perversity


「結婚しよう」
 買い物に行こう、とでもいうような気軽さで目の前の男は言う。
 音を立てずに一口啜ったホットチョコレートが、いつもよりほろ苦く感じられた。庶民の味にも大分慣れてきた頃だと思ったのに。
 眉を顰めて、女死神はマグカップを置く。
「なに、プロポーズの練習とか?」
「ふざけるな。これが本番だ」
「……ああ、そう」
 もう一人の役者はどこ?と言わんばかりに背後をきょろきょろと見回す彼女。だが街角の小さなカフェは、相変わらず閑散としていて二人の他には誰もいない。商売成り立ってるの?とつい余計な心配をしてしまう。
「おまえだよ、おまえ」
 相手は憮然とした顔で、彼女の鼻先に指を突き立ててくる。
「他に誰がいるっていうんだ」
 ──どうしてこうなった。
 鳳ははぐらかすように肩を竦め、再び飲み物に口をつけた。赤いルージュがオフホワイトのカップの縁にくっきりと色移りする。
「で、返事は?」
 せっかちな男だ。
 いや、この男に限らず、人間という生き物はなぜこうも気が早いのか。
「ごめん。無理」
 にべもない鳳の答えに、テーブルに両肘をついていた十文字は、小さく溜息をついて、椅子の背もたれに背中を預けた。
「想定内だな」
「当然でしょ。あんたと結婚なんて、冗談きついんだけど」
「まったく同感だ」
 その通りといった納得顔で頷かれ、鳳の目がつり上がる。
「じゃあなんでプロポーズなんかしてんのよ」
「いや、だからそう思ってたのはついこの前までのことで」
「この前っていつよ」
 十文字の片眉がぴくりと動く。売り言葉に買い言葉で応戦したことを鳳は後悔した。
「忘れたとは言わせない」
「……」
 彼が自分の唇をじっと見つめていることに気が付いて鳳は俯く。あの日と同じルージュをつけてこなければよかった。
「若気の至りでしょ、あれは」
「ほんの一週間前の出来事なのに何が『若気の至り』だ」
「とにかく、そんなに重く考えることじゃないわよ。どっちもいい大人なんだし」
 できてるわけでもないし、と心の中でこっそり付け加える。
 十文字が責任を取らなければいけなくなるような危機は事前に回避した。早々とおめでた婚でくっついたあの二人よりずっと健全だと思う。
「おまえがどうしても無理だと言うなら、諦める」
 彼はコーヒーを一口啜った。思わず安堵の表情を浮かべる鳳をカップの陰からちらりと一瞥し、ほんの少し口角を持ち上げ、
「今日のところは、な」
「は?」
「これからもしつこくプロポーズし続ける」
 鳳はぽかんと口を開ける。カップの持ち手から離れた彼の指に、今年の誕生日鳳が贈った魔除けのリングが光っている。インチキの粗悪品だと貶していた割には肌身離さずつけているようで、天邪鬼ぶりに笑えてくる。
「あんたって、すごい変わり者」
「おまえにだけは言われたくない」
「そもそも私、あんたって、全然タイプじゃないんだけど?」
「奇遇だな。俺もおまえは全然タイプじゃない」
 テーブルを挟んで睨み合う。きっとあの二人が傍にいたら、顔を見合わせて笑うんだろう。
「……でも、不本意なことに」
 十文字は怪訝に眉を寄せたまま、呟いた。
「おまえほど気の合う女子が他にいないんだよな」
「それは不本意ね」
「まあ、今はそれも悪くないと思ってるんだが」
 百面相の鳳に構わず、腕時計にちらりと目を落として、今日はもう時間切れだと告げる。
「ああそうだ、指輪はまだできてこないらしい」
「聞いてないわよ、ってか指輪って何よ!?」
「まあ楽しみに待ってろよ。鳳お嬢さまのお気に召すかは俺にもわからんが」
 十文字はテーブルの隅に置かれた伝票を手に立ち上がり、斜め下の鳳にしたり顔で笑いかけた。鳳の顔がぼんっと紅潮し、怒ったようにそっぽを向くと、通り過ぎざま、綺麗にアレンジされた彼女の髪を彼が大きな手でくしゃくしゃに撫でてくる。
「……十文字のくせに!」
 思わず振り返って悪態をつくと、会計を済ませた彼がひらひらと背中を向けたまま手を振っていた。







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