小 夜 衣さよごろも

 忘れ得ぬ女だった。実らずとも不思議と満たされる恋だった。遠き日々に感じた胸走りが、今もなお、一陣の風をまいて心を駆けめぐる。
 鋼牙は小さな祠に身を屈めた。握りしめていた野辺の花々に鼻先を埋め、祈るような心持ちでそっと手向ける。
「……懲りねえ痩せ狼だぜ。毎年毎年、未練がましくて見ちゃいられねえ」
 名残惜しげな様子を気取られたのだろう。お馴染みの憎まれ口が、隣に立つ犬夜叉からこぼれ落ちた。
「そう言うおまえも、充分懲りねえ野郎だがな。──犬っころ」
 言い返しながらも、鋼牙はふと、過ぎゆく時を儚むような眼差しになる。
 かつての恋敵からは、年々、活気が失われていくようだった。売り言葉に買い言葉の口喧嘩が、威勢を失くしはじめたのは、一体いつごろからだったか。
「ちょっと見ねえ間に随分老け込んだな。もう、すっかりじじいじゃねえか」
「誰がじじいでい。……ったく、どいつもこいつも年寄り呼ばわりしやがる」
「老いぼれじじいになっても相変わらず、かごめを守ってるんだな。おまえは」
 寒気や夜露を防ぐように、祠には火鼠の衣が打ち掛けてあった。犬夜叉の心は、今もなお、片時も離れずかごめに寄り添っているようだった。
「ところで犬っころ、てめえの刀はどうした? ついこの間までは、馬鹿みてえに振り回して威嚇してきたじゃねえか」
「鉄砕牙か? あれは形見分けすることにした」
 気にもとめておらぬような返答だった。鋼牙は、思わず目を瞠った。
「言霊の念珠も、火鼠の衣もな」
「──形見分けって、おまえ」
「かごめと同じところに行けば、もう火鼠の衣これも要らねえからな。──こんな夜にも、おれがしっかり抱いて温めてやれるだろ?」
 惚気かよ、と目を逸らしながらぼやく鋼牙に、犬夜叉は喉を鳴らして笑う。その目元が、かつての半妖の少年にはおよそ似つかわしくないほど和らいで見えた。
「悔しいか? 痩せ狼」
「……ああ。──悔しいよ」
 かごめ。かごめ。──かごめ。喉が擦り切れそうになるまで、鋼牙は幾度もその名を呼んだ。




19.04.11



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