねえだけで、いつもおまえのこと気にかけてるみてえだからな」
重畳たる山々はその頂からひときわ香り高い風を吹きおろす。私達にとって匂いは記憶そのものである。花が咲けばその花を愛でた人々を思い出し、花が散ろうともその残り香を愛でつづける。
いつの日かと同じ枝垂れ藤の下で、母が、叔母が、いとこ達が身を寄せて笑っているように感じられたが──それはおそらく、女子供が笑いさざめく声にも似た、風のそよぎを聞いているに過ぎぬのであろう。
「今、叔母上のことを考えておられますね? ──叔父上は本当に分かりやすい人だ」
悪いかよ、と叔父がぼやいた。いいえ、私も同じですからと、胸の内で私は返した。
19.05.09